軋む。
軋む。軋む。軋む。
鬩ぐ。
鬩ぐ。鬩ぐ。鬩ぐ。
競る。
競る。競る。競る。
加速する。加速する。加速する。加速する。加速する。

肉体が思考を凌駕する。瞬発する肉体の上に思考の流れを乗せる。
瞬発する思考の上に肉体の流れを乗せる。思考が肉体を凌駕する。

生まれるは理想。
生まれるは舞踊。
生まれるは流麗。

斬霧。雷剛。
雷轟。斬無。

紫の一刃が一筋の直線を描く。銀の双剣が二筋の曲線を描く。
天から地へ死のラインが繋がる。零から極大に向けて円を広げる。
振下→停止のタイムラグはゼロに等しい。中心→円端のタイムラグはゼロに等しい。
空気を割り裂き、生まれる豪風はサイクロン。空気を割り裂き、生まれる豪風はタイフーン。
ただし、渦巻くものは風だけではなく、殺気と――愉悦。

描く。描く。描く。描く。描く。
巡る。巡る。巡る。巡る。巡る。
きらめきしは殺気の輝線。ゆらめきしは殺気の交戦。
奪う。睦む。祈る。感ず。削る。
描く。
巡る。

嗚呼。嗚呼。嗚呼。
華なり。流なり。激なり。
疼く。震える。凄む。察す。騙る。
斬撃。
激雷。

昨日が傷む。
今日は痛む。
明日を悼む。
さあ、悼みあい、痛みあい、傷みあい――


笑いあい、さよならしよう。

 

 

 

 

 

サヨナラグッバイ・イエスタデイ。

 

 

 

 

 

[ // ]

written by HIDEI

 

 

 

 

 

 ――体術の優劣は明確だった。
 カヲルの方が速く巧く、何より足運び1つとってもそこしかないという最善。骨と皮と肉と神経と、全ての 歯車が唸りを上げて噛み合いながら回転する。その両腕には放電の末に形成されたデバイ遮断。 空気中に存在する原子という原子から電子を簒奪し尽くす。生まれる高電圧。吹き荒れる電雷の放射。 残った原子はイオン化、そして電離を果たす。電離に次ぐ電離。ついにはイオン化原子と電子が混濁し、プラズマを作り上げる。今や カヲルの腕は、稲光を放つ積乱雲そのもの。
 ――武器の扱いの優劣もまた明確。
 《雷》を補助とした肉弾戦を主としていたカヲルに対し、刀を使い慣れ、達人であるサガに師事したシンジの捌きは巧みだ。 投げ捨てた鞘を尻目に、大太刀を宙へと滑らせる。殺気の 刃と魔刃まじん紫鬼しきの擬似的 二刀流が、死の線を無数に描いた。驚嘆すべきスピードでくり出される斬撃は、最早、その数が1だとて10だとてほぼ同時に襲いくる。 加えて《斬》により、2人を覆うように展開された刃状のエネルギー。 走る死線デッドレイと赤き刃が檻をなす。
 互角、といっても差し支えはない。体術ではカヲルに分が、武器術ではシンジに分が。操る肉体と武器の能力差は 誤差といえる程度。故に続く。拮抗するが故に、一瞬で勝負がつかないのなら決着には時間を要する。そして、一瞬で終わらせるつもり など、どちらもなかった。

 右手が空気をぶち抜きシンジの前髪を焦がした。その閃光のごとき拳を、額に接触する寸前にさける。直後、 カヲルの魔双まそうの 左手剣――絶放ぜつぼうに刻まれた炎のパターンが視界に広がった。 だが、それすらシンジの感覚の内だ。空気の流れと殺気の尖りが全てを教える。上半身だけ後ろに倒して軽々と回避し、次いで 床を削り取りながら紫鬼を宙へと抜き放った。ガキリと甲高い残響。紫の刃とせめぎ合うのは、他でもない魔双の 右手剣――忌望きぼうだ。
 グっとカヲルが絶放で忌望を引き寄せた。右手はプラズマを湛えた砲弾として、左手は剣でその補助と防御を。それがカヲル の選択した戦術だった。2本の剣は握りの先にある環同士が鎖で繋がっている。つまり、絶放を直接手に持ち、それに繋がった 忌望を鎖鎌のように振り回しているのだ。双剣を使い慣れない故の苦肉の策ではあったが、利にかなっている。 通常では予測し得ないその動きに、シンジは僅かに戸惑いを感じていた。
 シンジは若干の距離をとり、周囲に《斬》で働きかける。赤い流星がゆらぐ。
 周囲に浮遊する刀状のエネルギーは、エネルギーでありながら確かに形を持ち、その形が示すとおり物質を切り裂く。 切り裂く熱エネルギー、という認識はカヲルのものだ。しかし、他者ならともかく、それを理解するカヲルにとっては怖くはあるが、 戦慄を覚える程でもない。そもそも、他のどんな攻撃にもいえることだが、当たらなければいいのだ。
 シンジにとってもそれは同様だ。カヲルの右手に宿るプラズマは確かに怖くはあるが、戦慄を覚える程でもない。今の出力とカヲルの 認識力ならば、本物の雷と同じく音を越える速度で打ち出すことも出来よう。しかし、腕から打ち出す以上、その雷の指向性は腕によって 決定されるのだ。打ち出される寸前の腕の動きで、どこに放たれるか分かる。つまり、当たらなければいいのだ。
 故に両者の思考は同一。
 加速、せよ。
 粒子の1つすら見逃さんとする瞳、聴こえぬ音すら捉えんとする耳、存在しないものすら感覚せんとする肌、そして、 集中力が全てを凌駕し包括する。
 加速が膨張し、破裂し、膨張し、破裂する。それは静止にも近い高み。白の極限空間へと至る、限界を超えた思考と肉体の応酬。 肉体が思考を凌駕し、思考が肉体を凌駕する。瞬発する肉体の上に思考の流れを乗せ、瞬発する思考の上に肉体の流れを乗せる。

 10を越える斬撃がほぼ同時にカヲルを襲う。どれが本物の刃か知覚することすら不可能の、本物と見まごう殺気の刃が渦と化した。 構うことなどなかった。カヲルはどれが本物かをはかる前に、全てを避けることを決す。
 加速。
 加えて降り注ぐ《斬》の赤き刃。水を頭上からぶちまけられたのと相違ない。まさしくそれは隙間なき殺気と殺意の兇器。 カヲルは当然のように、それも全てを避けることを決す。
 加速。
 シンジの手の中の紫鬼が翻り、頭上にかかげられる。既に、シンジはカヲルが自らの全ての攻撃という攻撃、殺意という殺意をかわすで あろうことを確信していた。経験や知識によるものではなく、ただ信じていた。殺意の刃を向けながら、全力をもって攻撃しながら、 相手がそれをかわすことを信じていた。
 信じながら尚さらに練り上げし必殺を放つ。本気で殺すことを望みながら尚さけると信じた、大上段からの唐竹。殺そうと考え、 もっと速くても避けると信じ、それでも殺すためにもっと、もっと、昇り詰める。
 加速。
 空間が割れるがごとき暴威がカヲルの白銀の髪に接触する。それが髪から頭皮に至る僅かな間に、カヲルの左手が瞬動し絶放を紫鬼の刃 へとぶち当てた。自然、絶放と鎖で繋がった忌望が円弧を描いてシンジの脇腹へと到達する。しかし、軌道が円な分、動きは緩慢だ。
 加速。
 体を捻って、シンジはそれを回避する。回避行動と一体となって回転運動が加えられた紫鬼が、カヲルの胴へと真っ直ぐ向かう。 針のごときコントロールで、その突きはカヲルの心臓を狙った。無論、当然、自然、カヲルは心臓を狙われることを理解している。 必殺を期して狙える時にこそ急所を狙うのがシンジだと、そう信じるが故だ。
 加速。
 狙われる場所が分かっていれば回避は容易い。シンジと同じように、回避の回転と攻撃の回転を合致させる。コマのようにグルリと 旋回し、絶放と忌望とをシンジに向かって薙いだ。それに合わせてシンジは紫鬼を走らせる。絶放を刃で、忌望を柄尻で受け、鬩ぐ。 互いの得物の激突は、鮮烈にして強烈。鬩ぎあう刃が互いの骨を軋ませ、互いの心肺機能を急かせた。
 加速。
 弾かれたように離れ、再び互いが互いの必殺を放つ。
 加速。加速。加速。
 攻撃と回避。回避と攻撃。
 加速。加速。加速。加速。加速。加速。
 互いの刃が、拳が、足が触れることはあっても――傷を与えることは1度もなく、加速が加速し加速を加速させる。
 加速しながら鬩ぎあい競いあい、次第に攻撃は先鋭化し、回避は流麗化し、互いの動きは高みへと昇る。紡がれる 拮抗と超克と凌駕の繰り返しは、まるで舞踊。放たれる必殺を決まりきったステップのようにかわし、そして再び必殺を放って繰り返す。 華々しく激しく、そして哀しい――2人の戦いのダンス。
 拳で、刃で、動きで、殺気で、殺意で、想いで、魂で、声なく会話しながら

 ――2人は笑っていた。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

「どういうこと」
「どうもこうもないわ。計測もクソもないもの、仕方ないじゃない」
 リツコの視線は目まぐるしくパラメータが変化し続けるモニタに。それに従うようにミサトの視線も動く。
 そこにはパターンブルーの文字。
「使徒だってこと、忘れてるわけじゃなかったけど……」
 それでも、と。
 ミサトの脳裏にはかつて脳に焼きついた使徒の恐怖と、屹立する羽が奏でる《2nd Impact》の様相。
「使徒だから、とかじゃないでしょうね」
「どういう意味よ」
 見て、とモニタの左上に現れたウインドウを見るように促す。
 羅列されるデータがリツコの操作でソートされ、トレーニングルームの入退室者名リストがあらわになった。
「サクノのATフィールドでリアルタイムの計測は全部無効になってるけど、入室記録はこうして残ってる」
「あそこにいるのはシンジ君とカヲル君だっていうの?」
「ほぼ間違いなく。それをどうしてサクノが遮断してるかは、直接話を訊かないことには……」
 ガシガシとミサトが髪をかき乱す。
「私がすぐに行ってくる。もう片方は?」
「そっちこそどうにもならないわね。《Gate》で消えた後に、MAGIでは捕捉できていない」
「ユダもペトロもトウジ君もどこ行ったんだか分からないってことね、要は」
「会話記録からペトロがカタコンベ本部に戻った事は間違いないけれど、後の2人の行方は不明――八方塞がりね」
 周囲ではオペレーターが目まぐるしく動き回る。世界中に網を広げ、トウジの姿を探しているのだ。
「最悪ね。ほんとに……」
 拳を壁に打ち付け、自分自身に毒づく。
「悪い事が重なった、と思うしかないでしょう」
 慰めにもならない言葉を吐く。本来ペトロについている筈だったシンジと、最後の抑止力としてATフィールドを用いるべき2人 の直前のシフト変更。その変更に伴ってトウジが丁度、営倉前の詰め所を訪れたのが運のツキだ。
 ミサトはパンと自らの頬を張って、意識を切り替えた。やるべきことをやらずに後悔するのは最大の愚行だ。
「ミサト、待ちなさい」
 踵を返したところでリツコに出ばなを挫かれた。
「熱くなるのはいいけど――仕事よ」
 視線の先にはパターンブルーの群れ群れ群れ。
「たく……本当にタイミングが悪いったらないわ。仏滅ね、こりゃ。レイは?」
「いける。既にあれも渡してあるしね。取り敢えず、サクノの所には私が行くわ」
 リツコはATフィールドで閉ざされたトレーニングルームを目指して発令所を後にした。
 その後姿を尻目に、ミサトの指示が飛んだ。
「レイに通信つなげて」
 病み上がりなのに申し訳ない、とレイに心中で侘びを入れながら。

 

 オレンジ色の薄膜のその奥で紫の刃と白銀の剣が躍り狂う。加速に加速を重ねたその剣戟は、最早不可視にして静止に近い。 視認できるのは刃の残像と散る火花、そして混ざり合う《color》の光輝。
 ガラス張りのトレーニングルーム前のベンチには、サクノが色のない瞳でボーっと虚空を見つめていた。
「……サクノ?」
 少しの間を置いてリツコが声をかける。
「……ん?何?」
 首だけ傾けて応えた。赤い瞳の焦点が徐々に合っていく。
「ボクが説明できることなんかないし、ATフィールドをとく気もないよ」
 それでも問わずにはいられない。
「あの2人は、シンジ君とナギサ君は、何をしているの?」
「じゃれ合い、なのかな? ボクもよく分からないよ」
 じゃれ合いというには激しすぎる殺気の渦にリツコの肌が粟立つ。そして矛盾を感じる。
「笑って……」
 その殺意にも関わらず2人は笑っていた。しかも、狂笑や嘲笑の類ではなく、享楽や愉悦の笑みだ。 楽しそうに殺し合いをするその姿は、確かにじゃれ合いなのかもしれない。 ただし、命を使って遊ぶ行為をじゃれ合いと呼ぶならだが。
「きっと、さ――2人とも怖いんだよ、感情をぶつけ合うのが。臆病だから」
 人は誰しも交わりたい。伝えあいたい。人は誰しも臆病で、交わるのがこわい。伝えあうことがこわい。
「だから、ああして命で直接会話してるっていうの……」
 納得は出来ないが、分析した。その残酷なまでの臆病さは人の性なのだから。シンジとカヲルは、その中にあって尚臆病で、 こわがりなのだ。シンジはその生き方故。自己の必要性を常に問い続け、絶望と崩れる心を糧に垣間見た世界の果てで得た答えが、 きっとそれなのだ、と。 カヲルは人であることを自覚した故。 生き汚く濁りきった命の行進と自己の更新こそが人であり、そしてその中にあって失われない高潔さと美しさこそ人が人たる所以 なのだ、と。
「だから、だから、きっと、楽しくて、」
「すごく、哀しいわ……」
 きっとそれは真実で、そして真実などではない。

 

 

 

 

Episode 19 : Road/その終端、

 

 

 

 

 異界だった。混沌とよぶに相応しい無秩序さの主は、2重螺旋をたわませる第16使徒アルミサエルだ。
 ぎゅりぎゅりと旋回し周囲のサキエルやマトリエルを侵食し同化していく。葉脈を広げるように周囲の小規模使徒を食いつくし、 うず高い山を形成する。
 暴食の限りをつくすその大きさは8メートルを越え、ついには完全な搭へと変化を遂げた。夜闇の中で月明かりに照らされるその 姿は、周囲のビルの残骸の中にあって異様である。
「……炎」
 その塔を見上げながらレイは《word》を呟く。同時に赤き《color》が広がった。
 レイの顔に僅かに不安が浮かぶ。最早、ATフィールドも持たない小規模使徒などいくら群れたところで今のレイの敵ではない。 しかし、これは違う。 あまりにも大きすぎる。ATフィールドを持たないとはいえ、10メートルに達しようかというその大きさは小規模とは言いがたい。
 それでも行くしかない。
 ライターを取り出すと火をつけ、そこに向けて《炎》の力を行使して左腕に炎を纏わせる。 自分で炎を作ってもよいが、火種を用いたほうが労力が少なくて済む。 次いで、ロケットシューズにも意識を向け着火する。最後にリツコから受け取った武器を右手に握りこむ。準備は完了だ。

 軽く助走し、バネを生かして一気に跳躍する。ロケットシューズはあくまでも跳躍補助と加速のための装置でしかなく、 いくら炎を噴射したところで塔を越えることは叶わない。しかし、それで十分だ。《limit》にその全長が収まるまでに距離が 縮められればよい。
 コアは人の目にはどれも同じく見え、無数のコアを取り込み、 その上で自身のコアを自在に移動させるアルミサエルのコアを狙うのは不可能に近い。が、不可能ではなく、レイにはそれが可能だ。
 空中で意識を塔に向け、自らの《limit》に触れる物質という物質を――熱でスキャンする。熱波を放ち、熱による変化で物質を見極め ると脳内にプロットし、サーモグラフを作り上げる。
「いた」
 作り上げたイメージ内でさかんに熱運動を行う一点を捉えた。丁度、塔の中央に位置するその一点こそアルミサエルのコアだ。
 1度着地するとそこに狙いをつけ再び跳躍する。ロケットシューズに補助され、その姿はすぐさま中央へと達す。 これで終わりだ、と右手に握りこんだ武器をかかげ振り下ろそうとした刹那、それを知覚した。
「――っ!」
 ざり、と頬を何かが掠める。瞬間的に首を傾けなければ、頬肉を丸ごと削ぎ落とされていたであろう一撃。その正体は塔から這い出た、 螺旋を描く触手だ。塔から幾本もの触手が飛び出、ドリルのように回転しながらゆらりと1度揺れると急加速した。レイに向けて 膨大な数の触手が殺到し、そして、
「はっ」
 劫、と焼き尽くされる。
 レイの右手にはそれをなした武器がある。ただの筒に見えるそれは、レイの《炎》の能力を補助する万能機器だ。 内部にライター程度の火力の火種を持ち、それに力を行使すると炎が筒先から吹き上がるようになっている。 また、燃焼の安定を助ける回転機構が組み込まれている。発生した炎を撹拌し、常にエネルギーを一定化するのだ。 出力を絞れば炎と熱の剣として機能し、広域に出力すれば火炎放射器として機能する。 つまり、レイが発生と安定化に力を割かずとも安易に強力な攻撃を放つことが出来るのだ。
 絶対零度という縛りを持つ低温と違い、高温には際限がない。未だ試した事はなく自分の限界が明確に何℃なのかは分からないが、 極めてしまえば何ものも抗えぬのだということは分かる。際限なき絶対の灼度は全てを燃やし尽くす。空気も土も水も 人も草も空も星も宇宙も――燃やして消し去れないものは存在しない。

 だから、決めたのだ。

 何かを決めるなど、初めての経験なのかもしれない。曖昧な感情のままに何かを守るとか、何かを失くしてはならないだとか、そんな ことはあったのかもしれない。しかし、自分で、明確に、そうなのだと、そうしたいのだと、 はっきりと決めたの初めてなのかもしれない。

 

「本当に、それでいいの?」
 問いかけてくるリツコの顔は、それを否定するのではなく、どこまでも優しい眼差しで。
「はい。そう決めました」
 自然、レイも微笑むことが出来た。
「当面は守りに徹した開発をするつもりだったのだけれどね……でも、レイ、貴方がそう決めたのならそうしましょう」
 ため息を1つ。思い通りにならないことや、自分達の計画を崩された事など些細なことだ。ただ、レイがそんなことを言うのが意外 だったのかもしれない。だから、しょうがないなぁ、とそう思ってしまった。子供の駄々に付き合う親の気持ちよりも、 恋人にねだられる気持ちに近い。
 技術部に復帰したリツコが初めに着手したのは《user》のための装備だった。主戦力であるチルドレンの《word》が、揃いも揃って 基本的に攻撃のための能力であったため、自然とまずは防具からだ。プラグスーツを改良した現状の戦闘服では限界があるし、 武器は《word》が強力なため暫くは必要ないと考えていた。
 だが、リツコの部屋を訪ねるなり、レイは――武器を、戦うための武器を下さい、としぼり出すように伝えたのだ。 まだ、ヤコブとの戦いで負った脇腹の怪我は完治はしていない。 レイに関しては肉体補填のノウハウが蓄積されているから治りは確かに速いのだが。
 それでも、ただ伝えずにはいられなかった。
「でも、どうして? どうしてなの、レイ?」
 疑問に対しレイは数秒沈黙し、はっきりと、世界に向けるように、
「……初めて、悔しいと思いました。終わりたくないのだと思いました。まだ、死にたくないのだと思いました。 そして、そのために目指すべき頂があるのを知りました。だから……だから、戦うための力が、私が私としてこの世界で終わらない ための力が、欲しいと思いました」
 それは、他人にの力で強くなりたいのではなく、強くなりたいから力を貸してくれ、という訴えだ。
 もう見てしまった。頂を――獅子吼を秘めし美獣を、ヤコブという強壮たる獅子を、この目で見てしまった。もう、逸らせない。 もう、外せない。もう、消せない。もう、失わされない。もう、剥がせない。もう、もう、もう、見ずにはいられない。
 彼女が敗走したということは、さして重要ではない。自分にとって、彼女がどうなのかということが大切なのだ。

 

 ――そう、決めたのだ。
 数日前のやりとりを脳裏に一瞬浮かべ、再び前を見据える。今は自分の力を、破壊力という力を活かす武器がこの手にある。
 ぐわんぐわんと中で回転が起こっているのが感覚される。それは炎の、熱の、エネルギーの暴風雨。回転し打ち出される熱エネルギー の束が、炎の剣をなした。月明かりよりもなお夜闇を照らし、炎が世界に産声をあげる。 バーナーなどと生易しいレベルではない。安定化と発生に力を要しない武器を手に入れたことで、 レイは出力増加の一点にのみ集中できる。故に、生み出される温度は想像を絶す。
 それこそ、この《word》ちからを極めたとき、全ての物体は燃焼の末に 形も残さず消え去るだろう。神の炎だ。何の存在も許さない、絶対なる炎。
 創世記曰く――神はアダムを追放し、ケルビムと自ら廻転する炎の剣とをエデンの園の東におき、生命樹に至る道を守護させた。 故に、この武器を、
「ガルガリン――最大出力」
 回転するものガルガリン、と。

 最大出力により、塔の直径より尚長く燃え上がった炎の刃が、空気中の酸素を暴食しつつ振るわれた。ザクリ、と炎と熱の細剣が バターを切り分けるようにコアごと塔を分断する。
 劫火の中へと使徒の反応は消えた。
 レイは月を見上げる。ガルガリンの炎は収束し、既に明かりは月光だけだ。

「もう2度と立ち止まらない。死にたくはない。終わらない――絶対に」

 もう代わりはいないのだから。
 それは誰に向けた決意であったか、夜の闇と月光だけが知っていた。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 見下ろすのはユダで、見上げるのはトウジだ。肩で息をするトウジに対して、ユダは傷1つない。
「はぁはぁはぁ……く…はぁ……」
 心臓が早鐘を打つ。刻まれるビートは信じられない速度。トウジとて気負いがあったことは認めるが、それにしても 心臓が喉から這い出そうだった。
 確かに相対するユダに攻撃をすることへの躊躇いも確かにあった。あったが、それで黙って殺されるほど トウジの脳は温くはない。反撃もしたし、自ら打って出もした。拳に《圧》で加えた圧力は最大値だし、スピードも出せる最速。 手心など微塵もない。それでも、まるで勝てる気がしないのだ。
 何せ、ユダは接近を許してはくれない。
 グッとトウジの体が沈み、大きく踏み込む。次いで、足裏に圧力を付加。ペトロの技を真似たその急激な加速に、トウジの体が 軋みを上げる。ペトロとの戦いで受けた傷はまだ完治していない。しかし、それでも、加速を重ねる。そして、心臓に加圧。1度 強く圧力で押し込み、心臓の中から圧力を外向きにかけ強く引き戻す。爆発する血潮が、更なる加速を呼び込んだ。
 常識を超過したその動きにも、ユダは露ほども変化を見せない。
 周囲に《Gate》で扉を現出させると、そこに向けて腕を突き入れる。ユダの両手が、それぞれトウジの背後に扉を通して 現れ、体を抱きこむように引き寄せた。勿論、トウジは止まりはしないが、それでもスピードは鈍る。それが何度も繰り返され、 平行してユダは扉で距離をとる。距離は縮まらず、スピードは鈍り、疲労だけが蓄積された。
 接近しなければトウジには攻撃手段が存在しない。分かっていた。分かっていたからこそ、 徹底的に接近戦を磨いたはずだったのだ。
「……終わりか、トウジ」
 冷たい声。嘲りや憂いや愉快さの欠片もない、ただ事実を述べただけの平坦な声である。
「それなら」
 こちらの番だ、と。一際ユダの体が輝きを増し、そして、踏み込む。自らトウジの土俵へと上がり、接近戦を挑んだ。
 加速は明らかにトウジより緩く、そもそもの身体能力からしてトウジのそれより格段に劣っている。ユダもトウジも互いに それを理解している故の戦いが今までだった。だがしかし、これからは、
「踏み潰すだけだ」
 ただそれだけの、完膚なきまでに完全にそれだけのための戦い。

 ユダの右足が躍り、扉の先に消える。同時にトウジの周囲に何十という数の扉が出現した。 殺気と空気の流れが、背後の扉からユダの足先が飛び出したことを教え、トウジはそれに従う。目の前の扉を加圧してぶち壊すと、 背後から迫る攻撃をかわすべく足を踏み出した。しかし、無駄だ。直後、背後で1つ、その踏み出した場所で1つ――合計2つの 扉が開き、距離を潰して放たれる。
 トウジは理解する。避けても無駄なのだ、と。ならば破壊するしかない。眼前の扉から勢いよく飛び出してくる足に向けて、最大 加圧した拳を打ち出す。
「……無駄なんだよ」
 ぼそりとユダの呟き。トウジの拳がユダの足先に接触するより速く、ユダの足先が新たに現れた扉の奥に消える。
 そうなのだ。
 確かにトウジの身体能力はユダの比ではない。しかし、トウジの身体よりユダの《word》展開は速いのだ。ならば、
「攻撃も防御も全て無駄だ」
 トウジの攻撃がユダの体に触れるより速く、扉がそれを阻む。トウジが避けるより速く、扉がユダの攻撃を中継する。 つまり、当てられず避けられない。後はじわじわと体力が削られ、その末に勝敗は決すだろう。
 それはダメージの与え合いとか、命の削り合いとか、そんな生やかなものではなかった。存在するのは一方的な搾取だ。 圧倒的な簒奪と略奪しかない。
「終わりだよ、トウジ。もう終わりなんだよ」
 トウジの周囲に再度、何十もの扉。駆け寄るユダに対し、体力を消費したトウジの息は荒い。近づき、ユダは扉の上に足を乗せて 跳躍の助けとする。物理的に存在する扉は掴むことも、壊すことも、踏み台にすることも出来るのだ。
 頭上に現れたユダに対し、トウジは身構えた。当てられず避けられないとしても、物理攻撃はトウジにとっても意味をなさない。 《圧》が攻撃でかかる圧力を反転し、その威力を無に帰す。
 故に、体力は削られてもトウジにはまだ余裕があった――
「……なっ! ぐお!」
 今の今までは。
 その瞬間、ユダは扉を2つ現出させた。1つは自らの前方に。もう1つはトウジの足下――地中に。ユダの《Gate》は《limit》により、 人間の体内に扉を発生させられない。そのために、僅かでも何かを隔てる必要がある。この場合『何か』は土だ。 トウジの足裏から5ミリほどの土を隔てた、地中ともいえない地下に扉が出現。そこからユダの足先が、トウジの足裏を貫いた。

 単純な話である。
 トウジは己が《圧》で全ての物理的な衝撃を常に無に帰す。だが、足裏だけは違う。接地するその部分で圧力を無にすれば、 その場に立っていることが出来ないのだ。足裏だけはそのカウンターは働かない。足裏だけは無防備。
 かと言って、トウジは飛べない。今の・・トウジには飛ぶ術がない。どうしても 体のどこかが接地する必要があり、そのどこかのみ圧力を操作することはできないのである。
 詰み、だ。
 これで、真実、避けられず当てられない。
 トウジは戦慄した。自覚すらしていなかった弱点をつかれ、あまつさえ抜け道は存在しない。それでも、諦めはしないし、終わりは しないが、静かに悟った。
「底が見えん……」
 自分はユダに敵わないだろうということを。だからこそ、訊かずにはいられない。
「何でや、何でなんやケンスケ?」
 その問いにユダは沈黙を守り、反対に質問を返す。
「……強い、と呼ばれる人間は2種類に分かれる。どんな人間とどんな人間か分かるか、トウジ?」
「……違う。違うわい! そんなことは聞いとらん!」
 トウジの叫びを意に介さず、ユダは言葉を継ぐ。
 決定的な隔意だ。埋まらない溝は、埋めようとしないと埋まりはしない。
 ユダのその顔は語る。ユダだ、と。俺はユダだ、と。 それは残酷な事実。決して戻りはしない過去の残照の果ての真実。未来すら塗り潰す心のナイフ。
「強い人間とは、選ばれた人間と」
 扉を従え、あまねく空間を意のままにユダの殺意が迫った。脳裏に浮かぶのはシンジやカヲルだ。

「――自ら選んだ人間だ」

 俺は選んだのだ、と。その瞳は語る。
 扉で翻弄し、トウジの接地部分を攻める。ぐらりとバランスを崩したトウジが向かう先は、絶妙なタイミングで展開された 黒き扉。吸い込まれるようにトウジの姿が消える。
 浮遊感。
 扉を抜けたのに気づくと同時に、トウジはもう1つの事実を悟る。悟りたくもなかったが。
「そうか、もう、終わりなんやな」
 あの笑いあった友との日々も。肩を組み合ってわめいた友との日々も。何もかもも。
 トウジの呟きは雲の彼方に消える。
 周囲には雲と空と月と星。大気圏と空の境目。地の逆点。空の天辺。地球と宇宙の境目の、その手前。
 扉を介して、トウジが放り出された場所は雲の上だ。

「ああ、星がよう見えるのう……」

 トウジの瞳に天球が反射した。

 ――流星が1つ、ジオフロントの上空で走った。

 

 拾い上げた白い仮面をかぶりながら見上げる。
「じゃあな、トウジ……」
 そのケンスケ・・・・の呟きは夜闇の彼方に消えた。

 歩む先は2度と交わらない。

 

 

 

 

 

To Be Continued to Episode 20.

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