子供はただ明日を待つだけでいい。
集中する。視線は常に前に置き、重心を心持ち低めに。力を放つというより世界に向けて拡大するイメージを持続させる。
そのイメージ通りにカヲルを中心に銀色の《color》が広がり行く。1度自らの《limit》いっぱいまで感覚を広げると、すぐに
《word》を遮断する。繰り返し繰り返し、広げては閉じ、閉じては広げる。より素早く広げ、より素早く閉じるべく繰り返す。
「何あれ」
「鍛錬らしいわ」
その様子をガラス越しに見守るのは、傷も癒え退院したミサトとリツコだ。
「今更、基礎トレ積んでも無駄ってことね」
「ええ。内部筋肉、神経伝達や血液循環の速度もほぼ限界値に近いもの。基礎トレはそれを落とさないために心づけ程度で充分よ」
一方、と隣のガラスを覗く。その先にはトレーニングマシンを操るトウジとレイ、アスカの姿。
「あっちはまだまだって事か」
「渚君がわざわざあの子達の相手をしてくれるなんてね……私もびっくり」
「あれ?その話って1度断られたんじゃなかったっけ?」
「条件付き。基礎的身体能力を現状の10パーセント上げられれば相手をしてもいいとの事よ」
視線の先でカヲルは自らの修練の段階を上げる。作り上げた電撃の電圧を1ミリボルト刻みで調整し続ける。どれだけ修練を続けようと
苛立ちは消えない。地力は確実に勝っている筈の相手――ビャク=ロン――に傷を負わされた。油断、慢心、その全てが苛立たしい。
より正確な電流操作と《word》の高速展開を何度試みようとそれは拭い去れない。
自信も崩れかけている。自信を威信を回復するために、
ただ練磨するしかなかった。何故なら、既に倒してしまった。無様な格好で、腕を1本潰しながら、
自信を回復すべき相手に勝利してしまった。
ただビャクへの完全な勝利こそが苛立ちを払拭するとういうのに、既に勝利を収めている矛盾。それは消えずにカヲルを苛む。
何より気に入らない事実がある。あの勝利は偶然だったのだ。最後に本物の雷を雲より落としたが、あの雷がビャクに直撃する確証は
なかった。雷には例えそれが絶縁物質だとしても尖っているものに落ちやすい性質がある。
《Aqua》のギズィ=ロンと戦った時のように、周囲には瓦礫しかなく背の
高いものがない状況ならば落雷を正確にコントロールすることも出来よう。だが、あの時、周囲には木々が乱立していた。
正確なコントロールなど出来るはずもなく、ただ落としたら偶然ビャクに当たったというだけだ。
身体はほぼ完成している。足りないのは《word》の練度だ。ひたすらに展開し、操り、放ち、錬度を上げるしかない。
そのためには実戦が必要だ。
(悪いけどチルドレン3人利用させて貰う。徹底的に磨く。まずは、雷雲の完全操作を。そして――)
そして、更なる高みを。
+++++++++++++++++
目覚めると、まず目に入ったのは鈍い茶色の岩肌だった。そこから夜露が落下し頬を伝う。冷たさにハッとし体を起こした途端、体
が軋んだ。筋肉というより骨の芯に疲れがあった。
「痛っ……」
その蓄積された痛みに、シンジは小さく悲鳴を上げた。辺りを見渡す。崖を側面から削り取って作られた洞窟内は、湿気がこもっていて
水滴がそこかしこに見える。人の暮らす環境じゃないな、とシンジは思う。だが、ここに暮らす人間は確かにいるのだ。その人物を
思い描く。
どうして気絶させられたかすら覚えていない。三撃入れられた所までは覚えていたが、それ以降は思い出せなかった。ただ圧倒的な
速度で展開される暴力になす術もなく意識を千切られた。速いとか、巧いとか、もうそんな次元では生きていない生物なのだと、そう実感
しただけだ。それ以前にただ強いのだ。人として、生物として。サガだけでなく、おそらくシヴァも。
「まだまだ遠い……」
歯噛みする。どうすればその次元へと至ることが出来るのか、何をどうすればいいのか、そして例えそれが分かったとて、自分は
登ることが出来るのか。
「若いうちから悩むなよ、しわ増えるぞ」
光の差す洞窟の入り口から声がかかる。その背には縄で脚をくくった野鳥を担いでいる。
「世の中がこうなっても野生の動物ってのは強いもんだ。勝手気ままに飛んでんだ」
マッチを擦ってシンジの足元の焚き木に火をつけると、そこに鳥を放り込んだ。高湿のせいで軽く霧がかった洞窟内が、火に照らされ
2人の影を壁面に映す。鳥皮の焼ける臭いが広がり、滴る脂で炎が少し大きくなった。そんな中、
「で、お前何しに来たんだ?」
放たれた予期せぬサガの言葉にシンジは眉根を寄せる。意味が分からない。サガが出した手紙をゲンドウから受け取って、その手紙を
元にここまで来たのだ。用があるのはサガの筈。
「はーん、お前の親父も相変わらず狸の皮被った梟だな」
その経緯を語るとサガはそう言って目を伏せる。面倒くさそうに頭をかくと、言いたかないがと前置きし言葉を続けた。
「そんな手紙に心当たりは皆無だ。お前、親父に騙されたな」
言われてシンジは思い当たる。この今の荒廃した世に、政府ですら国の舵取りを殆どこなせていないこの世に、果たして手紙など届く
のか、と。紫鬼との衝撃的な遭遇に気を削がれて、その程度の事にも気がつかなかったのだ。
大した思考誘導だ、と自らの父親に毒づく。
「まぁ、用がないわけでもないんだがな」
再び眉根を寄せる。こんがりと焼けた鳥をナイフで切り分け、シンジの方にいくつか放った後、自分でも鳥にかぶりつく。
「シヴァ=モーゼルはやめておけ。お前じゃムリだ」
鳥肉を噛み切りながら、顔を上げる。言うべき問いは1つだ。
「何故」
「何故もくそもない。弱虫は引っ込んでろ。お前じゃ100年早い」
カチンときた。気付いた時には目の前にあったナイフを手に取り、サガに斬りつけていた。左手に鳥の脚を持ち、モモ肉を堪能しながら
右手の人差し指を親指を利して弾く。デコピン、というやつだ。その一撃でナイフの刃は容易く粉々に砕け散る。
「沸点低いぞ、シンちゃん」
「そうだとしても。俺が弱いのだとしても、どうして貴方がシヴァを知っている!」
粉々に砕けた銀の欠片を見下ろす。シンジにはそれが自分にしか見えない。
「聞いてもつまらん話だ。それに話すつもりもない」
言い終えるとサガが急に顔を上げ、目を細める。
脚骨を口から吐き出すと焚き火を蹴り飛ばし火を消し、洞窟を後にすべく入り口に向かう。
「もう寝ろ」
再び飛び掛ろうとして、1度腰を落として力をためる。運動エネルギーを解放して駆けようとした瞬間、サガの背が揺らぐ。
その背が負うのは槍の穂先のごとき暴力。殺気が暴虐の槍刃となってシンジを貫通した。
「寝ろ」
獰猛な殺気に膝が笑い、背を汗が伝い、その場に縫い付けられる。立ち向かうように意志を込めて拳を握り、歯を軋ませ、
目に力を入れる。それでも、動けない。体が言うことをきかない。
「お前はな、どれだけ繕って乗り越えた気になっても昔のままだ。無理せず寝てろ。もう大人に任せときゃいいんだ」
一際強い殺意の槍が飛ぶ。
震えながら、強く意志を持ちながら、目に力を込めながら、ただ涙が頬を伝った。悔しさに泣いた。自分の弱さに、心に涙した。
入り口からの月明かりに浮かぶサガの後姿を瞳に捉えながら、そのまま意識が爆ぜ飛んだ。
その背に、気絶してもなお細々と流れる涙声を聞きながら、サガがボソリとシンジに聞こえぬよう呟く。
――悔しさで泣けるなら、また立てる。まだ先がある。まだ終わりじゃない。もう1度、前を見ろ。
と。そして、
「ここからは大人の仕事だ。子供は寝てろ」
洞窟の外――サガの目の前には月光を受ける怪物がいた。
Episode 08 : 北の極点
「遅い」
直拳で叩き飛ばす。次いで左に肘打ち、右に回し蹴りをぶつける。すぐさまカヲルの体を銀色の《color》が覆い、静電気が低く唸った。
それに対してそれぞれ前、左、右方向に吹き飛ばされたアスカ、レイ、トウジは死の予感に身構える。
直後、無数の電流の束が蛇のごとく空気を伝導し3方向に拡散した。
いや、それは3方向というより全方向に向けた、逃げ場が隙間ほどもない電流の投網に近い。
電流の動きは速く、対応判断は一瞬で行わなければならない。無論、これは電流だけでなく戦闘全てに言える。戦いとは一瞬の判断の
積み重ね。一瞬で全てが始まり、一瞬で全てが決す。その資質をカヲルは電流を使って問うているのだ。
前方向――アスカの判断は電流よりなお速い。迷わずガードを固めながら、電流に向けて突っ込んだ。瞬時に電圧がそれほど高くない
ことを見極めた上での合理的判断。被害が少ないと見るや、動かないカヲルへと向かうことを優先した。
左方向――レイの判断は速いのか遅いのか判断はつきにくい。何故ならば、レイはアスカとは対称的に全く動かなかった。
電流網には逃げ場が隙間ほどもない、だが、隙間ほどもないだけで確かに逃げ場はある。その逃げ場を待ち構え、最小の動きで網を
避けた。この判断とてアスカと同様に間違いではない。特に、今回は3対1という状況だ。全員が全員、カヲルに向かう必要はない。
右方向――トウジの動きは遅かった。だが、遅いのはあくまでも動きであり、判断は速い。自らの《word》である《圧》の力
を練り上げ、足裏に圧力を付加する事を瞬時に決定したのだ。安全を期しギリギリまで力を込めた上で、放たれたその圧力は
訓練場の樹脂素材の床をベコリをへこませた。その上で身をかがめると電流網は頭上を越えていく寸法だ。しかも、身をかがめたその体勢
は、そのまま次のカヲルへと駆ける次の動きの予備動作へと変わる。
まさに三者三様。その判断はどれも正解の1つであり、どれも優れていた。
その判断と動きを見て、カヲルはクスリと笑う。
「どうやら、少しは期待できそうだ」
それならば、手加減は失礼かもしれない、と。
「なかなか気張ってるわねー」
「そうね。渚君相手によくやってるわ」
訓練場の様子をガラス越しに見守るのはミサトとリツコだ。
「でも勝てないでしょうね、あの3人じゃ」
「ムリよ。実力差が有り過ぎる。気付いているでしょう、あなたも――また、レイとアスカの《word》が封じられていることに」
ガラス越しの視線はレイとアスカに注がれる。
2人は度々自らの《word》の発動を試みていたが、その度に何かが邪魔をした。柔らかく透明な壁が《word》とそれに続く《limit》の
展開を遮るような、そんな奇妙な感覚だった。一方、トウジは先程の電流網をやり過ごした時と同様に、何の障害もなく《word》を
行使する。
「前から思ってたけど、あれ何なの?」
「アスカ、レイと渚君。鈴原君と渚君。それぞれの違いは何だと思う? 身体能力にそれほど違いはない。精神的な面もさっきの
三者三様の判断を見ても違いはあっても優劣はない。それなら、何だと思う?」
思案する。体と心は戦闘における2大要素といっても差し支えはない。そのレベル差がないならば、一体何なのか。
「そうか……簡単な話だったのね」
頷きリツコが言葉を続けた。
「そう、《color》よ。bule、green、yellow、orange、red、black、white、silver、gold、そしてrainbow。《word》の錬度や操作性
の巧さを判断する最も簡単な手段。渚君はsilver、鈴原君はorange」
「対して、アスカとレイはグリーン。物凄い開きっぷりだわ、こりゃ」
視線の先では、アスカとレイから淡い緑色の光が生み出されては空気に散っていた。
産声を上げては掻き消える光は、緩やかで脆弱だ。
「つまり、《color》にそれ相応の開きがあれば、《word》を封じることが出来る、とそういうことになる。渚君に直接訊けばもう少し
ちゃんと分かるでしょう」
「はっきりと分かれば、私達も出来るかもしれない……ってとこね」
+++++++++++++++++
闇から染み出たような一雫の黒点が月光を侵していた。風にはためく黒衣と黒髪、赤く光る瞳。
サガの瞳は更にその黒点の背の青白い月、そして宵色の大翼を視界に収めた。
「少し話でもしようか、ベイビー」
「お断りだファックって言われるのは分かってるだろう、アーガス」
おどけた口調にサガが答えた。目と体には既に殺気を纏っている。
その殺意が秘める見えざる暴力は、シンジに向けたもの比ではない。幾百の刃と幾千の槍が黒衣の男――アーガスを貫いた。
「話すことはない、とでも言いたげだね」
「ないさ。とっとと帰ってシヴァに伝えな――死ね、とな」
「それはシヴァ様への侮辱か、ビッチ」
サガからの殺意を涼しい顔で受け流しながら、自らも殺意を放つ。カチカチと歯を鳴らす牙のごとき殺意がサガに噛み付いた。
殺意に肉を噛み千切られる、そんな久しく感じたことのない感覚にサガは薄く笑う。
「相変わらずシヴァのイヌか、アーガスよ」
「ザッツ、トゥルー。どうやら話も必要なさそうだな。お前を連れ戻せ、とそう言われてきたんだが――」
宙に浮かぶアーガスもまた薄く笑い、1度黒衣をはためかせると力の枷を断ち切る。解放された力が行き場を求め、空気中に一気に
広がった。力が示す《color》は虹色。今までアーガスの体に巻きつくように留まっていたそれが解き放たれ、《word》の開放率を
上げるべく虹色の奔流が暴れ出した。
「唱えさせてもらう。そして、搾取させてもらう――サガ=トップ、お前の命を」
対して、サガの力も狼煙のように体から具現した。虹色の光が吹き出るように一直線に立ち昇り、周囲の暗闇に溶け行く。
まるで7色の槍が漆黒の宙を貫くように膨張した《color》が、棘を成して膜を成して壁を成して力と成す。
「唱えさせてもらう。そして、穿刺させてもらう――アーガス=アーリマン、
お前の命を」
同時に放つ。言葉は力。力は言霊。具現せしは闇の担い手と極北の王。両の力が弾け、爆ぜ、空気を汚し、空気を清浄し、世界を
侵し、世界を抱き、噛み砕き、刺し貫き、吸い尽くし、呪い尽くし、互いが互いを打ち滅ぼさんと駆け巡る。
「Vampire!」
「Odin!」
――今、最高峰の激突が北の地で交わされる。
+++++++++++++++++
To Be Continued to Episode 09.
Next, the highest battle is committed with sparks.
And, Kaworu leave NERV.
+++++++++++++++++
<後を書く>
久しぶりの更新なのに短め。
待たせすぎな上に更に見苦しい言い訳ししたくないんで、後書きも特になく。
以上。