打倒せよ。
1発。2発。3発。4発。5発。6発。7発。8発。9発。
大サービスで9発もくれてやった弾丸は1発たりとも受け取って貰えなかった。腐った卵の白身に泥と汚水を流し込んだような――そんな
吐き気のする目がミサトを睨む。そこにあるのは嘲りと落胆だ。
「つまらん。つまらんな。何ともつまらん」
その声はいかつい体には似合わない、やたらと高くて澄んだ声だった。男は本当につまらなそうな顔で無造作にミサトに接近すると、
その首目掛けて腕を下ろす。首を掴むとそのまま片手で持ち上げ、濁った瞳でミサトを貫く。
「ミサト=カツラギ。君は本当につまらん。もう、終わりにしよう」
ミサトはその声すらよく聴こえていなかった。
9発もの弾丸を避けられ、その度に拳でいたる所を砕かれ、最早意識も砕けかけていた。《Gate》によって予告なく現れるその拳を
避けることなど出来ない。間合いも計れず、予測も付かず、全方位から浴びせられる拳撃は容赦なくミサトの心と体を壊していった。
ミサトの深く暗い意識の底で誰かが囁いていた。目をつぶれば終われると、逃げてしまえば楽になれると、死んでしまえと。
(残念だけど、私って無宗教だから、悪魔の囁きとか効かないのよね)
横たわった意識のままで、耳元の何かを指で弾き飛ばす。
(目をつぶるな、逃げるな、死ぬなってずっとあの子達に言ってたのは誰? 一体誰なの?)
――自分だった。
だから、瞳を開いた。同時に、逃げずに戦おうと意識を研ぐ。
瞳を開いた瞬間に見えたのは二度と見たくないような最低の肥溜めみたいな目だった。ムカついたので首だけ動かして首筋に噛み付いて
やった。
男のカエルが潰れたようなアホみたいな悲鳴に少し気分をよくする。
「まだ来るか。まだ来るのか。来い。来るがいい」
男の不気味な笑みに吐き気を催しながら、ミサトは再び銃に弾丸を込める。それだけの行為で体中が悲鳴を上げているのが分かった。
血は殆ど流れていないが、骨や内臓がガラクタ同然だ。それでもガラクタだろうと動くなら構わない。斜めからチョップでも食らわして
やればテレビだって動くのだ。テレビが動くんだから人間だってガラクタだろうと動く――勝手にそう決めると、ミサトは思考を疾走
させる。
人間の動体視力で銃弾を避けるのはどだい無理な話だ。いや、《word》によっては可能だろう。しかし、男の《word》は《Gate》――黒い
扉で2つのポイントを繋ぐだけだ。
ならば、どうして男は飛んできた銃弾を黒い扉へと向けられるのか。その黒い扉を現出させる行為とて弾丸が銃から飛び出た後では
間に合わない。つまり、銃弾が飛ぶ前に既にそれがどこに向かうのかを察知していることになる。
(――経験。この男、相当場数を踏んでるんだわ)
そう、つまりは絶対的経験に基づく確定的な勘なのだ。男は勘に頼って黒い扉を現出させ、9発もの弾丸を無力化したことになる。
それは脅威だった。その経験は危険だ。
確かに歴戦の兵である男にとってミサトは生まれて間もない赤ん坊にも等しい。男にとって赤ん坊の動きなど単純で鈍重で何とも
退屈なのだ。だからこそ、つまらないし動きも先読み出来たのだ。
だが、同時に赤ん坊の成長は驚くほど早い。
そして、時に赤ん坊は大人が予想も出来ないことをするものだ。
+++++++++++++++++
嫌な予感がしていた。いや、これは確信だった。
(何か……何かが来る)
身を焼くような、それこそ、真っ赤に熱された尖りが身をつつくような感覚。奇妙な感覚だった。熱く痛く、それなのに凍えるように
冷たく、身を覆うように優しく、そして溶けるように甘く。
「シンジ君? どうしたんだい?」
しかも、カヲルは感じていない。ああ、そうかと思う。シンジのみに向けられている感覚なのだ、これは。シンジのみを標的とし
シンジのみを対象としシンジのみを包み、シンジのみを誘っていた。冷熱と痛みと愉悦が誘っていた。
「少し行ってくる」
「……嬉しそうだね」
「デートのお誘いだ」
「妬けるね」
「妬くなよ」
走り出す。
そもそも、こんな地下まで自分のみを対象に殺気と歓喜を向けてくる存在など何者なのか。
今、シンジは打ち抜かれているのだ――すぐ近くにいるカヲルにすら感じさせないほどに、細く鋭く研ぎ澄まされた殺気と歓喜の
連なりに。細く鋭く、シンジの心を貫通してしまっている。まるで恋だとシンジは笑った。
それは空にいた。
ダークアッシュの髪がゆらゆらと波打ち、空中に拡散している。
それは空にいた。
右目に走る大きな傷跡。左目に宿る静かな炎。
それは空にいた。
体から放たれる七色の光が波紋のように空気に浸透していく。
それは空にいた。
獣の如く、人が如く、這うように、揺れるように。
それは空にいた。
誘うが如く、遠ざけるが如く、愛すように、殺すように。
見ただけで分かるというものだ。それこそがシンジのデートの相手だった。
鋼のような肉が誘い、飢えた獣のような隻眼がシンジを欲していた。
本当は何か言うべきだったのだろう。だが、シンジは何も言わず、彼も何も言わず、ただ互いが互いと頭の中で戦い始める。
存在を競うような、ただの気合のぶつけ合い。互いの存在を削ぎ、抉り、崩し、ただそれだけの戦い。
数秒の後、シンジの体中の毛穴という毛穴が口を開けた。
――ゾクリと虫が這い回るような衝動と折れた牙が全身を駆けずり回る悪寒。
飢えた獣など生易しかった。
彼は飢え、乾き、欲し、そして半死。棺桶へと足を踏み入れた手負いの獣。飢え続け、それを潤してもなお飢え。常に飢え続けるが
故に、常に欲す。常に這い続け、常に足掻き、常に飢えを癒さんがために欲す。
彼は強く。そして、己が強いことを自覚し驕らず蔑まず常に誇る。
彼の存在はシンジにとって異質以外の何ものでもなかった。低く低く、底から自分を見上げているにも関わらず、その意思と力は
高みにあった。自分より上の存在が自分を見上げている図に、シンジはゾッとした。
そして、耐えられなかった。
拳を握りこみ、空中に静止する男目掛けて飛び上がる。これ以上、存在をぶつけ合えばどうにかなってしまいそうだ。
それならば、まだ――まだ戦ってやられる方がましだ。
何も考えず無遠慮に間合いに踏み込むと、拳を突き出す。幸か不幸か何も考えず打ち出したが故に、その一撃の威力はシンジが
出しえる極限だった。
「笑止――」
男の口が開く。
男――シヴァ=モーゼルの動きは一瞬。そして、僅か。
同時に、シンジの腕が地に転がった。
Episode 04 : シヴァ=モーゼル
ずらせばいい。その確信的勘を超えるか潜るかして、とにかく見当違いのタイミングで叩き込めばいい。
だが、半端なずらしは逆効果だ。その半端なずらしすら男の予想し得る範疇にある。
(――ならば、その予想を超えてなお先に!)
今の武器は3つ。
自身の《word》――《Grow》と銃。そして、銃よりも鋭く強い――
(この頭)
考えるしかなった。考えることを止めることは諦めることだ。諦めることは死ぬことだ。
死ぬわけにはいかない。意地でも死んでやるわけにはいかない。生き足掻き、限界まで這い続け、そして、
(逃げはしない!)
力を開放する。赤だった《color》が黒く変色していく。意思が決意が覚悟がミサトの《color》を変質させる。
より強き色へとより強き力へとより高く高く。
「ほうほう。《up》か。《up》なのか」
男が奇怪な笑みを顔に貼り付ける。それは恐怖にも似た甘い愉悦。
《color》の《up》は同時に《limit》の拡大を呼び起こす。より遠く広い位置で『成長』を引き起こすことが可能になったミサトは、手
始めに先ほど砕かれて床に落ちた爪の欠片に力を注いだ。
粉々になった爪が再びその形を取り戻すべく成長する。だが、男の足を刺す筈だったその尖りは男へは至らない。
未だ男の予測を超えてはいない。予想の範囲内の出来事だ。
最もミサトとてそれは分かっていた。ただ、試しただけだ――今の自分の《limit》を。自己の能力の把握は強き戦士の絶対条件にし
て必要条件だ。
(半径7メートルの円形ってとこね)
操るべき駒は揃った。後はどう動かして、男を、男の予測を打倒するかだ。
再び右手の爪に力を込めて鋭く強く成長させ、簡易ナイフを作り上げる。
「こりない。全くこりないな君は。それは通じない。通じないと分かっているはずだ」
分かり過ぎるほどに分かっていた。いくら鋭くしたところで爪は爪。男の鋼よりもなお固い筋肉を破れる筈も無い。
それでも左手も同様に凶器へと変える。
ミサトは体を低く保ち踏み込む。キリキリと体の皮が剥がれ落ちるような激痛が
体の裡――内臓から襲い来るが、気にも留めない。両手を交差させるように横から
振る。
だが、ミサトの両の手が男を捉えるよりも早く、既に男の体はスウェーを開始している。後方にずらした男の上半身の上で、
ミサトの手と男の手が踊り狂った。
男の両手が突き出された爪を手套で叩き割り、そのままミサトの手首を掴む。素早く頭を床につけブリッジの体勢を作ると、その勢いで
ミサトを放り投げた。
ああ、浮いてる――と呑気な事を考えながら、ミサトは宙を舞う。背中に衝撃。グシャリと、そんな音が自分の体から聞こえた
気がした。そろそろやばいのだろう。
グラつく頭と勝手に震える体に命令して立ち上がろうとする。しかし、体は起き上がろうとせずに、ただ這うだけだった。
無意識に近い感覚で、砕けて床に落ちている自分の爪の破片を拳に握り込んだ。
「それは予想していたよ。もう終わろう。終わろうじゃないか」
ミサトが見上げると、そこには相変わらず見たくも無い男がいた。
腹ばいの姿勢で腰に差した銃へと手を伸ばす。その行動を男が見逃す筈も無いのだが。
「ほら、これでどうだ」
無造作に、それこそ何の考えもなしに、男は構えられた銃をミサトの手ごと蹴り上げた。ミサトの手から銃が離れる。
その黒い銃身は高く高く舞い上がり、遠くへと落下する。
「さあ、終わろう」
「それは、予想していた」
ミサトが笑う。
次の瞬間、遥か後方の銃が火を噴いた。
そのトリガーには爪の欠片。握り込んでいた破片が1つ。ピタリとはめられた破片が成長し、トリガーを押し込んだ。
「ガッッ!」
男は予想外の銃弾に身を捻る。その動きは見事だ。
だが、今まで予想し、その全てを最小の動きでかわしてきた男のものではなかった。速いが動きが大きい。
それで充分。弾丸を当てるつもりもないし、当たるとも思っていなかった。ただ一瞬の隙が欲しかった。
「それも予想していた」
その大きな動作をミサトは見逃さない。起き上がらずに体を休ませことで得た、ほんの少しの回復。そして今一撃を
放つ。迅く。ただ迅く。この一撃に全てを込めて。
迅さとは強さだ。強さとは威力だ。威力とは打倒だ。
迅速が生み出した絶対の破壊力がメリッと男の体に刺さる。そして、ミサトは力を込める――拳に握り込まれた爪の破片に。
先程までは刺さりもしなかった。だが、今は押し込められ腹筋の力は抜けている。
それは、まるで萌芽。
春に芽吹く小さな命の如く、白い牙が男の腹を破り身体へと食い込む。男の柔らかな裡を蹂躙し、食い尽し、暴れ回り、冒し、侵し、
犯し、冒涜し、打倒し、打ち破り、崩壊へと至らしめる。
――故に、それは崩牙。
男の息は絶えた。
ボロボロの体を引きずりながらミサトは部屋を後にする。
胸に残るのは今にも意識が折れそうな体の痛みと、何もかも上回っていた相手を打倒したという満足感だった。
「いや、ちょっと違うか」
たった一瞬、自分は男の勘すら凌駕したのだから。
「それも、予想通り――なーんてね」
ぐるりと視界が暗転し、意識が消えた。
+++++++++++++++++
着ている服を破り、右腕の切断面より少し上に巻きつけた。応急処置だが何もしないよりはマシだ。
いつかすら――いつ切られたかすら分からない。それどころか、どうやって切ったかすら分からない。だが、推測は出来た。
今の世において不可思議な事が可能なのは科学と《word》だ。
変な武器を持っているか、相手に悟られずに切り裂く《word》を持っているか。
後者ならば随分と納得がいく。何せシヴァは浮いている。空気を操っているのか、風を操っているのか――ともかく浮いている。
そして、空気も風も見えない刃となる事が可能だ。故に、シンジは《word》と判断する。
(《Sky》か《Air》か《Wind》か《Fly》か……何にせよ、速く鋭く強い。紛れも無くこの人は強敵だ)
転がった自分の右腕を睨みながら、分析を進める。熱い右腕とは裏腹にシンジの頭は落ち着いている。まだ、大丈夫。
頭が落ち着いていられるのならば、まだ大丈夫だ。自身に言い聞かせ、残った左拳を握る。
筋肉が動くたびに右腕の切断面から気が狂うような痛みが襲い来る。ほんの些細な空気の流れがそこに触れるたび、細胞の1つ1つ
が絶叫しながら果てていくようだ。まるで、死の愛撫。
左の掌に爪が食い込み、血が流れていることに気がつく。既に痛覚は
麻痺し始めている。喪くなった右腕の痛みが鋭すぎて、他の感覚がバカになっている
のだ。
シンジは流れる血を見ながら、何ともなしに《word》を使おう――と決意する。
おそらく、それでも男には届かない。
そもそもシンジの《word》は充分ではない。
《スラム=ウエスト》で受けた《Curse》の呪いが未だにシンジを縛っている。シンジはその縛りを常に、それこそ今のこの瞬間も『斬
り』続けている。呪いを受けた瞬間から死を逃れるためにそう設定し、本能に上書きし体に深く刻みつけた。
常に呪いを斬り続けろ、と。
その襲い来る死を切り裂くのに割り振っている力は大きい。それでも今までは残った力で何とかしてきた。
(流石にこの人は無理だ)
無理なのだ。脳内で何十回何百回シミュレートしても勝てる見込みなど欠片も見付からない。《word》が充分
だとしてもそれは変わりはしない。
普段ならとっとと逃げる。それが最善の選択だからだ。だが、それは正確には『逃げ』ではない。命を繋ぎ、
再び会い見える時を睨んだ一時の離脱だ。
今、シンジは最善を選ばない。
この男とは闘わなくてはならない。勝ち目がなくとも、向かわなければならない。
奇妙な予感と核心。向けられた殺意と慈愛が囁きかける――殺し愛え、と。
(こいつは敵だ。俺と相克し相生する倒さなければならない敵……)
だから、今闘う選択こそ最良。
呪いを斬るのに割り振っている力は、およそ全体を10とするならば8。
ならば、今は残りの2を解き放とう。今の全力を賭けて打倒しよう。
再び左の拳を血が滲むほど握り締める。右腕の断面から感じる熱は燃料にしてしまえばいい。火にくべて、炎を上げ、燃え上がらせて
しまえばいい。
心に呼応し《color》が広がる。熱に溶けて形を失った不定形の銀が光となって大地に波紋を作る。そう、《color》はsilverだ。
深き銀の鼓動が熱を上げて、覆う。
覆う。覆う。
覆う。覆う。覆う。
シンジの世界――《limit》――を覆う。
「斬――!」
シンジの《word》が火を噴いた。
それは文字通りまるで火のように赤い、紅蓮の刃だった。
+++++++++++++++++
To Be Continued to Episode 05.
Next, Shinji will rage because Siva is ...
And, They meet a certain female doctor.
+++++++++++++++++
<後を書く>
グダグダ感は否めない。でも、ミサトを書ききったから満足。
所で俺は「ただ殴りあって、拳で心が通じ合うぜベイベ」みたいな展開が好きな筈だ。
なのに何故こうも無駄に小ざかしい事しちゃうのか。
実は俺が二重人格とかだったら萌えねぇ?<死ぬほど殴られろ