勝利を欲すならば、死ね。

 

 

 

 

 

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written by HIDEI

 

 

 

 

 

 意識が混濁してはっきりしない。壁に隔離された世界はこを支配するのは一筋の 光明もなき闇。自らの拍動を数えて割り出した拘束時間は52時間ほど。
「そろそろまずい」
 ゲンドウから受け取った銀の鎖を血が出るほど握り締めながら呟く。
 カヲルの精神と肉体は限界に近い。52時間一睡もしていないが、問題はそこではなく常に脱出の機会を窺って意識を 研いでいなくてはいけない点だ。集中力は時間に反比例して力を失っていく。長時間持続するだけで体力が尽きていく。
 脱出の機会、といっても偶然に頼るほかない。決して破ることのできない3重4重の絶縁体壁がカヲルを包んでいた。
「ぐっ……あっ」
 身体を休めるため本能が強制的に睡眠促進物質を体中に解き放つ。ウリジンや酸化型グルタチオンがカヲルの意識を襲い、その度に 体に電気ショックを与えて強引に覚醒を繰り返す。限界が近い。
 そんな時だった。すっかり闇になれた瞳が焼かれた。一瞬、眠りの園に落ち込んだかと電気ショックを用意したが、違う。 カヲルの瞳が光の後に見たものは、機械で組まれたタワーのような円柱と忌むべき黒髪の女だった。
「伊吹マヤ……」
 その呟きは憎悪と、同時に現状の変化に対する期待が見て取れた。
 だが現状はさして変化してはいない。今まで白亜だったカヲルを覆う壁面が、全てガラスのごとく透明になっただけの話だ。 試しに電流を流そうとしても、0に近い量しか流れない。やはり絶縁体。
 5重の絶縁体ガラス壁に囲まれたカヲルを見るマヤの瞳は、動物園の飼い馴らされたライオンを見るそれだ。箱を固定する 黒色の鋼鉄の受け皿が稼動する。触手のように伸びたマニピュレーターが箱に突き刺さり、その先から飛び出たドリル が穿孔していく。
「御機嫌いかが、ナギサ君?」
 棘、針、鋲。およそ刺し貫く全てを秘めた笑い。
「そろそろ閉所恐怖症になるよ」
 真実、憔悴しきった様子のカヲルをその目に収め、満足げに頷く。
 その嫌悪を催す様子を尻目に、カヲルの視線は箱を削り来るドリルに注がれる。もし、あのドリルが導体だったならば何とかなるかも しれない、と。そんな思惑を察知したのか、マヤが嘲笑する。
「それも絶縁体よ。空中放電されても困るからドリルも極細。隙間もなし」
 いよいよ退路はない。
「どうする気だい?」
 棘とか針とか鋲とかそんな硬い笑みではなく、ぬめりとした妖艶とは対極の陰湿な笑み。不覚にもカヲルはその笑みに戦慄した。 その先に淵も底もない、どろりとした粘質の沼を見た気がしたのだ。
「そこから見えるでしょう、私の可愛い子供が」
 コードが集う円柱のその横に人間大のフラスコ型カプセルがあった。鈍い音を響かせるその中にはゆらりと漂う1つの影。 圧倒的質量を内包した細身の体躯と、人間とは明らかに違う緑の体毛と茶褐色の肌。異質な生物がそこにはいた。
「あれは……」
 息を呑む。まるで美術館に陳列された彫刻のようでありながら、確かに生を感じる。矛盾が形をなしたようだ。
「ホムンクルス――と呼ぶわ、世間では」
「……人造、だと?」
 驚愕がカヲルの瞳孔を広げた。
「賢しい貴方だからホムンクルスは知っているわね? じゃあ、クイズ」
 場にそぐわない明るいマヤの言葉に眉根を寄せる。狂乱、とでも言うべき純粋な狂喜に冒された明るさだった。
「Q1、ホムンクルスの材料は?」
 ハーブと精液と馬糞。
「Q2、ホムンクルスの大きさは?」
 小人。
「Q3、ならば何故この子は人間大なの?」
 特殊だから。
「Q4、どうして特殊?」
 材料か製法が特殊。
「Q5、材料の特殊性は何に起因する?」
 精子の提供者とハーブの効果と馬糞の提供馬。
「Q6、精子の提供者の特殊性は?」
 不明。
「Q7、ハーブの特殊性は?」
 水、土などの環境か、そもそも種類が特殊。
「Q8、その環境の特殊性は?」
 無回答。
「Q9、その水の特殊性は?」
 無回答。無回答。
「Q10、その血は誰のもの?」
 無回答。無回答。無回答。
「Q11、血で育てたハーブとそのハーブで育てた馬の糞と特殊な精子。敢えて他に付け加えるなら?」
 無回答。無回答。無回答。無回答。無回答。無回答。無回答。
「あははははははははははは!」
 ピエロの顔に亀裂が走ったような、芝居がかった哄笑が響く。
「さあ、あなたの肉体を頂戴、元使徒さん。きっと使徒の血とあなたの肉体がもたらすケミストリーは超克の進化をもたらす」
 穿孔してきたドリルの先から無数の管が射出された。
 解答は単純。
 このために、その特異なる血を得るために第17使徒たるサクノは囚われたのだ。
 サクノは贄。カヲルもまた、あの時と同様に――シンジに捧げられた時と同様に、

「うふふ。いらっしゃい、生贄さん」


 カヲルの憤怒に銀の鎖が泡立ち、影はゆらめきを最大にした。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

「碌なもんじゃないわ、こりゃ」
 モニタを見ながらミサトがうそぶく。
 表示されるパラメータは現在動員できるネルフの《user》。《word》、《limit》、《color》、筋力、反射、その他およそ必要と 思われる情報が全て網羅されている。
「贅沢ね」
本部・・で《color》が1番高位なのは誰か知ってる?」
「何、それ自慢? 貴女でしょ」
 肩を竦めてやれやれとリツコが返すが、それに反してミサトの表情はいたって真面目だ。
「問題よ。本来、指揮する立場の私がトップなんて……」
 ミサトの《color》はblack。同じくトウジもblack。対して他の動員できるネルフの《user》はよくてorange、悪ければ アスカやレイと同等のgreenであった。rainbowを頂点としgold、silver、white、black、red、orange、yellow、green、buleと序列 される《color》において、1色の開きはすなわち《word》の練度・純度において何倍もの開きとなる。
 《color》が戦闘における優位を決定するわけではないが、その意味は決して小さくない。
「ルネサンスの戦闘員と立ち回りを演じて、病院と私のお世話になったとは思えないセリフね」
 《Gate》のブル=ロンとの戦闘はミサトの中でも占めるウエイトが大きい。あの百戦錬磨の男との戦闘がなければ、おそらくミサト は今回1人でカタコンベからの刺客の1人を相手にするとは言い出さなかっただろう。
「あの時はちょっと熱くなっただけ」
「猪突猛進じゃ指揮なんて出来ないでしょう? 貴女は指揮を執るより、士気を上げてるほうがお似合いよ」
 言い返せない。その通りだ。
「で、貴女の策とやらは?」
「微妙。あと敵が来るまで2日だってのに進展ないしね」
 頭をぽりぽりとかく。手詰まりにも似た感があった。まるで、たこつぼにはまったタコ。
「プランは固まってるの?」
「大よそ。シヴァ=モーゼルがシンジ君、カヲル君と交戦してすぐに消えていることを見るに、おそらくカタコンベには長距離移動 を可能にする《user》がいるはず。もしくは、よっぽど近くにいるかだけど、その線は前の司令との会談で本拠地が明らかになったこと だし有り得ない。日本に拠点を1つ、もしくは複数置いているとみるのが妥当ではあるけど、ペルーからにしろ国内からにしろ、 その距離を移動するのは相当高いレベルの《user》がいる証拠ってことよ」
「《Transfer》か《Gate》か《Warp》ってとこね」
 移送と扉とワープ。いずれも空間跳躍に近い機能を有すことが多い《word》である。
「《Warp》の《user》なんて見たことも聴いたこともないわよ?」
「いないかもしれないし、いてもおかしくはないでしょう?」
 《word》が単語として定義される以上、可能性は無数に存在し、ありえないということは確認しようがない。
「話を戻す。それだけの移動力を有すなら待ち伏せはほぼ不可能。結局、臨機応変に行くしかないってこと。最も、一般的な 軍事戦略的なロジックから行くと大体来そうなポイントを予測することは不可能じゃない。MAGIもあることだし」
 ミサトのその言葉にはMAGIならそれくらいわけないしょ、という問いが含まれていた。
「今までの情報から推察すると、シヴァ=モーゼルという男は誇り高い侍のような人物だから、 あまり搦め手は使ってこない印象が強いわね」
 その推察を鵜呑みにはしないが、ミサトもそれはどこかで感じていた。シンジやカヲルを殺さなかった、武人気質な面がそうさせて いるのかもしれない。1組織の長としては疑問符がつくが、おそらく副官として優秀なものがいるのだろう。
 ――と、そこまで推測してミサトははたと気づく。
「ということは今回はシヴァは来ない、とそう思わない?」
「シンジ君もナギサ君もいないから?」
 頷く。根拠のない仮説ではない。侍気質であり強きを尊ぶシヴァという男ならば、存分に力を振るえる戦場以外には赴かないかもしれ ない。しかし、例えシヴァが来ないとしても、
「3人が3人とも相当なレベルだと見るべきであって、油断なんてできない」
 ミサトの口からため息がこぼれ出る。その内の1人の相手を自分がしなくてはならないのだ。
 そんなミサトを観察しながらリツコは慰めの言葉を口にした。
「『例えシヴァ相手でも負けはしない』じゃなかったの?」
「そう、ね。私がしっかりしなきゃ」
「取り敢えず3人の内1人が長距離移動能力を有す《word》の《user》であるという点だけは確実。それなら、まずはその1人を つぶすことね」
 そうすれば残りの2人は帰還が困難になる。
「確実、とは言えないんじゃない? 送り迎えだけかもよ?」
「『もしも』を考えるならその場に居合わせるべきでしょう?」
 どちらの可能性も考えられる。戦略と戦術とは選択を天秤にかけ、可能性の重みを感じ取っていく作業なのだ。人間がそうして 取捨選択したものと、MAGIの判断をすり合わせてプランは決定される。

 議論が白熱し、リツコがコーヒーを入れようと立ち上がった所で、内線のランプが点滅しコールが響いた。
「はい、こちら赤木部屋」
 コーヒーをカップに注ぎながら、リツコがその応答にいやそうな顔をする。黒い液体が2つのカップを満たしていくのを眺めながら、 背後のミサトの声を感じようとするが、声がない。不思議に思い振り返ると、今まで見た中で1番真面目な顔のミサトが 内線に聞き入っていた。
「そう、見付かったのね。2日で何とかできる? あん、できない? そこらへんで《Gate》の《user》引っ掛けるなり何なりして、 何とかしなさい。命令かぁ? 命令に決まってるでしょ! 1ぺん死ね!」
 どうやら、策とやらが進展の兆しを見せたようだ。

 

 

 

 

Episode 13 : 屍骸の舞踏会

 

 

 

 

 それはあまりに突然すぎた。その突然さにカヲルはその時のことを、後によく思い出せないほどだ。
 ドリルの尖端が花が咲くように割れ、そこから管が射出された。その管がカヲルに突き刺さろうかという、その時。 その瞬間。その刹那。その須臾。その六徳。その虚。その空。その清。その浄。何の前触れもなく、その男はマヤの後ろに立っていた。 まるで空間、いや世界自体からにじみ出たように、まるで水が下に流れるの同じくらい自然にそこにいた。
「シゲル、さん?」
 驚きがカヲルの口からこぼれ落ちる。
 そこに立っていたのは、確かに何時間も前にネルフ支部で別れた筈の青葉シゲルだった。一見軽薄そうないつもの笑みを浮かべながら、 マヤの腹に一閃を浴びせる。久しぶり、と挨拶をかわす暇もなくマヤの意識は途絶えた。
「いつから……?」
 パネルを操作してドリルと管を壁面から抜いていくシゲルに呟くように問う。口から出た、というより脳の奥底から湧いたような 質問だった。
「ずっと、さ」
 意味が分からなかった。疑問符が体中を覆い尽くす。意味が分からず、思考が固まった。それを把握し呑み込むことが巧く いかない。
「ずっと?」
 ようやく出た言葉は回答を反芻しただけの陳腐な代物だった。
 柔らかく笑いながら、その問いに答えようとし、そしてその笑みはすぐに消える。

 空が、裂けた。

 それは杖、というにはあまりに重厚で禍々しい代物。空を走りシゲルの頭をかすめたそれは、硬質の床に突き刺さっていた。 弾丸というのも生ぬるいその杖をシゲルがさけられたのは、全くの偶然に過ぎない。
「勝手に逃がされちゃ困るんだよねぇ」
 コードが集う円柱の上から声が響いた。ルネサンスのメインコンピュータの端末の1つであるそれは、5メートル以上の高さを持つ。 よく響く声だった。
 シゲルはその声がする方を見据えながら、カヲルに言葉を返す。
「どうやら、説明する時間はなさそうだ」
 再び杖が飛来する。重厚に重厚を重ねて鋳造したようなそれは、最早細身の柱といっても差し支えない。 柱が幾本も床に突き立っていく。まるで建築を担う1つの行程。
 その攻撃の激しさに反して、敵の姿は全く見えない。飛来する杖の波状攻撃をさけるシゲルを見ながら、カヲルは無力感に襲われる。 未だ壁に閉じ込められた状態では何も出来るはずはないが、それでも歯がゆい。
「さっきの質問に答えるぞ!」
 そんなカヲルの視線を受けながら、シゲルの低い声が響く。
 声と同時に広がったのは色の奔流。圧倒的な色の洪水。その色、7つ。天架ける虹の光輝。広がった《color》がシゲルの力そのもの。 すなわち、《color》は頂点――rainbow。
「In!」
 シゲルの《word》が世界に食らいつく。事象と法則を捻じ曲げ、その虹を冠した力は『入る』。
 シゲルの姿が影へと消えた。
 それはカヲルがかつて見たどんな《word》より流麗で剛胆な煌めきを持っていた。まるで自分の部屋に入るの同じ感覚で、 霧のごとく円柱の影へと溶け込んだ。否、溶けたのではなく入ったのだ。
 ただ呆然と見守るほかに、カヲルは何も出来ない。

 

 次にシゲルが姿を現した――影から世界に『入った』のは円柱の上だった。
 直径5メートルほどのそこに鎮座していたのは、黒いレインコートとガスマスクで身を固めた男。シゲルの姿を確認するやいなや、 それらの装備を脱ぎ去った。表れた彫りの浅い平坦な顔には不機嫌さがにじみでている。
「あまり余計なことはして欲しくないね、ん?」
 男の体が発す《color》はgold。シゲルのrainbowに対して差は歴然だが、それにも屈した様子はない。
「面倒は嫌いでね。手っ取り早く片付けさせてもらおうか」
 その言葉に男が眉根を寄せる。不機嫌さの度合いがさらに増した。
「分かってる? ここは俺の庭よ? オッケィ?」
「で?」
 シゲルが動く。長髪をなびかせながら放たれたのは右の拳。にたりと爬虫類じみた笑みを浮かべながら、男はその拳をさけようとも せずに待ち構えた。途端、鼻先に拳が触れる。その瞬間、今までとまっていた男の時が動き始めた。拳よりもなお早く上体を 反り、同時に両腕を利してシゲルの腕をとらえ、勢いにまかせて投げ放つ。男のスピードとシゲルのスピードが重なり、 シゲルの体は簡単に宙に浮いてしまった。
「ひゃっはー!ちょろいちょろい」
 シゲルが円柱から飛び出、その先の壁にぶち当たる。
「ふん、レインボーだろうと関係ない。この選ばれし者リャノン=ロンの敵じゃ――」
 言葉は続かない。突然の衝撃に体が浮いた。衝撃の源は下。今までリャノンが立っていた場所から腕が生えていた。
「口の減らない」
 シゲルだ。円柱から這い上がる。
 壁に当たったと同時に壁の中に『入り』、そのまま潜行して円柱の頂上で腕だけを世界に『入れた』。
 空中でそれを知覚したリャノンの体が一際強く光る。
「Wall!」
 空中に壁が顕現した。カヲルを捕らえたときと同様に、周囲と一体化する迷彩を施された壁の床が一瞬で広がる。さながら空中回廊。 円柱上のシゲルの目にはそれまでと変わらないこの建物の天井が映る。その状態で更にリャノンの必殺が炸裂する。 空中に幾枚もの薄い壁が現れ、それが重なり合い、捻り合い、睦み合い、結びついていく。 数瞬後にはシゲルの前後左右と上を完全に包囲する、杖の群れが完成していた。 ロールケーキのように壁が重なったそれは圧縮に圧縮が重ねられ重量は見た目以上。
「死ね」
 リャノンの号令に従って、何十もの杖が降り注いだ。
 しかし、
「まだ、分からないかねぇ」
 全て、そう、全て――
「あっ……あう、嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。あ亜蛙唖嗚呼アああああ!」

 全てシゲルをすり抜けていく。

 まるで奇術。悪い夢。悪夢に塗りつぶされ歪んだ顔でリャノンが杖を放ち続ける。 幾本も幾本も空中で編み上げて降下させるが無駄でしかない。
 杖に接した瞬間、シゲルは杖に入る。そして、ほぼ同時に杖から世界に入る。 単純な繰り返しだが、驚異的な《word》の瞬発力が杖がすり抜ける奇術を作り上げる。
「まだ、分からないかねぇ――」
 飛び上がる。迷彩を施された硬質の壁に頭が触れた瞬間、壁に入りながら壁から世界に入る。
「――格の違いが」
 シゲルの姿を捉えたのと同時に、リャノンの意識は途絶えた。

 圧倒的だった。
 そして、これがかつてゲンドウがユイに語った『備え』だった。ネルフ本部で最も上位にあるのはミサトだが、全体を通して 見れば頂点にいるのはシゲルだ。《word》の練度・純度と、本人自身の《In》を利した創造性と発想の高さは、 他とは一線を画す。シゲルがネルフ西域支部を事実上統括するのもこのためだ。
 《word》の力とは視点の力だ。使い方を想像し創造し得るもののみが強い力を手にする。要は『もしかしたら出来るかもしれない』 と思うことと、様々なものの見方が重要なのだ。《word》には有利不利はあっても明確な序列は存在し得ない所以である。

 円柱の頂上にリャノンを横たえると、一応手足を縛り猿轡を噛ませる。もしも、作業の途中で意識が戻るとめんどうくさい。  気絶したリャノンの額に触れると、シゲルの手が徐々に頭に入り込んでいく。脳内に入り精神に触れて、その記憶と知識を 閲覧・検索する。虹色の輝きを有すシゲルの《In》は極端な話、1つの究極だった。完全に把握すれば、心も分かる。 頭が、心が、底が分かる。

 

 視線を上に固定したまま、カヲルは歯がゆさを噛み締め続けていた。
 無数の音のみが円柱の上方で起こり、それに神経を集中させた。最早結果は分かりきっている。焦り散らすリャノンの声が聴こえた 直後、音は消えた。シゲルが勝利したのだ。
 シゲルの《word》と、そして影に入り込んでいったその姿からカヲルはカラクリを理解した。
「《In》、か」
 自分は囮にされたのだ。シゲルは確かにずっといた――カヲルの影の中に。いや、侵入時のみ入り込み、後は単独で行動 していたのかもしれない。どちらにせよ、自分は道化だ。
「こわいな、あの人は」
 ゲンドウから受け取った銀の鎖を手に取りながら、呟く。あの精神の怪物はここまで読み切っていたに違いない。だから、1人でも いかせたのだ。
「だから、あの時……」
 捕獲される前を思い出す。
 ――俺はな、答えを知っている。君の答えを、だ。俺の《word》はそういうものでな。君の心が、頭が、底が見える。
 確かに底も見えよう。
「僕の答えか――ク」
 未だ進むべき道を定められないでいる。その上、今は囚われの身。シゲルが敵を倒し当面の危機は去ったとはいえ、鉄壁の 絶縁体壁に囲まれていることに変わりはない。何も出来なかった。今も何も出来ずにいる。そして、何も出来ないだろう。
 世界はいつだって滑稽に笑っている。嘲笑うことをやめない。

 

 手をリャノンの頭から引き抜き、ため息を1つ。おそらくこの施設の守護を担っていたのであろう、リャノンは確かに ルネサンス内でもそれ相応の地位を得ていたようだ。元々ネルフの中枢にいた人間がルネサンスの根幹でもある。 シゲルの《word》の調べがついていないはずもなく、リャノンの記憶にはプロテクトがかかっていた。
 表面的な記憶封鎖や深層意識はシゲルには関係ない。本人が忘れたつもりでも、脳にある事実は消えないからだ。 しかし、散り散りになった脳内のデータはどうにもできない。触れて理解は出来ても、組み立てられない。 カオスパターンをなすそのセルは、おそらく意図的にそうされている。本人にその構築手段が知れ渡っていては、結局そのデータ が脳のどこかに保管されている筈だが、それもない。誰かがデータの漏洩を防ぐべく、そう処理を施したのだ。
 こんなことをせずとも、『防ぐ』《word》を使えばシゲルの脳内へのハックなどものともしない筈だが、それがなされていない 事実は1つの仮説を裏付ける。
「それ相応はそれ相応ってね」
 本当の首脳陣の脳内は強力な《word》で護れているだろう――それがマヤの脳内を調べなかった理由でもあるが。 《word》で常時ガードするには集中力と持続力が要され、 あまり多くの人間にそれを行うことは自殺行為である。労力を減らすために、リャノンのようにトップ陣につぐ地位をもつものは、 こうして脳内のデータを拡散させているのだ。
 コピー。M。コピー。D。コピー。D。D。D。コピー。クローン。ロン。D。コピー。M。C。ロン。ロン。ロン。コピー。コピー。コピー。 コピー。コピー。コピー。コピー。コピー。コピー。マヤ。コピー。コピー。コピー。キース。ケヴィン。コピー。コピー。C。 コピー。コピー。コピー。コピー。コピー。コピー。コピー。ロン。クローン。
 ――混沌をなすデータセルは生みつけられた無数の卵だ。自然界に存在する『ゆらぎ』により暗号的に散らかされた、その 情報の卵たちは一見するだけでは、1つ1つはただの言葉でしかない。情報の密度と結合と拡張性は構築法を知らない以上、どうしようも ないがその単語の意味把握と意味推理は可能だ。
「コピー、か。それにクローン。やな感じだ」
 引き出すだけ引き出した情報断片を、持参したメモリースティックに入れる。

「やナ、カンじ?」

 ゾクリ、とシゲルの背を蛇がのたうった。声の出所は上。
 緑色の髪、茶褐色の肌、すみれ色の瞳――異質を内包した、 しかし、人造人ひと
 その細長い腕がぶわりと振られる。空気がぐるりと巻き取られ、衝撃が宙で弾けた。
 瞬間、シゲルは、

 

 カヲルの唇は血に染まりきっていた。歯も歯茎にめり込むほど噛み締めた。 握り込んだ掌は爪が深々と刺さって赤に包まれていた。銀の鎖から血が伝う。無力感に心がバラバラになりそうだ。
 気絶したままのマヤをよそに、ホムンクルスはフラスコ型カプセルを飛び出した。
 おそらく既にホンムクルスは完成していたのだ。カヲルの肉体を採取し、それを取り入れる術式。 一連の流れを迅速に行うために眠らされていたのだ。その眠りが醒めた。
「どうして、僕は、どうして――!」
 こぽこぽと泡が心から湧くようだった。沸騰してるのではなく、ただサイダーの気が抜けていくよう。その泡に反応するように、 手中の銀鎖がこぽこぽと湧き立つ。

 

 死を悟った。
 そのあまりの速さと、細い腕からは考えられない力に、死んだ――と。
 しなる腕の威力が空気を1度、2度、3度と弾く。しなりの段階が変わるたびに、その衝撃でその場に存在していた空気が一気に拡散・収束 されたのだ。圧縮された空気の圧力としなりが生む強大な破壊力が、 シゲルの胴をいだ。
 いや、それは正しくはない。現象を正しくとらえてはいるが、事実は違う。

 破壊力が、シゲルの胴を消し飛ばした――それが、事実。

 

 落下物。
 血。
 屍。
 カヲルの瞳が拡大した。
 落下物。
 声。
 骸。
 カヲルの瞳がかつてない色に染まった。

 全身を駆け抜けたのは味わった事のない、現実感の希薄なうねり。全ての機能が停止し、しみわたる現実。 理解を要さない明瞭な事実を理解し始める矛盾。理解したくもない世界。
 ――過去を忘れることはできない。過去は自らの手で断ち切るしかない。
 思い出した声と、最後に聴いた声なき声はあまりに違いすぎて。

「あアあああああああああああああああああああああああ!」

 銀の鎖が泡立ちに膨張し、刃を模す。銀塊が2翼に別たれ、2振りの銀剣を形成する。煮え立つ感情が銀剣に炎と雷鳴のパターン を刻む。どうどう巡りの思考が握りに輪をなす。鋭い光をたたえ、双剣が産声を世界にかき鳴らす。
 慟哭。
 そして、咆哮。
 銀線がカヲルを覆う5重絶縁体壁を一閃。そのまま死の線が円柱を、建物自体を、世界を2つに別つ。
 別つ。
 今いるこの場所を。今いるこの世界を。シゲルとカヲルを。生と死を。

 ――『真に正しい決意をする』のではなく、『決意したことを正しいと信じるしかない』ということだ。

 響く言葉は残響にも似て。

 

 世界はいつだって滑稽に笑っている。嘲笑うことをやめない。

 

 

 

 

 

+++++++++++++++++

 

 

To Be Continued to Episode 14.

Next, NERV vs CATAKOMBAE.
Touji will howl and shriek.

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 

 

 


<後を書く>
ごめんなさい。


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