避けられぬなら、慟哭をぶつけ合う。
5重の特殊防壁に覆われ、ペトロ――エムデンは1人佇んでいた。ただの物理的な壁ならば彼の《Shock》をもってすれば、
紙切れでしかない。しかし、《Shut》の力でにより閉じ込めるられることを余儀なくされ、シンジとサクノがいつでも駆けつけて
くる。何より、シンジに切断された右足と折られた左足、トウジに跡形もなく粉砕された両腕は未だ完治していない。
正式に捕虜の扱いを受けたペトロにはすぐさま治療が施された。右足はシンジの斬撃が理想的だったためか、接合部もきれいで比較的
容易なものだ。リツコが《Repair》で肉と骨と皮を繋ぎ直せば事足りる。左足も同様だ。故に問題は両腕となる。
リツコの《word》の力は、『直す』ことであって『治す』ことではない。ペトロの両腕の骨の大部分は粉々に、
というか粒子にまで粉砕されこの世から消えていた。それが僅かなら、強引ではあるが骨を直すことは出来ただろう。しかし、大部分だ。
部品がなければ修理はできない。外科手術も検討されたが、流石に敵対組織の一員としてペトロはそれを拒んだ。
「……く」
エムデンは空気に晒され、軋むような鈍い痛みを訴える自らの両足を見やる。
直ったとはいえ痛みはあるし、何より一度消えたものがまたそこにある違和感を脳は見逃さない。両腕はギプスに覆われ、
足と腕という攻撃の要は完全に封殺されている。
翼に加えて口ばしも爪も奪われた猛禽というに相応しい。
「さて、どうしましょうかね」
自殺という選択肢も、ネルフへの寝返りという選択肢も有り得ない。回復を待つ手もあるが、
あまり長居をすべきではない事は明らかだ。シヴァが自分を見捨てるとも思えないし、それならば救出は早ければ早いほどいい。
その時、自分が事を有利に運ぶために策を巡らせる必要があった。
取り敢えず痛みを堪えれば両足は動く。再び折れることを覚悟し全力で片足を振るえば、おそらく防壁は破壊できる。《word》的な
防壁は《color》の差で無力化できるレベルならばいいが、それは楽観的すぎた。それに1番の問題はサクノとシンジだ。
あの2人を今の状態で同時に相手どることは自殺行為でしかない。
「八方塞ですか。いずれにしろシヴァ様からの連絡を待つ必要がありそうですね……」
窓の無い部屋で1人虚空を見た。最も簡単な方法はシヴァが1人でネルフを陥落させることだ。
「それも面白いのですが」
いささか問題もあった。シヴァの力に微塵も疑いはないが、ネルフも以前とは違う。現にイレギュラーはあったが、結果だけを
見れば自分達は退けられたのだ。それを進歩と言わず何と言おう。何もないとは言い切れない部分がおそろしい。そして、以前の
自分だったならば何もないと言い切っていた筈なのだ。だからこそ何よりも自分の思考が恐ろしい。
「シヴァ様の力を疑っているのか。私が――」
ぶるりと震えるエムデンの脳裏に浮かぶのは鮮烈なるシンジの斬撃だった。
+++++++++++++++++
楕円のテーブル上にぐるりと配置された蝋燭に淡い炎が灯る。15の光と15の席に対して、照らされる人影と埋まった席は4つ。1つには
シヴァが、1つにはユダが、1つには燃え盛る炎。そして残りの1つの席では、黒髪を肩口で纏めた女がニヤニヤと笑っていた。
「で、どーするわけ? ペトロは捕縛、ヤコブは負傷ってちょっと有り得ないんじゃねーのん」
女がククと笑う。
「ヨハネ、少し黙れ」
女――ヨハネはユダの言葉に更に笑い転げた。
「あはは、バーカ。ルネサンスの雑魚にあんたが時間かけてっからこーなるんじゃん」
それは真実の一端を突いていたので、ユダは黙るしかない。確かにムリをしてでも逃走を図って、ペトロやヤコブを手助けすればこの
事態は防げた。
ヤコブの怪我は深刻だ。右手が完全に死んでいる。必殺を誇る
彼女の獣槍は、その絶大なる威力故に自らの拳が砕ける可能性を常に孕む。
それでも今までそれは問題として表面化しなかった。人体に放ったならば威力の高さから、確実に相手の肉体を貫通するからだ。
衝撃を阻むものがなければ、力は霧散する。しかし、今回は違う。片手で、止められた。完全にせき止められた。
「ルネサンス、どうにかしなくていいんですか、シヴァ様?」
ヨハネの危惧も最もだ。過去の接点はネルフを通したものでしかないが、今回は直接的に関わった。ユダが工作員を殺し、ヤコブは
争った。報復がないとも限らない。
「よい。あの組織の長がそんな無駄な事をするとは思えん」
それよりも、と二の句を継ぐ。
「ペトロについてだ。誰かが行かねばならない。我を始め、お前たち以外の12使徒は動けない――分かるか?」
「俺が行こう」
シヴァの意図を汲み、白い仮面の口から低く呟きが漏れる。
「別にわたしが行ってもいーけど?」
笑ったままヨハネが仮面に言葉を浴びせた。糾弾の色が見える。
「お前の《word》は支援向きだ。奢るな」
対してユダも嘲りを込めた。
「ざーんねん
。真鏡・夜闌、わたし
のだよ。《本質》があれば、むしろ《word》は支援向きの方がいい。そーでしょ?」
「それでも俺が行く」
ユダはサクノのATフィールドエッジを避けたあの感覚を思い出した。
扉と扉が直結するイメージがある。それは《Gate》を用いる時、
常に存在するイメージだ。しかし、と知覚し疑問を抱く。本当にそんなものが必要なのか、と。
自分の《limit》は範囲で言うならば、直線距離で地球の直径よりは更に大きい。条件でいうならば、人体内部への
展開が不可能なことと、必ず2つの扉で距離を短縮しなければいけないことだ。
それらに疑問を抱く。必要なのは《Gate》という単語が示す――概念としての『扉』ではないのか、と。三次元において力を行使し、
距離の圧縮という事象を引き起こすには、三次元故に三次元における『扉』の概念の示す扉の形を発露せざるを得ないのでは、と。
つまり、三次元に存在すると定義し得ないもの同士を繋ぐのならばどうだ。イメージとしての『扉』は必要になるが、それを事象として
三次元に顕現させる必要は無い。
ユダの描くただの『扉』というイメージで、繋げるのかもしれない。例えば、想念と想念を。例えば、生と死を。例えば、例えば、
例えば、概念と概念を。
それらが示すものは、物理法則を超越し、次元を超越し、宇宙を超越し、ヒトを超越した何かだ。
震える。
あの感覚を得るには、もう1度あの場所に、ネルフに行く必要がある。だから、
「どうあっても俺が行く。《本質》を試したいのなら、アーガスにでも頼め」
「いいだろう」
無言を貫いていたシヴァの肯定。シヴァが肯定してはヨハネも引き下がるしかない。
「だが、よいのか? 今のネルフには4人のチルドレンがいるぞ。彼ら、特にサードとフォースはお前にとって特別な筈だ」
シヴァの言葉に仮面が歪む。笑いでもなく苦痛でもなく、悦びにだ。
「断ち切るべきなんですよ。何もかも」
その自嘲を最後に仮面は翻り、ユダの姿は消えた。
【シヴァ様、本当によいのですか】
「シモン、つくづくお前は心配性だな」
炎から届く声ならざる声に応じたシヴァの顔は、どこか嬉しそうだ。
【貴方が行ったほうが確実なのでは?】
「ユダは何かに目覚めようとしている。それを妨げるのは本意ではない。階梯を上るものは1人でも多いほうがいいからな。
その上にユダには未だしがらみある」
【しかし】
食い下がるシモンに対してシヴァは分からないか、と諭した。
「ヤコブの報告を信じるならば、例え長がそうではなくても報復がないとは言えない。モード=ロン――ルネサンスが
縛れる器ではあるまい」
そのための最後の抑止力としてのシヴァなのだ。12使徒の中でも武闘派を誇るヤコブをあしらったのだ、最悪シヴァでなければ
対処できない可能性もある。
「それに夜闌とヨハネを迎えに出向き、サードチルドレンと入れ違いになったこともある。どうやら今の我は巡り合わせが悪いらしい。
アンデレも『悪い星が見える』と嘯いていたことだ……今回は座すがよかろう」
アンデレの妙な説得力を持つ予言を思い返し、シモンは炎を揺らして笑った。
一方、ヨハネの機嫌は悪化の一途だ。
「ヨハネ、ユダの言う通りだ。今日明日中にはアーガスの治療が完了する。相手をしてもらえ」
「アーガスの《Vampire》と夜闌は食い合わせわりーですよ」
ぶちぶちと文句をいいながら、アーガスとの面会をすべくヨハネは部屋を後にした。
15の蝋燭が消える。シヴァの単眼と炎だけが燃えていた。
Episode 18 : of Stigma
命の価値など存在しない。あるのは何を残すか、何をなすか、どうやって死ぬかだ。残酷で優しいアンヴァーチャルな命の軌跡は、
サインカーブのように美しくなく、スペクトルのように整然ともしていない。もっと汚く、ランダムだ。
しかし、カヲルはそれを否定する。
自らの精神の奥の更に奥の魂から伸びる『自己』という芯は、限りなく直列していた。カオスでありながらフラット、いや、
フラットなカオスというべきか。カヲルはその混沌は、使徒から人への変質こそが原因だろうと自己分析している。変質といっても、
正しくは、
「剥離、なんだよね」
シンジの言葉は限りなく正しい。
「ATフィールドで包んで固定化した魂を分化させた。別たれた部分は僕の『使徒』を規定するものだ。元々、使徒は波と粒子の性質を
持つ、光に似た何か――僕でも何と言っていいかは分からないけど、それらをATフィールドで固定化しただけの存在でしかない。
おそらく、願えばその形は思うままに変わるのかもしれない。本体はあくまでコアであり、それに魂は引きずられる」
「コアは同時にATフィールドを作るドライブ?」
頷く。肉と魂を持つ人とは在り様が違い、だからこそ専用のドライブが必要になる。DVDドライブがないコンピュータに、
外付けで新たにそれ用のドライブを付加させるのと同じことだ。使徒と人種の0.11%の違いなど、その程度でしかない。
「だから、僕たちは大いなる意志の末端として、分身として、身代わりとして、
分化されて変化を促されてそれぞれの形質を得た。分け与えられたまがい物のATフィールドドライブだけでは、
せいぜい形質を保つのが限界だ。その出力はやはりどこからか得なければならない」
「それがS2機関」
「そう、命の実。生命の果実。エターナルドライブ。つまり、僕は使徒を構成するその2つのドライブを、使徒性の剥離によって
魂を引きずられることで失った。残ったのは僕という
特異な形質を得たために持ちえた脳や心臓――人の体。だからそれらを引き剥がされたことで、自然、
僕は人とならざるを得なかった」
その言葉に違和感を覚え、シンジは顔色を変える。
「それは進化? 退化?」
「進化なんだろうね。僕の生と死は等価値だった。例え死んだとしても、僕という形質が崩れて、2つのドライブと混ざり合って
祖へと還るだけでしかない。使徒の形質がATフィールドを用いた、魂に依るただの
物質安定化でしかないのなら、本質はあくまでも魂を収めたコアだ。
それが在るなら、形質がどうなろうと『在る』という事実は揺るがない。
その意味で、それを逸脱し種を超越して変化した僕は確かに進化したんだろうね」
思う所があるのか、シンジは背の大太刀に意識を向ける。それはカヲルも同じで、その視線は腰の双刀へ。
「抜け殻なんだよ、サクノは。還る筈だった僕の2つのドライブは、存在し続けた。しかも、僕の魂に近いそのコアは、僕と同じヒトと
同一の形質を選択した。使徒性の塊がATフィールドを外殻にして人をなしている。
シンジ君、どういう意味か分かるかい?」
「つまり、サクノがカヲル君と同じように変質して、今度は別の形をとるかもしれないってこと?」
そうじゃないと首を振る。
「サクノの魂は僕の魂の一部だ。最も、既に僕らがそれぞれ個を確立している以上、ただの双子みたいなものだけどね。
ともかく、僕よりもそれは縮小されている。縮みすぎるとそのうちゼロになるよ」
「随分と今日は饒舌だね」
口に出すべきではなかったのかもしれない。互いがこの空気に気づいていた。しかし、『それ』を受け入れない理由もないのだ。
互いに互いの全てを知りはしないが、互いに互いの全てを感覚していた。それは過去の初号機とタブリスの共振なのかもしれないし、
単に2人とも曲がった生き方をしているからかもしれない。
「ふふ。僕が言いたいのは、引きずっている、ということさ」
「引きずっている?」
「僕という形を、だよ。人という形に引きずられている。だからこそ、僕は人となった。そして、それを――」
半瞬の沈黙。
「――後悔している。もう、僕にとって生と死は等価値では有り得ない。生きる喜びも、生の痛みも知ってしまった。
だからこそ、僕は、君を、シンジ君を許容することなど出来ない」
それは明確な殺意にも似て。
「どういう意味だい?」
理解しつつも訊かずにはいられない。
「さよならってことだよ」
カヲルは虚空を睨め付けながら、ゲンドウとのやり取りを思い出した。
コトリとそれを木目のテーブルの上に置く。それは実質、青葉シゲルの命と引き換えに得られた彼の命の価値だ。リャノン=ロンより
もたらされた、ルネサンスの情報を収めたそのメモリースティックは鈍く光る。まるで淀みきったカヲルの心のようだ。
スマートさの欠片もない。
「確かに預かった」
ゲンドウはそれを手に取ると、横に控えるユイへと手渡す。
射抜いた。
それは槍のようでもあり、刃のようでもあり、矢のようでもあったが、しかし、そのどれでもなかった。棘、針、鋲ともつかない、ある
のは刺し貫き穿つという意思。意思による力だ。その意思を、敵意、と呼ぶ。
流れる敵意の奔流はカヲルからゲンドウへ。それでもゲンドウは泰然と揺るぎはしない。
「分かっていたんでしょう」
「何をだね」
カヲルは腰に手をやる。そこには鎖がぐるりと絡まっていた。引き抜くように手に抱くとぶくぶくと泡立つ。泡が弾け飛ぶと、
銀の鎖は膨れ上がり刀という新たな形を持った。
「これを、僕が得ることをですよ」
その言葉にゲンドウは押し黙る。
「あなたは怪物だ。精神で全てを意のままにする、知恵の怪物。まさか予想していなかったとは、言わせません」
「……君がそれを得ることは予想された事実だ」
「そして、シゲルさんの死も含めて、ですか」
凍てついた。空気がカヲルに従えられるようにその流動をとりやめたようだ。
「それの目覚めは確実なことだった。そして、それさえ手にすれば君の任務が失敗することは有り得ない」
それが力であり、現実だった。しかし、とゲンドウは続ける。
「青葉君の死の確率は限りなく低いものだった」
予想しえる全てのプランにおいて、冷静に冷酷に可能性を選別することが勝利を呼び込む。
「分かっていますよ。そして、それ選択しなければならないという現実も、それが最善で最良であったという事実も」
俯いた。右手と左手がそれぞれ刀の柄を強く握りこむ。血が伝った。
「しかし、あなたが、あなたという精神の魔物が作り出した最善最良のプランは狂った」
両手から力を抜いた。力が抜けるのと同調するように、2本の刀が鎖へと還って往く。
「こちらのミスだ」
ゲンドウの言葉に、カヲルは歯を軋ませる。唇がぶちりときれ、奥歯が歪んだ。その瞳は濁り、爛れている。まるで幾星霜もの時を経た
星々を内包した、熱死寸前の末期宇宙。
それは止まる事をしらない悲しみと憎しみだった――自分自身への。
「言ってください、真実を」
視線を合わさず、震える声を紡ぎ出した。その呟きにも似た懇願に、ゲンドウは沈黙を貫く。
「言ってください――僕の力を、過大評価していたのだ、と」
己への呪詛のように、言の葉を舞わせる。
「僕の力を! 僕があれほど簡単に敵の手に落ちはしないと! だからこそ! だからこそ、シゲルさんは死なない筈だったのだと! 言って
下さい! 言って、言って下さい!」
カヲルの顔は歪んでいた。秀麗な顔が、滑稽なオブジェのように、歪んでいた。
「頼むから……頼むから…………お願いです…………言って、ください」
黙す。
「言って……下さい…………言って……」
黙す。
「言って…………くだ……さい」
黙す。
そして、破る。
「カヲル=ナギサ――君は何を望むのだ」
赦されたかった。自分が悪いのだと知れば、告げられれば楽になれるのだから。シゲルの死の責任は自分にあるのだと、そう安心
してしまえるから。
「何度でも言おう。私のミスだ、と」
ゲンドウは揺るがない。
そして、カヲルは奈落の底へと落ちた。
+++++++++++++++++
ゆらり。
闇に紛れて黒き扉が浮かび上がる。その扉を開けて現れるのは、
白き仮面の地這いの徒。黒に紛れる寒色の服に身を包んだせいか、
仮面の白だけが奇妙に浮いていた。異界からの使者のよう。そして、それは真実だ。
ぴくり、とその何10メートルもの地下の営倉で、ペトロ――エムデンが反応する。
「きましたね……」
肌があわ立つ。それはユダの訪れと、巨大なる力のぶつかり合いの前兆がない交ぜになった故だ。
繋げて渡る。機械と《word》の監視の網を抜けるように、扉を渡り歩いた。そして触れる。膜のような、ぶよぶよとしたものに放った
扉の因子がぶち当たった。それを感じ取り扉を作り出すのを止める。
「《word》的な防護か……」
最早、苦にもしない――余力を考える必要などないのだから。1度力を固め、一気に放つ。塊となった向こう側の扉を形作る因子が、
膜を容易く貫き通した。そうして作り出した向こう側の扉の因子が通った道の延長に、今しがた作り出した目の前の扉を置く。
くぐり抜けると同時にけたましい警報音。それをバックミュージックに、エムデンに向けて軽く手を上げる。
「いい身分だな、ペトロ」
「そう言わないで欲しいですね、ユダさん。これが、なかなかどうして拘束力が強い」
「まぁ、いい。通れ」
1度破り捨てた膜など、存在しないのと同じだ。今度は一気にカタコンベの本部へと扉を開放する。
「おや? あなたは?」
扉に入ろうとしないユダに疑問を向けた。
「どうやら、やり残したことがあったらしい」
ユダの視線を追う。そこには警報に誰よりも早く反応した人物。
「なるほど」
理解すると、ユダをその場に残してエムデンは消えた。
眼前には、既に《word》を解放したトウジ。
「行かせへんで」
拳に圧力を収束させる。自分が命を賭し、そしてその末にシンジが倒した敵を逃がされた。それは自分とシンジがなしたことを、
無へと帰すことだった。
渦巻く殺気にユダは動じない。どころか、どこか楽しげでもある。
「断ち切るべきなんだよな、しがらみは」
手を前に突き出す。扉が生まれた。ギっと音をたててその扉が口を開ける。
「こいよ」
その扉をくぐりながら、同じ空間へとトウジを招く。その誘いにトウジは考えるまでもなく乗り、同様に扉をくぐった。
有り得ない行動。しかし、どうしてか、トウジは抗う術を持たなかった。何故か、と考えるのはやめる。それは想像したくはない、1つの
事実だからだ。
トウジは自分自身の心中の言葉を思い出す。
――早く全てが終わって、全てが元通りになって、全てがうまく行って、笑っていられればいいと。そう思った。
全てが元通りになる筈はないと知りながら、だ。
扉の先は草原だった。風に草がたなびき、月が周囲を照らす。星と月と風だけが見ていた。
「さあ、始めよう」
ユダの手が自らの仮面にかかる。異界じみた仮面がことりと地面に落下し、跳ねた。
晒された素顔に、トウジは諦めにも似た理不尽を感じた。その穏やかな激情をともなった、熱水のような言葉がトウジの
口からこぼれ落ちる。
「なんでや、ケンスケ」
「なんでだろうな、トウジ」
2人の《color》が世界を照らしていた。
+++++++++++++++++
「僕はもう、ここに、ネルフにいるわけにはいかない。自らの罪と向き合うことすら赦されない――ここには」
それだけではないのだろうな、とシンジは感じ取る。恐れや悲しみ、そして憎しみ。
「だから、さよならなの?」
「君は、師を失ったのだろう? それすら君の父の、碇ゲンドウの計画通りだとは思わないのかい?」
「そうだとしても、そうじゃない。そんなことはカヲル君だって分かっているはずだ」
優しげに頷く。
「ああ。そして、だからこそ、僕はここにはいられない。知ってしまった。許容できない。自分の弱さを。自分の罪を。自分の執着を。
何より、それでもなお生にしがみつき、生きていることに安心する、自分の醜さを」
「それは人が誰しも持つものじゃないの?」
「だからこそ、さ」
そして、微笑んだ。
「そして、そして、それら全てを許容する君を、シンジ君を、僕は許容できない」
それは嫉妬。そして羨望。
「憎くすら思う」
『人』がカヲルの足枷だった。しかし、それでも『人』を望む自己矛盾がカヲルを苛む。それ以上に、気づいてしまった。
「君は好意に値するね、そして、それは、同時に殺意――」
愛と憎しみは同じものだ。憎い事は愛しい事だ。愛しい事は憎い事だ。愛しているから、好きだから、許せないことがある。それは
憎しみだ。憎んでいるから、嫉んでいるから、それ以外にはなって欲しくはない。それは愛だ。
愛してくれないなら殺す。殺したいほど愛しい。殺せば永遠に。愛せば流動に。人は安定と不安定の上になりたち、それらを許容し、
それらを忌避する。
「どういう意味?」
「――好きってことさ」
立ち上がる。
「君は、僕の希望と絶望を受け入れてくれるかい?」
鎖を手にする。泡立ち形成される双刀。
刻まれるパターンは炎、握りには環、
刃は銀――魔双・忌望
絶放の形質。
忌避すべき望みと、絶対であるべき解放。
「何度か本気で戦ったことがあったね。そして、今、僕はそうしたい」
嫉妬と羨望と尊敬と信頼と、全てに決着をつけるために。人らしくあるべき当たり前の感情に、区切りをつけるために。
人であるために。生きる痛みを甘受しよう。
「さあ、壊してくれないか」
「それが定めなら」
いつか聞いた言葉とともに、
シンジは魔刃・紫鬼を手に
した。
+++++++++++++++++
To Be Continued to Episode 19.
Next, the battle.
And, cry"ing" sorrows.
+++++++++++++++++
<後を書く>
なんだかねー、と。繋ぎの回です。
次回か次々回で一旦の結末をむかえる予定。