9、



僕のやりたいことなんか何一つやらせてくれない、そんな親。
それが大嫌いで、一人で生きるって決めて家出した。
その後に今の会社に入って、本社へと転勤になったわけだ。


お、少しシリアスなんじゃ?



このボケオヤジはどうやら僕の携帯電話を盗聴。
あまつさえ、向かってくる海に辺りをつけて速攻でここら一体の土地を買ったらしい。

アホだ。心底アホだ。
アホ過ぎで手におえないアホっぷりだ。

いやぁ…僕は母さんの遺伝子が優秀なせいで助かったようだ」
「助かってないわよ」

むむ…このパターンは。

「口に出してた?」
「ええ。もう、パッツンパッツンに」
「擬音の使い方に一抹の不安が」
「じゃあ、ガッチンポッポ!ガッチンポッポー!」
「がっチンポっぽ、がっチンポっぽ?」

――ベシィ。
痛いし。

「変換に気をつけなさい、変換に」
「そんな紙に書かなきゃ分からないツッコミを…」
「そうかしら?」

私は分かったわよ、フフン♪って感じで胸を張る。

「そう加奈?わかるもん加奈?」
「…………」
「埒茜ぇ…って顔してるね?レン続攻撃が効いた?」

XBOXとかソフ倫脱退だとかニーソとかって言葉が脳裏に浮かんだ。
いや、何のことかはサッパリだ。

「つまり、今回は誤変換がメインってわけ?」
「さあ?」

アホオヤジは、というとニヤニヤしながら惣流さんを眺めている。
趣味の悪いグラサンをクィと上げると何か言ってる。

「顔…胸…腰…脚……問題ない。式場を予約しよう…」


取り敢えずブン殴りたい。



ブン殴って、『シンジ……よくやった』とか口走るのを尻目にダッシュした。
もういい、帰りたい。
僕を巣に返して!って感じだ。


というか当初の『新東京嫌い』という根本的テーマはどこへ?
それを元にシリアスになる予定だったのに…。



――僕、次こそ軌道修正、テコ入れ、シリアス変換。

 

 

10、



僕は大好きだったんだ。
でも、父さんも母さんも…止めろ、ムリだってそれしか言わなかった。

家出をしたのはいいけど、如何せん、あの時の僕にはお金が無さすぎた。
冗談で受けた面接に通って、今は働いてる。
働いて、給料貰って、それもいいかなって思い始めてた。

それなのに!


それなのに…!



オヤジが目の前に現われて、理不尽に思い出してしまった。
僕の、全てだったモノを。



部屋の傍らに置いた、チェロが叫んでいる。
そんな気がした。



オヤジをブン殴った帰りの車の中、惣流さんが似合わない悩んだ顔をしてた。
何となく分かったのかもしれない。
僕が、僕を偽って、僕を創り上げた事が。

オヤジに会った所為で、全てが壊れていく。

今までつけていた仮面が少し揺らぎを見せた。
アホな事考える事にしか使わない事に決めていた頭の中が、昔の想いに征服された。


僕は、僕であるために、僕以外の何かをしていた。
そうだった。

そうだったのに、忘れていたモノを思い出した。
いや、意図的に忘れてたんだろうな……。


だから、やたらと部屋の片隅のチェロが目に付く。
今、再び手にとれば、どれほどの喜びが僕に打ち付けられるのだろう?

でも、再び手にとれば……僕はもう戻れない。
今には戻れない。


それでも、僕は……僕は…!



――僕の総てはそこにあるから。

 

 

11、



ケースの埃を指先で拭う。
フッと息を吐き、指についた埃を床に撒く。
チェロを取り出し、弦を少し弾いてみる。
鈍い手ごたえ。

調弦する必要があるのは明白だ。
それも当然。
ずっと、ほったらかしていたんだから。

次いで弓を握る。
甦るのは…体が震えるような喜び。


そして、深い、哀しみだ。



ガタガタの弦に、廃れた弓。
それを、調整なんかせずに、掻き鳴らした。
聞くに堪えない、そんな酷い音――不協和音――が壁の薄い部屋で響く。

それでも、ボロボロと溢れるのは、涙。
喜びと哀しみの、涙。
熱い、涙。

甦ったのは、想い。
甦ったのは、熱き想い。

甦ったのは、僕。


僕の総て。



翌日、普通に出勤した。
会社の前で見慣れた人影が、ふんぞり返っている。
思わず、その偉そうな立ちっぷりに笑いが漏れた。

僕が目の前に行くと、惣流さんは何か聞きたそうに、チラチラこちら見る。
それに構わずに、僕は歩き出した。
すると、彼女は少し怒ったように僕の後を追って歩き出した。

視線があんまりにも痛いので、聞いてみる。

「何?」

彼女は少しビクッとして、また黙る。

埒があかない。
そう思って、とっとと自分のデスクまで辿り着いた。

僕は、その日の仕事を終えると、部長の目の前に立った。


そして、僕は辞表を置いた。



――熱き想いに従って。

 

 

12、



ほどなくして、僕の退社が決まった。
それは良いとして、大きな問題がある。

これからの事だ。
チェロ弾きとして喰っていくには幾ばくかの問題がある。
ある程度有名にならないとスポンサーもつかないし、仕事ももらえない。
それには、大きなコンクールで成績を残す必要がある。

まず、金が必要だ。
まぁ、金はまあまあ、あるので問題はない。

ただ、大きなコンクールに出るには、何らかの実績か大きな後ろ盾が必要だ。
後ろ盾にオヤジを使うのだけは真っ平ごめん。
実績も、あるのはジュニアコンクールだけでの話……。



そんな事を悩みつつ、久し振りに浜に出てみた。
穏やかな海の音が僕を癒してくれる。
ああ海は偉大だ!海は大きく、広く、穏やかで荘厳だ!
ああ素晴らしい!」
「恥しくないの?」

その声は……。

「久し振りね。何やってたの、今まで?」

綾なんとかレイさん…。

「もしかして、私のこと忘れたわけ?アルツハイマー?若年性更年期障害?ED?」
「最後のは物忘れと関係ないよネ?」
「でも、アナタはED」
「何故?」
「………」

このアマ、黙りやがった。
アレだ、きっと、理由が無いんだ、理由が。
こいつは酷ぇ。

「じゃあ、今日、朝はお元気だったのかしら?」

朝を思い出す。

……!!


「……いい病院ってないかな?」



――僕、不能みたい。

 

 

13、



僕の耳に派手なブレーキ音が響く。
間違いない、この音は惣流さんの車だ。

案の定、浜にいる僕と綾なんとかさんに向かって歩いてくる。
しかも、微妙に怒りながら。

「ん!」
と言いつつ彼女が僕に突き出したのは…雑誌?
しかも、相当古い雑誌らしくてボロボロだ。
『月刊・弦楽器』…まさか、この何の捻りも無い雑誌名は!

「これ、アンタよね!」

惣流さんが息を荒げて、開いたページ。
確かに其処には、何年も前の僕の姿。
ジュニアコンクールで特別賞を貰った時のフォトグラフだ。

「ピクチャー、もしくはフォトでも外人さんには通じるから便利だよね?」
「んな話しはしてないわ!」
「じゃあ何だよ」
「アンタ、会社やめたでしょ」
「うん、社長に辞表、オラァって叩きつけて」
「戯言はいいわ」

何時に無く彼女は真剣だ。

「チェロ、またやるの?」
「うん」
「そっか……」

急に一般女性のように、しおらしくなってしまいました。
逆に怖いよ。


「あなた、チェリストだったの?」

横で大人しく聞いていた綾なんとかレイさんが口を挟む。

「チェリスト…未満、素人以上、かな?」


「同じね」


「へ?」


「私も、チェリストよ」



――僕、ご都合主義の真ん中に。

 

 

14、



綾なんとかレイさんはチェリスト<いい加減名前を覚えたい
惣流さんは何か怒ってる<でも、彼女が僕に惚れてるって展開は勘弁
バカオヤジは音沙汰無し<監視衛星使って監視してても不思議じゃない
僕はチェリスト未満、素人以上<あと、EDっぽい


現状把握のためにダイジェストっぽく走り書いてみた。
EDは恥しがってはダメだと偉大なペレが述べていたので臆面も無い。
ただ、毎朝ヘナっているムスコを見るのは心が痛むよ。

病院はその内、行くとして今日は月刊弦楽器の発売日。
チェロリストを目指す以上は定期購読しなきゃね、やっぱり。
何せ、『これが今の流行だ!弓はアーティスティックに決めろ!』が今回の特集。
これは買わないわけには行かないでしょ!
付録は『猿でも作れるペーパーチェロ』だしね……うぅ〜んいいなぁ。



そんなわけで、月刊弦楽器を読む。
ん?
………
………………
………………………

「僕はいつウサギを追いかけたんだろう?」
「何よそれ?」
「いや、いつのまにかウサギを追いかけて御伽の世界にインサートしてたみたいだ」
「アリス?」
「そうそう、妻みぐい2は買いだよね」
「アンタって前から思ってたんだけど何気に、そっち方面くわしい?」
「そうでもないよ…って、え?」

振り向けば、そこには惣流さん。

「で、何でおとぎの世界になるわけ?」
「だって、ほら」

そう言って惣流さんに見せた、月刊弦楽器の表紙はあのコ。

「あら、レイじゃない」
「ダレ?」
「はぁ?」
「だから、ダレ?」
「綾波レイよ、何いってんの?」
「あぁ、なるほど」

綾なんとかレイさんは綾波レイさんらしい。

「で、ファイナルアンサー?」
「ライフラインで……じゃないでしょ!」

――スパコーン!

「痛っ……」
「何よ、この売れない芸人みたいな流れは!」
「体売りたいの?卑猥だね?」
「………殴られたい?」
「ゴメン」


「それで、綾波さんを何で名前で呼んでるの?」
「仲良しになったからよ」
「そう、安易な展開だね」
「今更よ」
「今、サランラップ?」
「………正直、あんたを埋めたいわ」
「うん、でさ…彼女ってそんなに有名なチェリストなの?」
「書いてあるでしょ…」

どれどれ……。 うわぁ…『第179回オーストリア弦楽コンクール・特別賞』だって。
世界に冠たるコンクールで、凄いな…。


「つまり、この後は彼女を使ってのし上れって展開だな!」



――僕、ナイス読み。

 

 

15、



ということで、ヤります。
彼女をたらし込んで、コンクールに強くプッシュしてもらう、これだね、これ!
僕のこの知性、素晴らし過ぎて涙がちょちょ切れつつもキリモミ回転しちゃうよ!」
「複雑すぎよ!」
「まだ居たの?」
「もう、声に出してたの、とは聞かないのね?」
「ほら、僕ってアメリカナイズされたタフガイだからさ、仕方ないよ」
「そろそろ墓作っとく?」
「破瓜?」
「…………」
「アレ、もしかして恥しい?言葉だけで恥しい?」
「あ゛〜うるさい!!!!!!!」
「エクスクラメーションマーク多用しすぎだよ!DBみたいだよ?」

――バコーン!

ナイス、ガゼルパンチ。



「所で気になってたんだけど、何で僕の家に平然と居るの?鍵かけてた筈なんだけど?」
「アンタのオヤジから貰ったのよ、キーを」
「クラナドいつでるのかぁ…」
「やっぱ、そっち方面くわしいわね……」
「アハハハ……クハハハハ!」
「ムスカ笑いしないでよ、人はゴミじゃないのよ?」
「最近パロディとか一杯、一杯だよね?」
「しみじみと本当のこと言わないでよ…」

何にせよ、あのクソオヤジは何を考えてるんだ、何を!
鍵なんか渡してんじゃねぇよ!

「はぁ〜。取り敢えず僕の個人情報保護のために鍵は返してくれない?」
「……ふん、はい!」

これで安心だ。
明日からの安眠もバッチオッケー。



よし、さっそく綾波レイさんをたらし込むぞ!
あらゆる手段を用いて、必ず僕に惚れさせてやる。

………ア!


「…に、肉体関係なしで大丈夫なのか…なぁ?」



――僕、そういえば不能。