奇跡なんてないんだ。
ゴキリと鈍い音が響いた。
食い込んだ指が骨を折るだけでは飽き足らず、皮を突き破り肉に食い込む。鮮血が舞い、鉄の匂いがペトロとトウジの両者の
鼻に届く。ペトロの顔が激しく歪む――凶をなす愉悦に歪んだ。
鈍い音の源はトウジの足。足の甲にペトロの爪先が突き刺さっている。ただ、踏んだだけだ。ただ踏んだだけのその行動を
かわせなかった。
続く行動もトウジはかわせない。突き刺さる足とは逆の足が、トウジの膝を撃つ。次いで足払い。ぐるりと視界が回転し、トウジの
天地が逆転した。
それでもなお手を離そうとしないトウジに対して、ペトロの足が再び振るわれる。回転するトウジに対して、その回転の中心
である腹に足をピタリと当てた。瞬間、
「覇ッ!」
トウジの体が回転しながらぶっ飛んだ。さながら弾丸。トウジの脳と内臓が勢いよく撹拌される。10メートルほど吹き飛んだところで、
地を削り取りながら着地した。
「がっ、ぐう……ぐぬぅ」
脳の揺れのせいかトウジの視界も揺れる。体感震度はマグニチュード6だ。不思議と回復していた体力がまたゴッソリと消えていく。
肉を僅かに削られた頬はそれほどでもないが、膝と足と内臓が不味い。おそらくひびが入ったであろう膝と完全に折れた足は著しく
機動力を低下させ、どこがイカレたかも分からない内蔵は死の危険を孕む。
そんなトウジの状態などおかまいなしに、ゆっくりと速い歩法でペトロが迫る。今ならあの不思議な歩法が理解できた。
足裏から衝撃が飛び出ているのだ。だから、動作がゆっくりでも強大な運動エネルギーが生まれ、そのスピードは速くなる。
同様に、急な加速をともなった踏みつけがトウジの回避を許さず、骨を折り皮をやぶり肉をつぶした。
いわば、足の裏に加速用のブースターがついているようなものだ。
トウジの定まらない視線の先にペトロが迫る。一瞬ごとに足裏が大地を突き放し、ゆっくりと素早く。今のトウジにとって迫り来る
それは、ペトロであるというより『死』そのもの。今日この時に至る前に考えていた筈だった。
――いつか殺されるかもしれない。殺している以上、いつ自分にその番号が回ってきてもおかしくはない。
と。眼前のペトロは自分に番号札をつきつける死神だ。そして、鎌のごときブーストアップされた足が振るわれる。そこから放たれる
衝撃の塊は圧力では有り得ず、トウジに防ぐ手立ては存在しない。
それでも、それでも――理由がある。今、終われない理由がある。
「死なん」
がむしゃらに首を振った。腕と同様に足が振られる方向に衝撃は飛び、故に向きは分かる。
しかし、遅い。既に、衝撃の名を冠した死は放たれ、トウジの眼前に存在する。見えず香らず触れない――五感で捉えられない、
その必殺の一撃。トウジが感覚するのは、その死を孕んだ予感だけだ。トウジの優れた本能がその予感に反応し、
無意識下で回避行動をとるが、やはり遅すぎた。どころか、それが災いし顔面への直撃を防いでしまった。
あご先に来たる死神の鎌。ブツリ、とトウジの意識が断線した。直撃したならば衝撃に耐え切る可能性もあったが、しかし、
ヘタにあご先を掠めとり脳が揺さぶられた。
一撃で死に至らしめることが出来ない事実に驚きつつ、ペトロはとどめを刺すべく再び足を振るう。
足裏から衝撃が噴き出し、空を割り裂きぶち当たる。
そう、轟、という衝撃が――
「斬!」
斬、という衝撃に――ぶち当たる。
ペトロの瞳に映るのは、倒れ伏すトウジと、紅い鱗のような壁面と、巨大な刀を背にした男。
「貴方は?」
目が合う。空気すら分子すら切り裂き、全てを切り裂いた先にある「無」すら切り裂く、そんな絶頂の殺気。周囲には浮遊する紅い刃。
まるでアンタレスのみが存在するプラネタリウム。星々の源たる男の眼光は鋭い。
「訊く前にそっちが名乗るのが礼儀じゃ?」
「成る程。失礼」
凄絶なる男の殺気と眼光にも臆さない。自らの主、シヴァより怖いものなど存在し得ない故。
「カタコンベ12使徒ペトロ――ビイ=エムデン、お相手願います」
「サードチルドレン――シンジ=イカリ、受けよう」
斬撃が走り、衝撃が貫き、殺気が四散した。
+++++++++++++++++
爆煙。
火柱。
宙を貫き、雲を貫き、空を貫くような特大の炎と煙が立ち昇った。その中心地はヤコブ。
爆発、と呼ぶに相応しい酸素と水素の大喝采。爆心地の地面は焼け爛れ、微生物に至るまで全ての生き物が息絶える煉獄と化した。
噴煙を眺めながら、レイとアスカは揃って膝をつく。疲労のピークだ。特にレイは脇腹の火傷と、爆風の衝撃で
今にも意識が飛びそうだった。
事前の打ち合わせは確かにあった。ぶっつけ本番ではあったが覚悟もあった。何よりやり遂げる勇気があった。
水蒸気爆発。
アスカとレイのコンビネーションは言ってしまえば、それだけでしかない。
レイとヤコブの戦闘を遠巻きに見、早々に遠距離からの支援を諦めたアスカの次の行動は、針に糸を通すのと等しいものだ。
しかも失敗は許されない。自らの《word》――《水》で湖の水を操作し、湖の底から地中を水流で掘った。幾本もの水流の束をヤコブの
直下へと集結させ、固定する。もし一瞬でも水流の動きがヤコブの制空圏に触れて察知されたなら、レイすら危険に晒してしまう。
つまり、ヤコブに水流を打ち込む隙を待って、ひたすらに固定し続けなければならない。
アスカの《水》に限らず《Aqua》や《Water》、《River》など水流を操作する《word》にあって、動かすよりも
停止させる方が圧倒的に困難を極める。何故なら、水は常に流動しているからだ。既に動いているものを更に動かすのはその勢いに
のせてしまえば簡単だが、完全に停止させることは『流動する』という液体の自然な状態を崩す事に他ならない。
しかし、その時が訪れるまでアスカは固定し続ける必要がある。集中力、体力が削られるのは勿論だが、何よりも心が削られた。
明確な目標、指標のない当てなき忍耐は人間の苦手とするところだ。
終わらないレイとヤコブの攻防を観察しながら、増やせるだけ水流の束を増やす。《up》したレイの《color》をその目に捉えながら、
ひたすらに耐え、ひたすらに水流を加算した。唇を噛み締め、歯を軋ませ、瞳を充血させながら耐えた。
シンジも、カヲルも、トウジも、そしてレイにすら置いていかれた――その事実にすら耐えた。
耐えることが出来た。
欲しいのは、単純で分かりやすい明確な『勝利』だけなのだ。何もない、と感じるほどアスカは傲慢ではない。
もっと、自分以上にその手から色々なものをこぼしている人間がいる、と理解してしまったから。
それでも、いや、だからこそ分かりやすいものが欲しかった。
どんな風にも決して揺るがない――そんな強さが欲しかった。過去の
弱さに負けない、強さが欲しかった。
強くなりたい、とそれだけを願った。『勝利』はその証なのだ。
誰に置いていかれても、誰に負けても、
「自分だけには2度と負けらんない」
と誓った。自分に負けない強さを、と誓った。
レイの炎を纏った拳が初めてヤコブにヒットする。それは決して油断などではなく、純粋にレイのスピードがヤコブの認識を
凌駕したからに他ならない。認識を更新したならば、ヤコブがレイの次撃を避けるのは容易いことだ。しかし、一瞬でも
ヤコブの動きは確かに停止した。僅かの衝撃と火傷に一瞬怯んだ。
今だ、とレイとアスカが同時に思考した。
アスカが今まで水流を地下に縫い付けていた力を、1本を除き、ピンを抜くように一気に引き剥がす。とどめられていた大量の水が地面を
割り、空中へと噴出した。さながら、水のロケットか、天地が逆さになった大瀑布か。その水の塊に対して、レイは
今出せる最高温度の炎、いや、最早熱そのもので包んだ手を振るう。
瞬間、水流の温度は200℃以上に上昇を果たし、多量の水が水蒸気へと姿を変える。
その一瞬の変化がもたらす爆風の衝撃圧力は約70メガパスカル。
人の臨界点0.5メガパスカルを遥かに越える、その威力はまさに必殺。
炎(熱)を打ち込む方向により爆発の指向性を決定できるとはいえ、至近距離にいてはレイも無事ではすまない。
そこで、レイは水への接触と同時にシューズに点火し加速を得、アスカが残しておいた水流の最後の1本で更なる速度を加えた。
衝撃はあるものの、レイへのダメージは最小限にとどめられる。とは言え、無論、無傷とはいかない。
アスカも同様に限界である。集中力の持続と極限ともいえる繊細な《word》のコントロールに、身体よりも精神がギリギリだった。
ともかく身体も精神も頭も、何から何まで休息を欲している。
もしも、もしもだ。もしも、今のこの状態で、
「これで生きてたら、アタシら死ぬしかないわね」
「人である以上、無理」
そう、ヤコブが人である以上、あらがえぬものがある。人に放射能にまみれて生き抜く術はなく、人に絶対零度を生き抜く術はなく、
人に真空を生き抜く術はなく、そして、人に70メガパスカルもの圧力下で生き抜く術はない。
Episode 16 : バーサス-3-
ガリュ=ロンの指には再び無数のナイフ。二指の間に2本ずつ両手で合計16本を挟み込み、それを手首のスナップで投擲する。
速い。空気抵抗や力学を十分に理解し、よく鍛えこまれた肉体が生む弾丸のごときスピードだ。
ユダは《Gate》で扉を生み出し、それらを全てその奥へといなす。弾丸のよう、とはいっても弾丸より遅いのは明白で、それに合わせて
扉を顕現させるのは容易い。扉を使わず己の体で避けることも出来るが、それでは避けた後にナイフが残ってしまう。相手の武器は
減らせるだけ減らすべきだ。
既にガリュの《word》が防護を行えるものであることは割れている。《Protect》か《Defense》か《Resist》か、いずれにしろ
それ自体を攻撃に利用するのは稀だ。あくまでも、守りに特化した補助的なものでしかない。故にユダは、ガリュの攻撃はナイフによる
ものだけだと断じた。
疾駆。急所以外ならば、あの程度のサイズのナイフなど、痛くも痒くもない。標的になるのを承知で一気に距離をつめた。予想通り
雨のようにナイフが襲い来る。一息で何10本ものナイフを投げ飛ばすガリュの技量は認めよう。しかも、1本をかわしたと思うと、その
後ろにピタリともう1本が追走してくる。しかし、それが足や腕にかすってもユダの疾走は止まらない。
ついにガリュとユダの間の距離は、拳が届くものとなる。ユダは腕を伸ばしながら扉を出現させ、その奥へと掌底を放った。
ガリュの背後に扉が現れ、そこからユダの掌が放たれる。上下前後左右の全方位攻撃こそが《Gate》の真骨頂だ。上手く入れば、脳を
揺らし、簡単に相手を気絶へと追い込む強力な一撃。だが、入りもしない。
「Intercept」
何発もくり出される全方位攻撃をガリュの《word》が『遮断』した。
放つ《color》はsilver。それだけの力量ならば、この遮断領域を超えてガリュの眼前に
扉を出現させるのは、おそらく不可能。防御手段があるという点で、ミサトに用いた手も通じない。ネルフ内を広く覆うガリュ
の遮断皮膜により、遠くへ逃げるのも不可能。つまり、この戦闘の焦点は、いかにガリュへと一撃を打ち込むかにある。最も、
「もう、終わってるがな」
距離をとった後に向かってきたナイフを見やり、そう呟いた。そして、遮断領域のナイフが飛び出た一点に向けて力を集中させる。
領域上にナイフ1本が丁度通れるサイズの扉が現れ、そこから何百本というナイフが一気に噴出した。今までガリュが投げ、ユダが扉
の奥へといなしたナイフを全て放出したのだ。
「ぐあああ」
銀の刃が皮を破り、肉に刺さり、心臓を突き、内臓を侵した。
単純な話だった。いかに遮断しようと自らが投げるナイフを遮断する筈もなく、そこをピンポイントで狙ったに過ぎない。
自らのナイフを体中に抱きながら、ガリュの命は散った。別にガリュのナイフでトドメをささずとも、あのサイズであれば何でもよか
ったのだ。それを敢えてガリュのナイフで行ったのは、ユダのせめてもの情けだった。
「じゃあな」
別れの言葉をはなむけに、ユダは暗き廊下をあとにする。
+++++++++++++++++
昏い沼の深淵を垣間見たような、そんな感情が沸き起こった。これが、これこそが
真の絶望か、と。
レイとアスカの眼前にはヤコブ。黒い衣服は爆風で全て千切れ飛び、一糸纏わぬ姿になったヤコブの姿が、確かにそこにはあった。
人の身では息絶えるしかない、この世の煉獄に晒されながら、なおも生存する。その姿は奇妙なまでに体を縮め、まるで樽のよう
でもあり、蛇腹が収縮したようでもあった。
クマムシ、と呼ばれる節足動物に似た微生物は乾燥時にバレル型へと変形し、
トレハロースを用いて代謝を最小限に保ちつつ仮死状態となる。仮死状態において、クマムシは人の1000倍の放射能下で生き抜き、
ほぼ絶対零度の低温状態を生き抜き、真空を生き抜き、そして、600メガパスカルもの圧力下で生き抜く。
ヤコブは己の《Beast》でそれを再現したに過ぎない。
何のことはない。
初めから分かっていたことだった。
「あいつ……やっぱり、化け物ね」
人と相対していると思うことが間違いだったのだ。
ヤコブが仮死状態を解き、幽鬼のようにゆらりと立ち上がる。白い裸体にアスカとレイは再び戦慄した。一目見ただけで理解に足る。
自分達が目指す完成形とも言える、鍛えこまれた肉体がそこにはあった。その上で、およそ隙の見えない熟達した《word》。
理解してしまう。勝てないのだ、と。どれだけ覚悟を決め、どれだけ命を賭し、どれだけ魂を燃やしても、
勝てない相手がいるのだ、と。存在するのは弱者と強者の圧倒的な、冷たいリアルだった。
それでも、勿論、退路はない。存在しえない。ヤコブが見逃してくれるとは思えず、そして、そんな思考も生まれない。
勝てないなら逃げろ、と言われ続けてきたが、それでも、だ。
「まだ、行けるわよね?」
「全力でせいぜい5分が限界。それ以上の戦闘行動は――」
ヤコブを見やる。死の危険など、目の前にあった。
「爆発させてもダメなら、首を切断するしかないわ」
それはアンリアルな叶わぬ願い。だが、願いなど願わなければ、はなから叶いはしない。
ぶるりとレイの体が強張る。
「何よ、アンタ怖いの?」
「怖い。とても、怖い。死ぬのが、怖い……」
アスカの目が何度か瞬く。
「アンタの口から怖いなんて言葉が出るとは驚きね」
「あなたは、怖くないの?」
「怖いわ。でも、死ぬことよりも、負けることの方が怖い」
負けと死は今の時点では同等ではあるが、アスカの言う負けはヤコブに対する負けを指すものではない。
「私が切断する。2人で接近戦を仕掛ける以外の道はない」
最早、前衛と後衛に分かれての大技やコンビネーションは、無意味であり不可能であるということがハッキリとした。特攻しか
道は残されていない。
距離を保ったまま円を描くように旋回運動をとる。徐々に半径を縮めるレイとアスカに対し、中心のヤコブはピタリと動きを止めた。
腰を落とし、足を左右に開き、右手を前に、左手をやや引き気味に。それはヤコブがとる始めての構えだった。
それも、獣そのものの獰猛な獣性と肉体でありながら、なお理性そのものの高度な技術を予感させる熟達した構えだ。
スーッと息吹を1つ。すぐさま《Beast》を発動させ、獅子の爪や牙をその身に宿す。
同時に筋繊維を引き搾るように、体全体を捻りながら更に腰を落とした。
――既に、アスカとレイを両端とし、ヤコブを中間とする直線はわずかになっている。両者、手の届く距離。
百獣の王と謳われる獅子の最大の武器は何であろうか。鋭利な牙、豪壮な爪、いや、それ以上に強靭にしてしなやかな、剛と柔を
兼ね備えた筋肉こそが最大の武器なのだ。牙や爪の威力を生かし、素早く力強い動きを生む、肉体自体が最強の武器なのだ。
獅子の前肢によるパンチの衝撃は約3トン。ヤコブが放つ一撃は、加えて人の術理を、筋肉のひねりを、関節の駆動を、骨の反発を、
その全てを合理的に作用させる達人技。それは、野生の最大極技が理性の最高峰技と混濁し、威力の重層を作り上げ、
威力の重奏を歌い上げ、獲物を重葬に処す――1本の獣の槍、これ即ち、
「獣槍、也」
尖端に爪を携えた、超高速の一撃だった。
穿。
――鉄槌とともに衝撃が地を震わせた。
+++++++++++++++++
勝負は一瞬。
シンジが
鞘から魔刃・紫鬼を抜く。
鞘を投げ捨てると紫鬼を腰に構え、踏み込みの型をとる。狙うは側面左下から右上へと刀を運ぶ裏切上だ。
一方、ペトロは片足を上げた姿勢で静止した。片眼鏡がギラリと光る。来たる攻撃に対して衝撃を叩き込むことだけを目的とした、
背水の構えだ。
2メートルに迫ろうかという紫鬼の一撃は、シンジが3歩、いや、2歩踏み込めばペトロの命を断つ。同時にその距離はペトロの
最良の間合いでもある。今の双方の距離においても、互いに攻め手は存在した。
シンジには周囲に残している紅い刃状のエネルギーがあり、ペトロの衝撃はこの距離でもシンジに届く。
しかし、互いにそれをよしとしない。
それらの攻撃では決まらないのだ。
拳を向け合いながらも、その思考は共通して一撃必殺。故に一瞬。
踏み込む。
1歩。
2歩。
紫色の切っ先が、空間を寸断した。
まずペトロが感覚したのは殺気。殺気の刃がペトロの体を両断し、それにつき従うように本物の紫色の刃が走る。
流麗なる殺気の波紋が空気に伝わり、その斬撃の華麗さを伝播するようだった。ただ、美しかった。大河川の下流にある、磨かれ
削られ砕かれ、そして最後に残った最も硬い部分だけの真円の石のよう。1つの芯が柔らかな皮膜を真っ直ぐに突き破る、
そんな心地。
見とれた。
それは一瞬の中の更にその一瞬だったが、確かにペトロは見とれた。
本当に一瞬、この斬撃になら斬られてもいいと思ってしまった。
その思考を追い出したのは痛みだ。皮に刃が真っ直ぐに入り込む。皮が1枚破られた瞬間、ペトロの足先が衝撃でブーストされ、
シンジの顔面に接した。
――互いに、加速せよ、と自分自身に命じる。
――互いに、凌駕せよと、と自分自身に命じる。
先に攻撃を受けたのはシンジ。ペトロの足先が側頭部にめり込んだ。次いで、シンジの斬撃。鮮血が舞い踊った。
静寂。
「どうして、ですか?」
それを断ったのは倒れ伏すペトロ。
「腕はどうしたんですか?」
紫鬼を鞘に収めながら質問に対して、シンジは質問返す。敵の眼前で得物を収めるのは愚の骨頂だが、それも時と場合による。
相手が最早戦闘が不可能ならば、その限りではない。
「そこの彼が頑張った、というだけです」
ペトロの視線は倒れ伏すトウジに。そう、トウジの両手は確かにペトロの両の腕を破壊していたのだ。
加えて、今のペトロは片足が存在しない。
――シンジの斬撃が根元から切り離していた。
斬撃をくり出して片足を断った後にすぐさま、いや、ほぼ同時に返す刀の峰をもう片方の足へとぶち当てた。単純に、
ペトロの一動作よりも、シンジの斬撃が速かっただけのこと。
「どうして殺さないのですか?」
衝撃の発射口である両腕を破壊され、片足は切断され、もう片方もあらぬ方向に曲がっている。
今なら抵抗もなく殺すことができよう。そして、その覚悟もペトロにはあった。
「獣ならそうするかもしれない。でも、僕は人だ」
本部へと連絡する。救助者の確保と、捕虜の扱いついて。
勝ったなどとは思わない。トウジが腕を破壊し、トウジが体力を削り、トウジが時間を作った。だから、今の勝利がある。
これは、決して自分の強さなどではなく、
「トウジの強さだ」
がむしゃらに死を否定したトウジの強さだ。
+++++++++++++++++
半透明の幾重にも重ねられた特殊防壁と白い仮面を隔て、ユダとサクノの瞳が向かいあった。
「第17使徒タブリス――サクノ=ナギサ、カタコンベ本部まで同行してもらいたい」
「ボクは普通使徒なんだ。君みたいな変態について行くわけにはいかないよ」
ユダが仮面の下でククと笑う。確かに白い仮面をつける自分の姿はさぞや滑稽だろう、と。
「確かに。じゃあ、力づく……ということでいいのか?」
光輝が増す。黄金色の光が防壁を通してサクノの泉のような瞳に映りこむ。《color》第2位――goldの煌きが室内を覆った。《word》を
解放し、周囲に漂う粒子を集積させて扉を顕現させる。空間を螺旋に巻き込み、事象を捻じ曲げ、もう1つの扉をサクノの背後に生み出し
た。
扉から生え出たユダの腕がサクノの首を狙う。
「スマートじゃないね」
言葉と同時に、当然のごとく光壁に弾かれる。ATフィールドは何ものの侵入も許さない。ATフィールドの奥へとユダが扉を展開しように
も、力が潰される感覚がある。まるで、そう、まるで――《limit》で《limit》を
潰す技術を受けたのと同感覚。《word》的な干渉も、物理的な干渉も、
何も通しはしない結界だ。
ATフィールドを無力化する方法は当然知られている。圧倒的な威力で貫通するか、同レベルのATフィールドで中和するか、
アンチATフィールドを用いるか、だ。地球上においてATフィールドを持つものは、生物から無生物、単体から群体、存在する
あらゆるものにおいてサクノただ1人。故に中和は不可能。アンチATフィールドを発生させる技術もユダは持ち合わせていない。
ならば、方法は1つしかない――貫く。
言わば第5使徒ラミエル戦の再現となるが、それとは異なる点がある。ラミエルは殲滅すればよかったが、今この場でユダは
サクノを殺すわけにはいかない。当初の予定では、ユダの《Gate》により巨大質量と高速度をもった物体を呼び出し、
ペトロの《Shock》でそれと更に高速度とし、ATフィールドを突破する手筈であった。生死の問題はATフィールドを破った瞬間にユダが、
扉からサクノを回収することで解消される。理論上、質量と速度の複合でATフィールドをギリギリ突破することが可能なエネルギー
が生まれるはずだったのだ。
しかし、ペトロからの連絡が途絶えた。ペトロとヤコブで戦力を引きつけ、その間にユダが深くまで侵入する第1段階。サクノの眼前に
到達し、ペトロを呼び寄せて目的を果たす第2段階。その上でネルフに対する徹底した破壊工作を行う第3段階。あわよくば、《珠》を
回収するのが第4段階。
予想外の闖入者や、その他様々な影響で作戦は第2段階で頓挫することとなった。
「っち……俺1人でやるしかないか」
亜音速飛行中の航空機か、宇宙を高速で移動中のスペースデブリか、ともかく質量×速度の大きなものをぶつけてみるしかない。
それでATフィールドを破れるとも思えないし、破れたとしてもサクノの体を扉越しに回収する行為が間に合うかも微妙だ。
「やるしかないがな」
力を収束させた。巨大な扉を作り出す必要がある。
一方、サクノも力を収束させた。ユダの《word》の流れがよく見える。
巨大な力が凝縮され、その奔流は恒星の爆発を予感させた。巨星が生まれいずる感覚だ。その前に、
「首を落とす」
集った鮮鋭なるATフィールドの陰影が、空間とユダに残照を刻み込む。
+++++++++++++++++
To Be Continued to Episode 17.
Next, NERV vs CATAKOMBAE vs RENAISSANCE.
And, the strength not used explodes.
+++++++++++++++++
<後を書く>
パンチ力3トンってことはギャレンより上ってことです。あと、レンゲルと同じ。
あんまり凄さがなくなる、この比較はどうかと思ったり思わなかったり。
次で一応バーサスは終わると思う。