ちいん ― 【知音】
心の底まで理解しあった友人。 親友。 知り合い。 知人。
大辞林第二版より抜粋
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9th Episode : チインノ 詩
恐山。
嘗て霊山と恐れられた東北の北端に位置する山である。
が、今ではその面影は無くただの山となっていた。
『審判の刻』による地殻変動により、なだらかであった傾斜も今では切り立った崖となり、その側面は荒く岩と砂で構成されていた。
その側面に一つの洞穴が敷居を構えていた。
ポッカリと開いた穴の中にはタンス、蒲団、ござ、と生活感溢れる家具が並んでいた。
その最奥で瞑想を行う人物こそがシンジが訪ねる者…シンジの師である…。
シンジは森の奥に入ったところで懐かしさを感じていた。
修行の地であるこの恐山の麓の村。
何ヶ月ぶりの訪問かは既に忘却の彼方だが、感じる森の空気がシンジの気分を幾分優しくしていた。
しかしシンジにはその空気に浸っている暇など無かった。
シンジは再会を懐かしむ村人を尻目に自分の師が住む洞穴を目指した。
既にこの村に入った時点で師が自分を感じ取っている事をよく解っているからである。
「(……師匠の並外れた察知力の高さから考えるならば…おそらく2分ほど前から俺が村に入った事は解っている筈だ…。)」
と、シンジは足を早める。
―――1分後。
「……相変わらずの高さだな……。」
恐山の遥か高峰を見上げシンジが呟く。
上へと向けたシンジの顔はほぼ90度近い角度を地上に対して作っていた。
つまり、シンジはほぼ真上へと顔を向けており、洞穴がどれほどの断崖絶壁に在るのかを如実に物語っていた。
「…行くか。」
シンジは首を左右に二度ずつコキッと鳴らすとガシリと崖に両の掌で掴みかかった。
―――3分後。
シンジは自分の瞳に洞穴を捉えると崖の側面を掴んでいた手を一気に持ち上げ、洞穴の前へと立った。
「……師匠…。」
洞穴の最奥で瞑想を組む己の師を見てシンジは唾で喉を鳴らした。
其処には灯りが無い暗闇の中で、ポウッと炎のようなオーラを放つシンジの師が居た。
「(……何もしていなにも関わらず汗が噴き出してくるとは…。)」
無音とも呼べるような静けさの中、深く言葉が響く。
「…シンジか?」
「…はい。」
「のこのこ何しに来やがった?」
師の双眼がゆっくりと開かれて行き、鋭い視線がシンジに向いた。
「……カタコンベ…。」
穏やかだった師の気に若干の乱れが見える。
「……その盟主シヴァ=モーゼル……そして……」
「盟主が右腕は誰か………ってことだろう…?」
シンジの声を割るように洞穴の出口の付近から声が発せられた。
「貴方は…?」
シンジが己の言葉を遮った黒衣をその身に纏い長く垂れた銀髪を携えた男に 向かい疑問をかけた。
「私か…? 私は暗黒を統べし宵の帝王たるモノ……闇の皇……コクヤ=アーリマンという者だ…。」
「コクヤ…貴様…何の用だ…?」
師がコクヤに語り掛ける。
「シヴァ様が右腕……北を統べし神話の帝王たるモノ …ノース・ガバナー……サガ=トップよ……シヴァ様が御呼びだ……早急に来なければ命は無いと思え…。」
師――サガ=トップが口を開く。
「……コクヤ……俺はシヴァには従わない…それは幾度も告げた事だ…。」
「ならば私がお前を消すしか在るまい…。」
コクヤの黒い双眼が妖しく蠢きだす…。
「師匠…。」
暫し静観を決め込んでいたシンジが言葉を発した。
「(……シンジ=イカリ………シヴァ様が粛清なされたモノか……シヴァ様もこの様なモノに“word”をお使いなさるとは…。)」
コクヤの双眼が更に深く漆黒へと染まっていく。
「なんだ…シンジ…?」
「師匠……貴方がシヴァを否定しているのは解った……だが……その理由は……?」
「……理由…か…。」
サガは一瞬チラリとコクヤへ視線を移すとシンジに答える。
「……ガイア・インテンション……それが気に入らなかった…ただそれだけだ…。」
ギャリュウゥゥ!!
突如サガの体が黒き闇に覆われた。 いや包まれたと言うべきか、サガの体はスッポリと黒い球体に収まっていた。
「それ以上は口にするべきではない…。」
コクヤの体が虹色に煌く。
「(……また…また俺より高位の“color”だと…?!)」
「丁度いい……このままシヴァ様が御前に連れて行くか……。」
一歩ずつ出口へと歩みを進めるコクヤの禍々しいオーラを前に、シンジは――
「(クソッ!クソッ!クソッッッ!!!!)」
――震える足を己が拳を打ち付けていた。
シンジは己が恐怖に、コクヤという恐怖に怯えている事を理解し唇をギリッと噛んだ。
悔しかった。
――動けない自分が…。
――恐怖した自分が…。
――何よりも…また負けた自分が…。
シンジの唇からは血が一筋垂れ落ち、シンジの拳にピチャリと珠を作った。
その瞬間…シンジの脳裏にヴィジョンが流れ落ちた…。
―――2015年。
ザーザーと雨音が響き渡り雷鳴が轟いていた。
風は案外弱く軽く撫でる様な風が辺りに吹いていた。
『村』では降りしきる雨から身を隠すように総ての者達が家へと入っていた。
――1人を除いては…。
「……ん?」
その一人、サガ=トップが怪訝な声をあげる。
その視線の先には『村』の入り口のあぜ道に倒れこむ少年がいた。
「…行き倒れか……道に迷ったか…何にしろ、このままはヤバイな……。」
「……ッグ…ウゥ……。」
「…生きてるか…?」
サガが少年に問う。
「………何だ……その瞳は……?」
サガが少年の体を起こし、その顔を覗き込んだ。
「…媚びるな。 媚びれば一生飯には困らない…。 だが…一生鎖で自由を縛られる…。」
サガは少年の体を放ると自分の穴へと戻っていった…。
「あの時…俺の甘えを消してくれたのは……独りで生きろと教えてくれたのは……闘いを教えてくれたのは………。」
シンジは瞳を前へ向け、右手を前へと突き出した。
「紫鬼よ、 来いッッ!!!」
ルゴウゥゥゥ!!!
バゴウゥゥゥン!!!
天井を突き破って出現したモノ…それは正しく魔刃『紫鬼』であった。
「今、この刻に役に立たないのならば……こんな足など必要ない!!!」
ザシュッ!!!
その瞬間、黒き呪符の戒めから解き放たれた紫の刃は……シンジの両足を切断した……。
血飛沫が辺りに染みを作り、シンジの両足が地をテンテンと転がった。
出口付近でその瞬間を目の当りにしたコクヤはニヤリと口を歪める。
「(……このひりつく様な波動……実に…愉快……血が騒ぐな……。)」
コクヤの瞳が爛々と瞬き始める。
「……十二使徒アンデレ……エイク=ワンよ……サガを連れて行け……。」
「ハッ! しかしコクヤ様は?」
岩陰から長髪を後ろで束ねた男が顔を覗かせた。
「私は宴を催そう…宴をな…。」
エイクはその言葉でコクヤの意図を理解し、黒球に包まれたサガを見据えた。
その姿を確認したコクヤは両足を自らの意思で失ったシンジへとゆっくりと歩み寄った。
「お前を消しておく必要がある……今…この場でな…。」
サガは考えていた。
この状況をどう打破するかを…。
事実、自分独りであるならば簡単な事だった。
この黒球を破りエイクへ一太刀加えて、逃げればいいのだ。
が、今は自分の他にシンジがいた。
「(………世話のかかる弟子だ……。)」
サガはスゥと息を一度吸い込むと唱え始めた。
「………来るがいい……バルハラに玉座を掲げし数多の名を称えるモノよ……!」
なおもサガは続ける。
「………降臨りるがいい……アサの神々を統べし北の支配者よ……!」
サガの体が虹色の波動を放つ。
「ナッ! 何だこの波動は……!」
エイクが叫びをあげる。
サガのもつ輝きが形を成し、棘となって黒球を突き破った。
コクヤがハッと後方を見た。
「(サガめ……使うつもりか……!)」
シンジはその一瞬の隙を逃さず紫鬼を振るった。
そう遠くない位置に居るコクヤは充分過ぎるほどに紫鬼の刃が届く範囲であった。
「影切!!」
ギャリュウゥ!!
影切は飛燕の太刀である。
影を切り裂く程の速さで真っ直ぐに縦に斬ることで、およそ想像の付かない程の切れ味を発揮するのだ。
足が存在せず踏ん張りが効かないこの状況に於いてもそのスピードは群を抜いていた。
が、その超速の太刀がシンジの目の前で止められていた。
――コクヤの人差し指によって…。
コクヤは顔を真後ろに向けたまま、ピタリと刃が降りる位置へと人差し指を向けその威力を受け止めた。
だが、コクヤはシンジの方へ顔を向けることなくサガを見据えた。
神々しい程の虹色の奔流が周囲を覆いサガの体が更に輝きを増した。
「Odin!!」
サガが“word”を唱えた瞬間……サガは別のモノへと変化した…。
「(こ…これがサガ様の“word”……北欧神……オーディンを体現する……サガ様のみが手にした“c.l.-word”……。)」
エイクがそのオーラにたじろぎつつサガの力を再確認する。
「ヘルブリンディ!!」
サガの叫びが辺りに響いた。
コクヤが目を見開く。
「(……ヘルブリンディ……北欧神話が記される『エッダ』に於けるオーディンの数ある呼び名の一つ……。 意味は…)」
ゴオォォウ!!
コクヤの思考を遮り、何筋かの光がコクヤの瞳を貫いた。
「(…意味は…『戦士の目を眩ます者』…ック!)」
コクヤは両膝を大地に着けた。
刹那、サガが両手を俊敏に前に突き出した。
「ユグドラシル!!」
天の上まで伸び、その枝葉は全世界の上に広がり、三本の巨根を持つ、と言われる世界樹ユグドラシル。
その名の由来は数あるオーディンの別名の一つ、『恐ろしき者』を意味する『ユッグ』と『馬』を意味する『ドラシル』 の合成語であり、オーディンがこの木に吊られて苦行した末、ルーン文字と呪術の秘密を手に入れたという伝承からきている。
その名が顕す『オーディンの馬』をサガはシンジへと解き放った。
『オーディンの馬』、八つの脚をもつ聖馬スレイプニルはシンジを背に乗せると疾風の如き速さで穴を飛び出し天を駆けていった。
シンジはスレイプニルの背から朦朧とした意識の中で、その瞳にサガと……そしてコクヤを捉えた…。
「…コクヤ……俺には解っているぞ……貴様の目は何とも無い事をな……。」
コクヤはニヤリと笑ってその双眼を開き体を起こした。
「…流石だな…。」
「…貴様こそ…闇の皇の名は健在だな……。」
バサッ!
コクヤが身に纏っていた黒衣を脱ぎ去った。
「………お楽しみはこれからだ…。」
バッ!
コクヤの背からニョキッと黒い蝙蝠を思わせる翼が現われる。
さらに歯が鋭さを増しより鋭角に変化し、漆黒の瞳が爛々と黒光を放つ。
さながら…古来より伝わる……吸血鬼……ヴァンパイアの様に…。
「永きに渡る因縁に……」
――サガが構えを取る。
「今こそ……」
――コクヤの瞳が輝く。
「「決着を!!」」
――閃光が迸った…。
―― to be continued.