はくひょうをふむがごとし ―【薄氷を踏むが如し】

 非常に危険なことのたとえ。 薄く張った氷の上を歩くように、きわめて危険であるという意。

                                                詩経より抜粋

 

 

 

 

 

3rd Episode : ハクヒョウヲフムガゴトシノ (ウタ)

 

 

 

 

 

ジオフロント。

それはスラム=ルッビス最東端の大森林に位置する黒き卵……。

今もなおネルフが本部を置く臆病者達の城である。

今、そこにシンジとカヲルが足を踏み入れていた。

 

 

 

―――先刻。


「今度は…こっちから行かせてもらう……。」

そう呟いたシンジの殺気と闘気は膨れ上がりヒカリとマヤを震え上がらせていた。

と、同時にマヤが失神した…。

否が応でも解らされたのだ…自分達とシンジの格の違いを……。

ギリギリの所で踏みとどまったヒカリは、それでも圧倒的なシンジの殺気の前で立つ事だけで精一杯だった。

シンジの体が黄金(こんじき)に染まっていく。

そして……シンジの“word”が解き放たれる……。

ズドオォォォォウゥゥン!!!

「ア゛ア゛ァァァーーーーーー!」

刹那。 何かが…そう何かが大地に爪痕を残し……同時に…ヒカリの体を引き裂いた。

今度こそ正真正銘のヒカリの体を…。

ビシュッ!!

が、その時……シンジの頬を銀色のナイフが掠めた。

「無事ですか?」

ハッとヒカリの方を見ると、其処には笑顔を顔に貼り付けネルフの制服を身に纏ったヒカリを抱き起こす男が居た…。

「……何者だ…?」

シンジは殺気を込めて問う。

「これは、これは碇シンジ様。 私はラグナ、ラグナ=ロンと申します。」

シンジは確かに焦りを感じていた…。いつのまにか自分の間合いに侵入し、あまつさえナイフを投じてきた。

しかも、それらの行動を全く自分に気付かれずに…。

まさかネルフにこれほどの実力者が居る筈はない…そう思っていたからこそ、焦りを感じていた…。

「今回は引いてはくれませんかねえ?」

とロンが提案を持ちかける。

「引け…だと…?」

「ええ。」

ロンは不適な笑みを作る。

「………フン! いいだろう……引いてやるよ…。」

シンジは幾分か考えを巡らせ頷く。

「だがな……1つ寄越せ…。」

「1つとは?」

「そいつのことだ…。」

シンジはヒカリを指差す。

「洞木様ですか?」

「ああ。 何故そいつが来た? 実力的にも、経験からいっても…全くそいつが来る意図が見えない…。 伊吹は俺の完璧な複製, それを作る……目的はそこ等だろう?」

「流石に鋭い。 伊吹様は正しくその通りですよ。 洞木様は鈴原様、彼のためといいますか、自分のためといいますかねえ。」

「(トウジ…だと…?)」

「……まあ…来れば…解りますよ……。」

途端口調が変わり…殺気が辺りを…走った。

ズドン!!

轟音と共に白煙が舞い散り其処にはマヤの姿もヒカリの姿も、そしてロンの姿も存在しなかった…。

 

 

 

 

―――ジオフロント。


シンジは先ほどの事を思い出し歯を軋ませる。

如何しても、ロンにいいようにあしらわれた…そんな感じが拭えなかった。

シンジが深く思考に沈んでいると前方から車が向かってきた。

その車は2人の前に止まるとドアを開け放った…。

「フン! 丁寧なことだ…。」

シンジは戸惑いもせずに車に乗り込み、カヲルもそれに続いた。

「自動操縦か…。」

車には運転手は存在せず勝手気ままにハンドルが振れていた。

 

 

―――ネルフ本部。


ネルフ総司令でもありシンジの父でもある碇ゲンドウ…。

そして、そのゲンドウの補佐を務め同じく母でもある碇ユイ…。

その2人がシンジ来訪の知らせを聞いたのは、つい3分ほど前だった。

「ユイ……覚えているか……シンジが最後に此処に来た時のことを……。」

「ええ…。 勿論覚えているわ…。」

「……俺達は……シンジを救えるのだろうか……?」

「……あの子は……あの子は死なせません。」

「そうか…。 そうだな…。」

 

 

ネルフ副司令でありユイ復活に伴い自分自身の執務室へと篭りきっている冬月コウゾウ…。

この初老の男がシンジ来訪の知らせを聞いたのは、5分ほど前である。

コウゾウの目の前にはロンと共にマヤが立っていた。

「ふむ、そうか…。」

「はい。 “word”は聞き取れませんでしたがサードの刀から何らかのエネルギーが放出されたように見えました。」

「…やはりな。あの時既に“user”になっていたとは……。」

「冬月様、あの時とは?」

ロンが疑問を口にする。

「そういえばあの時ロンは、まだ中国支部にいたな…。」

 

 

 

―――2016年。


発令所では復活したユイ、キョウコを始めミサトや加持、アスカやレイらのシンジに関わりが深い者達がシンジを待ち侘びていた。

一方、ジオフロント内の廊下には両脇を黒服に固められたシンジがいた。

シンジはハァと溜め息をつく。

無事だった北海道の山奥の村で、静かに修行をしながら生活をしていたというのに、それを邪魔されただけでなく村人達にまで迷惑をかけてしまった。

「(やっぱり…あの時殺せばよかったかな……。)」

事実シンジはやってきた黒服達10人程を殺したが、村人を人質に取られ不本意ながら此処まで来たのだ。

周りの黒服達の絡まるような視線に流石にシンジもそろそろ我慢の限界だった。

暫くして発令所の前へと差し掛かった。

シュッ!

空気の抜ける音と共に扉が左右に開き、黒髪を後ろで縛った男――シンジが入ってきた。

その姿にユイは歓喜し、涙を流しシンジに駆け寄った。

「シンジ!!」

駆け寄り抱きつくユイとは対称に、シンジの顔は無表情を形作っていた。

そして、さもめんどくさそうにユイの手を払うと口を開く。

「僕は修行で忙しいんですが…何か用でもあるんですか? …村の人達を人質に取るほどの…ね…。」

その言葉にゲンドウは黒服達をキッと睨むと言葉を発する。

「……シンジ……戻ってはくれないか…?」

シンジは、いや其処に居た者の総てが内心驚いた。ゲンドウが頭を下げた事に…。

が、それに対するシンジの態度は予想に反していた。

「……戻る? ……何処にだい…? まさか、父さんと母さんと暮らせとでも言うの?」

「…ああ、そうだ…。」

「……なかなか面白い事を言うね? ……悪いけど僕の居場所は父さんと母さんじゃないんだよ…。」

シンジの言にユイの足は竦み、膝が床にペタリとつく。

「…じゃあ…じゃあ、アンタの居場所は何処なのよ!」

重苦しい空気の中、真っ先に口を開いたのはアスカだった…。

「僕の居場所は僕自身さ…。」

そう言うと、シンジはその身を翻し出口に向かった。

しかし、その前を黒服達が遮る。

「ガキ…まだ司令と司令補佐の話は終わっていないぞ…。」

この距離では先ほどの話は聞こえていないらしい。

彼らとしてはただのガキが天下のネルフ総司令とその補佐の話を一方的に切り上げたように写ったのだ。

この短慮な行動がシンジの心を更に冷ました。

「………切。」

シンジが呟き、そして…

 

ズゴオォォォォウゥゥン!!!

 

巨大な爪痕が床に印され、黒服達の体は声をだす暇もなく…縦に裂けた。

「……次は…殺すよ…。」

最早、シンジを止める者は誰一人として居なかった。

 

 

 

冬月は1年前を思い出し、ニタリとする。

「ロン…。」

「はい。」

冬月の呼びかけにロンは部屋を後にする…。

「マヤ…服を脱げ…。」

「……はい…。」

マヤが服を脱ぎ去り磁器のような白い肌を晒した。

豊かな双丘と濡れそぼった秘所が顕になり、冬月の皺の深い手がマヤの秘所に伸びた…。

 

「……醜いですね。」

ドアを出た直後、ロンが呟いた…。

 

 

 

その頃、惣流アスカと綾波レイはベンチにもたれていた。

「……ねえ、レイ…?」

「なに…アスカ…。」

「私…シンジに会って如何したいんだろう…?」

貴方の事は知らないわ…。」

「じゃあレイは如何なのよ…?」

「私…? 私は碇君と…身も、心も、1つになりたい…。」

「………そう。 私も…多分…」

と、アスカが言いかけた途端に…

「シンちゃんの事が好っきなのよね〜?」

葛城ミサトがアスカの言葉を遮った。

「ミサト! アンタね〜!」

「な〜に怒ってんのよ! ホントの事でしょう?」

「………そうだけど。」

「あら、妙に素直ね…?」

「……でも何で今さらシンジが来たの?」

「さあ? 心変わりでも有ったんじゃないの?」

「……1年前…私はもう絶対にシンジと会う事は無いと思ったのに…。」

レイもミサトもそのアスカの言葉に黙りこくる…。

自分達もそう思っていたからこそ…。 もう二度と会えないと思っていたからこそ…。

 

 

「ユイ、シンジが着いたそうだ。」

「……ええ。」

ゲンドウは部屋を後にする…。

 

 

 

「フン! やっとお出ましか…。 ゲンドウ……聞きたい事がある…。」

特別に設けられた部屋内にて待たされたシンジは、開口一番に疑問を口にする。

「………何だ…?」

ゲンドウが憮然とした態度で、あまつさえ実の父を呼び捨てにする息子に向かって素直に答える様は昔では考えられないものであり、後ろに待機するガード達は少なからず驚いた。

「……トウジは…何処だ……?」

「鈴原君か……? 彼がどうかしたのか?」

どうも話が噛み合わない。

「……隠している訳ではなさそうだな…。 ならば洞木と伊吹…それにロンとか言う奴を俺に差し向けたのは何処の馬鹿だ?」

シンジの殺気が徐々に膨れて行く。

「………彼女達がお前を襲った…? 馬鹿な! 私は何も聞いていないぞ!」

「フン! なら用はない…。 邪魔したな…。」

とシンジが踵を返ドアへと歩み寄る。

「待てシンジ…。 鈴原君ならば交通事故で入院している筈だ…。」

「交通事故…だと? 仮にもトウジは第一世代(ファースト・ジェネレーション)だぞ…。 交通事故程度で入院だと?」

「分かっている。 調べは進めているが……特定には至っていないのが現状だ…。」

「……少しは使えるようになったようだな…この組織も…。 まあいい…。 何処の病院だ?」

「案内させよう…。」

シンジは案内され、トウジの入院する病院を目指した…。

 

 

 

其の頃カヲルはシンジと行動を別にし、ネルフ内を散策していた。

いや、散策ではなく捜索が正しいと言える。

ある1つの気配を使徒だったころの感覚に頼り、体中のアンテナを張り巡らせ探していた。

「此処だ…。」

ある部屋の前でピタリと停まるとカヲルはもう一度気配を探り、ドアの中へと入っていった。

ドアの中は異臭で溢れていた…。

血の臭い、腐臭、精臭……それらが入り混じり立ちくらむような臭いが立ち込めていた。

床には転がる、人…人…人…人の、死体の山。

ある者は胴を切り離され、ある者は片目をくりぬかれ、ある者は得体の知れない生物を移植され……無造作に転がっていた…。

その最奥に、両手を吊るされ血みどろになった少女がいた…。

その瞳は死んだように濁り、何も映してはいなかった…。

「サク……。」

カヲルは目の前の少女を確認するとギリッと歯を軋ませた。

プシュー!

突如エアの抜ける音と共に何者かが入ってきた。

「何だ…貴様は…?」

その男は当然とも言える疑問を口にした。 本来一部を除き誰も入る事は出来ない此処に自分の知らない者が居る…。

それは男の警戒心を最高値に持っていくには充分な理由であった。

「アナタこそ……何者ですか?」

カヲルは強い殺気を言葉の内に秘めて同じ疑問を返した。

カヲルは感覚的に、いや本能的にこの男がこの部屋を作り出した張本人でありサク――サクノをこの状態に陥らせたことを

確信していたからこそ殺気を込めた。

事実、それは間違えようのない真実であった…。

「私か…? 私は世界最高の科学者カズヤ、カズヤ=ロンだ!」

カズヤは己の殺気を物ともせずに、堂々とカヲルの怒りへと触れることを言ってのけた。

「世界最高…だと? 貴様は此れだけの者をモルモットにしながら、そうのたまうのかい?」

人を殺す事には何も怒りはなかった…それでも気にいらないモノは気に入らなかった…。

「ッフ…何だ? 昔のお仲間を心配しているのか? ……渚カヲル君…いやダブリス君…。」

その瞬間、カヲルの中で何かが弾けた。

「……殺してやるよ。」

 

 

 

 

―― to be continued.