嬉しいことより哀しいことの方が多い。それでも人間は走ることを止めない。
 人それぞれで速度は違っても、常に進み続ける。生まれたときから、ゴールに向かっていく。
 時は常に刻まれ、刻みは常に時に紛れる。流動が常で、常が流動。疾走を疾走させる。
 種類は違っても人間が走るレールは一緒だ。過程が違うだけで端と端は一緒だ。
 生き方に解はなく。生き方に式はなく。生き方に仮定はなく。生き方に結論はなく。生き方に定理はなく。生き方に系はなく。 生き方に定義はなく。生き方に一般化はなく。
 故に、生き方に証明終了の■は現れない。

 それでも、予想だけはあるのかもしれない。

 きっとそうだろう、という予想。
 リーマンのようにポアンカレのように、アイデアと経験と知識をもって予想し得るのかもしれない。

 ――それが、その予想が真なのか偽なのかは別として。

 

 だから、2人の人間がいれば、そこには2つの始まりと終わりが同じ、ただそれだけで色や形や臭いの違うレールが存在するのだ。 始まりには生。終わりには死。それだけは絶対。確実。完全に決定された事実。そこでは絶対確実完璧完全に 2本のレールは交差する。物理的にではなく、概念的・精神的な問題だが、確かにそこで交わる。
 ただ、逆に言うと、人はそこ以外で交わりなどするのだろうか。
 触れ合いも語らいも睦みあいも、所詮はただの錯覚。間近のレールをなでる程度の、それだけの行為。一生一緒にいようと、 ただ手を繋いでそれぞれが別のレールを走るだけだ。その行為は決して悪とは言えず、手を繋いでスピードを同調させることは むしろ心地良い。他人が、他のレールを走る人間が、自分の目に見える場所にいるのは何と幸せなことだろうか。 遥か先にいて見えないのでもなく、遥か後ろにいて見えないのでもなく、触れられる距離にいる。

 それでも、クロスしない。

 1度たりともレールは交差せず、同じレールを一緒に歩む事など有り得ない。
 単純明快至極単純火を見るより明らか。ベリーイージーベリーシンプル。

 他人だから、だ。

 他人は他人だ。自分ではない。自分とは自分以外に存在し得ない。他者との境界。自分の領域。自分は自分なのだと、譲れない 最後の領域。他者が、自分以外のものが自分と名のつくレールに入る、その恐怖。絶対恐怖の領域。
 侵せない。犯せない。冒せない。措かせない。擱かせない。
 そう、人は触れられても交われはしないのだ。

 だが、生と死だけは、始まりと終わりだけは、絶対的に同じだ。交わりたいと、他者と真に触れ合い語らい想い合いぶつけ合いたいと、 そう考えるのなら――生と死以外はありえない。まだ生まれていないのならチャンスは2度。生と死。 既に生まれているならチャンスは1度。死。
 無論、当然、勿論、自然、それが解であることなど誰にも証明できない。予想がつくだけだ。

 それ故に、真の語らいを、純粋な想いで、不純な思いで、高潔に望み、汚く考え、尚欲すならば――死へ臨もう。
 それが喜ばしいなら笑い合おう。
 それが愉快なら笑い合おう。
 そうして、世界と自分と他人とに、さよならしよう。
 そうして、さよならして、また会えたなら、また笑い合い語り合おう。

 さあ、殺し逢おう――

 

 

 

 

 

ハローアゲイン・トゥモロタイム。

 

 

 

 

 

[ // ]

written by HIDEI

 

 

 

 

 

 眼前で展開される戦いに対して言えることなど何もなかった。出来ることと言えば、この戦いが終わった後に両者のケガを直す 程度のことだ。
 そういった意味で、リツコは傍観者でしかなかった。
 別に許容する気はない。そこにどんな矜持や想いがあろうと、それは単純に無益な殺し合いだ。分析は出来ても理解も納得も 出来る筈はなかった。
 リツコの価値観において、殺人は否でも是でもどちらでもない。死にたいなら死ぬべきだし、 死にたくないなら生きるべきだ。生きたいから生きるわけではない部分において、リツコの生き方は自動的なのかもしれない。
「サクノ、どっちが勝つと思う?」
 だが、止める気もない。傍観者でしかないからだ。ネルフに正式に所属してるわけではない、雇われの身では『戦力の損失』などという 感情も特にない。どちらか、あるいは両者が死ねば哀しいのは間違いないことだ。それでも傍観する。
 終わりの見えない2人のワルツは、何にもかえがたい芸術のような、それ自体が1個の完成体である美しさだった。
 端的に言うと、きれいで見とれていた。見ていたかった。 何より、本当に、本当に、それこそ今まで生きてきた中で、リツコが知る中で、2人は1番心から笑っていた。
 止められない。笑い合う2人を。
「さあね、神様にでも訊いてよ」
 神の使いの一流のジョークにリツコは閉口する。
「でもね、そろそろクるよ」
 口の端だけをつりあげたアルカイックスマイル。サクノもこの段においては、道化回しの傍観者だ。
「来る? 何が来るというの?」
「――次の段階。次の場所。次の位相」
 リツコの美貌が困惑を形作る。
「ねえ、何でボクはATフィールドをはってるんだと思う?」
 それに答える形で、サクノが問う。その一瞬だけ表情は真面目なものとなる。
 ATフィールドによってリアルタイムの計測は全て無効だし、サクノが望みさえしなければ自分もこの場所までは来られなかった。 ならば、その2つが理由だろう――と、そこまで考えてリツコは気づく。
 こうしてリツコを招き入れた以上、こうして2人の戦いが見えてしまっている以上、そんなことは何の意味もない。
 計測も記録もなくとも、リツコは今こうして見ている。細大漏らさずリツコの脳内には計測されて記憶されるのだ。 それを得る手段は有り過ぎて困るほどに有る。サクノがその気になれば、見ることすら出来なくすることが可能だろう。 その上で、リツコが今現在見られるということは、そういうことだ。
「それなら、貴女は何から何を護っているのかしら?」
 確認の意味しかない問い。
「分かっていることを訊くものじゃない、とボクはそう思うけどね」
 逆なのだ。
「2人を監視や記録から護っているのではなく、」
 そもそも2人の邪魔を誰にもさせない、という意味ですらなく、
「そうだね。2人以外を、2人から護っているんだよ、ボクは」
 ぞわり、と脊髄に溶けた赤銅を入れられた心地。同時に違和感。
「来る、とはそういうこと? 今の、この今の殺し合いは、まだ、それこそ本当にジャレてるだけということ?」
「2人を他の目や耳から隔離するだけなら、ボクは必要ないんだ。あの2人はATフィールドなんかなくても、それが出来るから。 物理的にも物理的な意味以外でも、2人は2人きりになれる」
 だけど、と。
「それでも2人がそうしたら、どうなるかなんて分からない。2人は気づいてしまった。いや、違うね。悟ったんだ」
「悟った? 自分達が何を出来るかを?」
「それも含めて《word》ちからが何なのかに、かな」
 視線の先には剣戟を交わし、拳を交わし、笑う2人の姿。
 その輪郭が、今、ぴしりと歪んだ。歪んで、正しくはまった。パズルかキューブか、何かが。かちりと有るべく。

 次の段階に。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 シンジがネルフを離れて、サガと死別し、その後に初めにしたことは調達と呼ばれる行為だった。準備に類するこの行為は、 何かをなす前の必然だ。
 まずはサガのツテで知り合っていた刀匠とコンタクトを とり、紆余曲折・・・・の 末に魔刃まじん紫鬼しきの 鍔と鞘を造って貰った。どちらも、マコトに貰った『抑制』の札を《word》で練りこんだ特別製だ。持ち運びにも使用にも特に 支障をきたさなくなることで、紫鬼は真にシンジの武器となった。威力は当然抑えられてはいるが、使えないよりはましと 言えよう。

 次にしたことは、取り戻す、という行為だ。
「奪われたら獲り返せ、か。当たり前だけどさ……」
 七大スラムが一《スラム=ウエスト》に踏み入り、初めにシンジが吐いた言葉はそれだった。
 ムンバイと呼ばれたインド沿岸の都市から、首都であったニューデリーまでを帯状に広がっているこのスラムにおいて、 かつてシンジは『呪い』を受けた。それがネルフを訪れたそもそもの理由でもある。
 《Curse》で受けた圧倒的な威力を伴う呪殺に対し、祓い浄化するサクノの《Purify》で無効化することが目的だったのだ。 それがサクノを探し、右往左往するうちに戦いに巻き込まれ、決して目を逸らすことの出来ない敵と出会った。
 そうして今に至る。
「大体、自分で何かをするより先に他人を頼ったのが間違いの元なんだろうな」
 シンジの《斬》は本来の力を発揮できない。
 襲い来る目に見えぬ呪いを斬り払うことに、その能力の大半が割り振られている。常に《word》を使用し続ける苦痛と消費は並大抵 のものではなく、それを本能に上書きするように自動化することで軽減していた。
 しかし、それではダメだ。
 現に負けに負け続けた。いつでも全力を出せるようにしておく必要がある。
「逃げちゃダメだってことだよね……やっぱり」
 《斬》はたった1つのことしか出来ない。どんな複雑そうに見える《word》だとて、解きほぐせば単純なものであることが多い。 要は認識と使用の仕方の違いでしかないのだ。

 不可思議なエネルギー物体を生み出し、操る――それが《斬》だ。

 刃状のそれは熱エネルギーの塊であり、それ1個が1つの粒子からなる。熱を内包する巨大な刃の形をした粒子を操る、という表現が適切 だろう。その粒子がなす行為は、『斬る』ことと『貼りつく』ことの2つのみだ。
 完全に《斬》を定義するならば――『斬る』ことと『貼りつく』ことが出来る、刃の形をした巨大な熱エネルギー粒子を 生み出して操る、といえる。
「つまり、《斬》で切れてるってことは、不思議パワーでも何でもなく、《user》が何かを僕に発しているってことだ」
 その何かを斬っている。
 結果的に得られる答えが呪いならば、それは呪い足りえる。
「それなら《user》本人を黙らせれば終わる」

 

 黙らせ、結果的にシンジは完全な《斬》を手に入れた。
 《Curse》の力はその実、人体に悪影響を及ぼす特殊波形の波であった。電磁波とも音波とも光波とも違う、奇妙な波だ。 脳波に影響したり、ともかく人体を死に至らしめるだけの力はある。
 その不可視の、しかし、確かに物理現象としてそこに存在する波を断っていたのが真相。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 シンジの銀色の《color》が更に輝きを増した。途端、手にした紫鬼に激的な変化が訪れる。
 刃状のエネルギーがその紫色の刃に『貼りつく』。折り重なるように何10、何100、何1000ものエネルギーの塊が 集う。刀身が見る見るうちに伸び、ついには5メートル近くに達した。紅いエネルギーがまるで脈打つよう。
 『斬る』ことが出来る熱の塊が、紫鬼という芯を得て巨大なる刃と化した。紫と紅が交わり紅紫。そこにシンジの《color》である 銀がさらに混じる。極彩色の死そのものだ。
 5メートルはある刀身には射程もクソもない。シンジの速さや身体能力をもってすれば射程というくくりは、あまりにも 無意味。1歩踏み込めば、これ即ち斬。2歩踏み込めば、これ即ち殺。3歩踏み込めば、これ即ち死。

 それを、紫紅しこうの兇器を、大上段に構える。 

 エネルギーを出せる数には限りがある。《斬》の《limit》は出せる数と、出せる距離と、出せる場所を既定している。
 そして、今のシンジの最大の現出数が込められたのが眼前の兇器。分散させて遠隔攻撃を仕掛けるなど、避けられると分かっている 愚行はしない。ただ、振り下ろすのみ。
 故に至高。

 紫鬼にささくれ立ったように紅い刃が貼りつく様は、さながら咲き乱れる艶花。紅と紫に彩られた幾つもの花弁だ。
 連なり咲く花弁を見ながら、カヲルは笑う。凄すぎて、怖すぎて、笑えた。怖いことが、凄いことが、愉快で愉快で 仕方がない。それを愉快に思う自分自身が尚愉快。
 笑ったまま、自らも息吹を高める。《word》と武器の理想的ともいえる合致を前に、 それなら自らの至高は何なのかを確かめるように。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 九州で害悪な銀色の施設を破壊した後のことを、カヲルはよく覚えていない。くすんだ思考でシゲルの遺体を埋葬し、 メモリースティックを回収したことは事実だが、それだけだ。マヤやホムンクルスがどうなったかはよく分からない。
 ふらふらと西からネルフに帰還した。道のりすら覚えちゃいない。
 判然としない思考は常に『何故』で埋め尽くされた。好奇心の発露というよりただの自己撞着に近い。徹底的に矛盾していたのだ。 そのシゲルが死んで哀しいという事実と、同時に死んだのが自分でなかった喜び。うつろな精神と、殺してやろうという精緻な絶叫。 追いつかない。追いつけない。自分が人であるという前提が追いつかない。自分が矛盾であるという事実に追いつかない。 思考も経験も何もかもが追いつかない。
 そもそも存在が矛盾していた。歪すぎる。使徒の抜け殻。 ただの人間などと間違ってもいえない。タブリスの形質を受け継いだだけの、ただそれだけの存在。最早、タブリスであったころの 拠り所となるべき記憶すら自分のものなのか疑わしい。自分は渚カヲルという人間なのか、渚カヲルのふりをし続けるだけの抜け殻 なのか。

 本当に人になりたいなどと願ったのか。

 タブリスが司りしは自由意志。生と死すら自由遺志。絶対なる解放と忌避すべき絶望があった筈だ。
 もう、『何故』は一生涯尽きはしない。それが、人だ。内包した矛盾を矛盾の内に唾棄し、矛盾のままで生き矛盾のままで死ぬ。 ああ、そうか、と。
「矛盾を認めることすら自由なのか……ははは、人は難しい」
 ならば、過ちも償いも何もかも矛盾しつくすのは人の業だというのか。
 銀色の髪を揺らす。明日も今も決して見渡せなどしない。あらゆる可能性あらゆる選択あらゆる矛盾が許される。 そこには選択しない、という選択すら矛盾をもって許される。
「人、か」
 正直に怖いと思う。
 自らの生への渇望も、生きていることの喜びも、シゲルの死への悲しみも、全てを内包しろというのだろうか。
 飽和してしまう。器が満たされて、溢れてしまう。
「何をこぼすかも自由、か」
 自分で考え、自分で決める。
 そして、
「『真に正しい決意をする』のではなく、『決意したことを正しいと信じるしかない』」
 たとえ、その末に傷ついたとしても、その末に終わりを迎えたとしても、その末に哀しみが待っていても。 道が続いているなら、進むことも、戻ることも、そこに留まる事も選択できる。道が途切れたなら、作ればいい。
 ただ、盲信するかのごとく自己を信じ。
 陳腐な、陳腐なことだ。自分を信じるなどと、自信をもつなどと。それでも、だからこその道と決意。

 

 そうして、ゲンドウと向き合い、今シンジと向き合う。
 信じて、ただ、自己のみを信じて。その矜持故、想い故、その道が別たれるとしても。
 あとは、そう、気づくはずだ。思い出すはずだ。自分は強いのだ、と。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 カヲルの周囲が変化する。比喩ではなく、完全に変化した。赤、黄、青、紫、白――極彩色の雷がカヲルを覆うように渦巻く。 背を目として台風のように、巻き上がる。さならがら、大輪の花。巨大なる雷の一輪。ぶわり、とその花弁が開花する。 まるで四方に広がる翼。雷鳴の翼が周囲の電子という電子を食い潰し、世界に産声をかき鳴らす。

 次の瞬間、カヲルは浮いた。

 圧倒的なまでに高まった負の電荷――電子と、周囲に残された正の電荷が相反している。 翼で生み出された電圧と電流が強力な磁界を発している。リニアモーターカーと同じ原理だ。
 気づいたのだ、カヲルは。雷を、電流を、電圧を、電子を操るということがどういうことなのかに、気づいた。
 電場を完全に従えるカヲルは同時に、磁場すらも従えるという事実。電力とは磁力。磁力とは電力。
 電子の移動が熱を生み、電子の移動が人体を動かし、電子が原子を構成する。化学変化は電子なしには起こりえない。 電子を完全に意のままにするということは、粒子の全てを従えることに限りなく等しいのだ。それどころか、物理法則すら簡単に 捻じ曲げかねない。宇宙のパラメータすら捻じ曲げ、定理と法則を打ち破り――全てを跪かせる。
 この浮遊はその前哨。偉大なる1歩。
 轟く稲光が周囲の電子と一緒に、トレーニングルーム自体を削っていた。想像を絶す高電圧で周囲の全てが破壊される。 熱が磁力が電力が原子の結合すら分断していた。
 崩れ行く足場や壁や天井を尻目に、カヲルは魔双まそう忌望 絶放きぼうぜつぼうを構える。両手に1本ずつ。この戦いが始まって以来、初めて両の剣を あるべき場所へと収めた。もう、片手で振り回し、鎖鎌のように使う気はさらさらない。渦巻く電圧と殺意を全て双剣に込める。 背の光輝く色とりどりの雷の翼から、死への導を示すべく暴虐の熱と破壊が舞い降りた。

 それを、死光しこうの双器を、横に広げるように構える。 

 最大の威力を、電子を、熱を、磁力を、破壊を込めた。譲ることなき絶対なる双腕よりの雷光の一撃。体の動きで発射を読まれ、 避けられることが確定している遠隔攻撃を仕掛けるなどという愚は冒さない。ただ横薙ぐのみ。
 故に至高。

 シンジが咲き乱れる無数の花ならば、カヲルは咲き誇る一輪の花。剣は枝。背に大輪。体は幹。魂は何ものにも揺るぎなき、 核。自らという光を打ち出す、この雷こそが自己の奔流なり。この雷鳴と稲光こそが自らが抱く至高なり。

 

 笑いながら相対す。
 互いに至高。互いに必殺。互いに極技。互いに一撃。
 斬と雷。
 斬り伏せんとする一刃と雷鳴響かせんとする双剣。
 紫紅と死光。
 紫に赤が咲き乱れる花の群れと色彩の混濁した咲き誇る一輪の花。
 はかったように、はからなかったように、自然に、不自然に。
 同時に動き出した。
 振るわれる。
 咲き乱る、激動の斬を謳う一撃――
 儚き淡い、刹那の雷を謳う一撃――

「――千紫万紅せんしばんこう
「――槿花一日きんかいちじつ


 それは戦いが始まって、2人が初めて発した言葉だった。

 

 

 

 

Episode 20 : その始端/Load.

 

 

 

 

 ――斬たる軌跡、千紫万紅。
 ――雷たる軌跡、槿花一日。
 全てを削り取り、空間を引き裂き、世界を穿ち尽くすような、その2撃。
 絵の具を全て宙にぶちまけた様な虹彩が、リツコの目から脳髄から心臓から何からを侵した。
 最早、トレーニングルームなどというものはこの世から消え去り、残ったのは宙に浮かぶカヲルとオレンジの床に足を突き刺すシンジ のみ。破壊の波がこれ以上広がらないのは、サクノがATフィールドで防いでいるからだ。崩れた床の代わりの足場も、ATフィールド で形成している。今や2人はATフィールドで出来たオレンジ色のキューブにいた。
 2人。シンジとカヲル。対極にして同極。全てが一瞬にして永遠。
 一刃と双剣が空気と空間に生み出す残響は、まるで超音波のようでもあり、オーケストラのようでもある。
 奏でしは葬送曲。
 互いに避けることなど頭にはなかった。
 五感をカットした互いの脳裏にあるのは、加速し凌駕し圧倒し超越し超克し――ただ、相手より速く、ぶった切るという想いのみ。 そもそも互いの射線は重ならない。音を残しながら向かうは頭上と胴。
 シンジの魔刃はカヲルの頭上に。
 カヲルの魔双はシンジの脇腹に。

 断、と――。

 リツコの目には何も映らない。視認できるスピードではなかった。
 ただ煌く光と刃の軌跡と、結果だけが目の前にある。
 飛沫を上げる血煙。紅、紫、黄、白、赤、青――散り逝く力の残滓はまるで花びら。 舞い降り、舞い落ち、舞い散り、オレンジの空間に溶けて逝く。
 積もる花びら。棺中で花束に抱かれる屍のように、2人が崩れ落ちた。

 胴で横に真っ二つになったシンジ。肩口から縦に真っ二つになったカヲル。

 戦いの終わりだった。
 加速も凌駕も圧倒も超越も超克も、どちらも互いが互いを同じだけ。それ故の結末。それ故の終焉。


 ――2人は笑っていた。最後まで。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 闇が呻いた。
 楕円形のテーブルの上にぐるりと蝋燭が配置されている。15の光と15の席に対して、照らされる人影と埋まった席は5つ。1つ には隻眼の獣、シヴァ=モーゼル。1つには黒衣はためかせる蝙蝠、アーガス=アーリマン。1つには無機質な白面、ユダ。1つ には嘲る黒髪、ヨハネ。1つには碧き炎、シモン。
「シヴァ様、どうされますか? 残りのアホクズどもは揃っていませんが?」
「アーガス、そう言うな。ヤコブとペトロは治療。他の8人にしてもそれぞれ仕事を与えてある」
「あははは、アンタだって人のこと言えねーでしょーが、蝙蝠ヤロー」
 笑い声で茶々を入れたのはヨハネだ。
 確かについ先日まで治療中だった事実を鑑みるに、アーガスはその言を黙殺せざるを得ない。
「おい、どうでもいいことに時間を浪費するのはやめてくれ。俺は戦闘して帰ってきたばかりなんだ。存外に疲れて、早く眠りたい」
「――そういうことだ。さて、ヨハネ」
 気だるげなユダの声をシヴァが継ぐ。
「何すかシヴァ様」
真鏡まきょう夜闌やらんの ことで、あの刀匠の沼でのことで、何か我に隠していることはないか」
 ニヤニヤが霧散し、顔が真剣味を増す。黒髪がゆらりと揺れた。
「さあ、何のことやら。確かに紆余曲折・・・・ありましたけど」
「ふむ、それなら、それでいい」
 ヨハネの表情の変化が暗に何かを隠していることを物語っているが、黙すならばそれも一興。
「ともかく、今後のことだ。甘さや楽観があったとはいえ、ネルフへの行動は失敗に終わった。続けざまに攻めてみるのもいいが、 動ける人数の少なさといい、我が動くわけにはいかないことといい、いささか決め手に欠ける」
 ルネサンスの雄、モード=ロンを警戒している状況は変わっていない。シヴァはここ《スラム=アーテクル》に釘付けだ。
「やはり、先にネルフで手に入るもの以外――《本質》を集めるのが先決かと」
【それに、西欧の――《スラム=ナフテア》の動きがどうにもきな臭い】
 蒼炎から音とは違う声が響く。脳へと直接語りかけるような、異常な情報伝達。
「ふん……導をなくした魂の亡者どもが、王を得て調子づきおったか」
 思案するシヴァの片目が燃えるように輝く。
「人材の確保は引き続きアンデレにまかせる。ヨハネはそれをサポートしろ」
「地味ーな任務。了解っす」
 ヨハネが部屋を後にする。地味と言いつつ表情は明るい。本質的には面倒くさがりやなのだ。
「アーガス、お前は西欧に行け。それと、タダイと小ヤコブに《スラム=トスカニャーフ》に《本質》の情報あり、と。 つまり、向かうよう伝えろ」
「潰せ、ということですか?」
「いや、様子見程度でいい。遊ぶなら遊んでもよいが、あまり入れ込むな」
 薄く微笑むとアーガスの姿が闇にかき消える。
「ユダとシモンは現状を維持してくれれば、それでよい」
 その言葉を最後にユダの姿も消えた。後には蒼い炎とシヴァ。
【シヴァ様、ネルフの件は本当によろしいのですか? ペトロの言を信ずなら、サードチルドレンの力を軽視すべきではない、と】
「まだ足りんさ。まだ、我には遠い。あの日生かしておいた甲斐が僅かでも大きくなるように待つのみだ」
 虚空を見据えるシヴァの顔はどこか喜びに満ちていた。それに反する言葉をシモンは持たない。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

   ごぽりと気泡が浮かんでは消える。薄黄色の液体に満たされたフラスコで、膝を折ってたゆたう痩躯。茶褐色の肌。 緑色の体毛。閉じられた目蓋の奥の瞳はすみれ色。
 形は人、形質は不人。その実態は、人造人ホムンクルス。完成された1にして∞。 閉じた完全生物。
「それにしても、どーもゾッとしねぇ」
 白いチェアに腰掛け、これまた真っ白のスーツに身を包むモードの視界には、空のフラスコの群れ。
 言いつつ、目の前の白いテーブルに置かれたカップを持ち上げて中の珈琲を飲み下した。
「何が、ですか?」
 対面して座る金髪のシルム=ロン。その手にはモードと同様にカップが1つ。ただし中味は紅茶だ。
「オレのガキがこんなだとは恐れ入るっつーことだ」
「子供、と言っても精子を提供しただけでしょう?」
「つまりオレのガキってこった」
 ホムンクルスは精子とハーブと馬糞からなる。使徒の、サクノの血で育てたハーブとそのハーブで育てた馬の糞。精子はモードの ものだ。
「殊勝なことに、あのオカッパ魔女、オレに名前でもつけてやれと言いやがった」
「マヤ様をそのように呼ぶのは貴方だけですよ……まったく、冬月様にどやされますよ?」
「はん。オレの名前を忘れたか? 猛る怒りの龍――いつだってオレ以外なんざ、塵芥よ」
 傲岸不遜にして大胆不敵。猛怒の龍は揺るがず叫ぶ。
「何にせよMプロジェクトも佳境といった趣き。Dプロジェクトは既に私を 含め量産化・・・に成功」
「次はどんな悪巧みをするやら。ま、気に入らなきゃオレが叩き潰すだけだがね」
 中味を飲み干したカップをグシャリと握り潰す。破砕音など無粋な音は響かない。比喩ではなく、粉々になった。 掌からこぼれ落ちた粒子がサラサラと空中に散っていく。
「何にせよ名前はとても大事です。私の多くの兄弟も、全てのロンもそう言うでしょう。名前とは自己であるという証、 他人ではないという証ですからね」
「……言うねぇ。そうさな、確かに名前は大事だ」
 ならば、と。
「ドッズ。ドッズ=ロン」
「その心は?」
「終わりの.ドットと終端のZ。 そして、始端ZEROのZ。D、O、T、Z、でドッズだ。どうよ、イカスだろうが」
 全ての生物を終わらせる、終決の完全生物。その初めの1体。ナンバーゼロ。
「このホムンクルスにまでロンを与えますか……」
 白の龍はシニカルな笑みを浮かべた。当たり前じゃねーかという顔である。
「で、用件は何だ? まさかコーヒーだけ飲みに来たわけじゃねえだろ? つーか、 あのオッサンが、どうせ何かやれっつうんだろメンドくせー」
「はい、指令です。《スラム=トスカニャーフ》に《本質》あり。至急簒奪せよ、とのことです」
 もう、冬月をオッサンと呼ぶのを訂正しようともしない。いいかげん疲れた模様だ。
「りょーかい。メンバーは?」
「私と貴方と、新たな兄弟が1人。調整が間に合えばホム……ドッズも」
「無駄に豪華だな。サービスしすぎだ」
 見上げた先ではぶくりと、気泡が弾けた。
 その奥ではういんういんと静かに唸るルネサンスのメインコンピュータ。積み上げられた柱そのもの。 小型化の波などどこにも感じない、ただただ巨大な1基のスパコン。
「さあ、精々気張ってくか」
 それを射抜くように見据え、立ち上がった。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

「カヤの外、ね。すべからく」
「それでも関わっていくしかないじゃない」
 食堂でパスタをもぐもぐとしながら、ミサトがうそぶく。
「そんで、トウジ君はどうなの?」
「死んでないだけって状態よ。心臓も内臓器官も脳も、機械で強引に動かしてるだけという感じね」
「それだってラッキーな方でしょ。あの高さから落ちてきて燃え尽きも、破裂しもしなかったんだっつーんだから」
 隕石ではないのだ。人体が耐えられるほうがどうかしている。
「私が開発した防具のおかげだ、とは言いたいけど、実質《圧》で何とかしたんでしょう」
「そこらへんはトウジ君が起きなきゃどうにもならない、か」
 植物状態で寝たきり。目を醒ますことはない。
「目覚める可能性は?」
「ゼロじゃないわね」
 それは限りなくゼロに近いという意味だ。
「アスカはリハビリ中でしょ? あの子、結局、義手を選択したみたいだけど、主治医としてそれでいいわけ?」
「あの子がそうしたいって言ったんだからいいのよ」
 ヤコブに破砕された片腕は、クローン技術を利した本来の肉体の修復も可能だった。 しかし、アスカはアタッチメントを搭載した戦うための義手を採った。
 レイ同様、アスカも前に進むことを決断したのだ。その瞳は上を見る。
「残りの2人は?」
「シンジ君は大事をとってまだ入院。強引に繋いであるだけだから……。意識がある分トウジ君よりはマシってとこかしら」
 全てを破壊するカヲルの一撃は胴を切断した、というよりは胴の一部をこの世から消し飛ばしたというに相応しい。
 消えた部位に心臓や脳などの即死部分がないだけ助かった。 取り敢えず出血を抑えて後は人工臓器をくっつけてしまえば、一応死にはしない。
「……じゃあ、ナギサ君は?」
 ことりと口に運んでいたカップをテーブルに置く。
「……まだ完治はしてないけど、それでもいいと、そう言ってるの。だから、明日には退院」
「……そう」
 シンジの一撃もカヲルのそれと同様、軌跡上の全てをこの世から消し飛ばした。同じく即死部位を含まなかったため、繋いで事なきを 得ている。
 シンジとカヲルの両者の傷をその場で繋いだのはリツコだ。それこそ、限界まで能力を注ぎ、出来る限りのことをした。 それが、ただ見ていただけの、それだけの――リツコに出来たことだった。
「出て行くんでしょう、止めなくていいの? 私なんかより、よっぽど付き合い長いんでしょ?」
「長いからこそ止めないのよ」
 それでもリツコの顔は哀しげだ。
「なら、いいけど」
 ずるずるとパスタをすする。
「そうよ」
 ブラックを喉に流し込む。
「これから、どうなるの?」
「おんなじよー。現れる小規模使徒に対応して。ただ、」
「ただ?」
「シンジ君と――後は誰になるか分からないけど――誰かに《スラム=トスカニャーフ》に行って貰うことになりそうね」
「司令が?」
 飲み干したカップをプレートの上に戻した。
「ええ。もう待つだけってわけにもいかないってことでしょうけど」
 パスタ最後の1本を口内に吸い込み、口をもむもむと動かす。
「慌ただしくなりそうだこと……」
「何も起こらないで、何も進まないよりはいいじゃない」

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 1人、ネルフを、《スラム=ルッビス》を後にする。
 カヲルの胸に後悔などない。
 自分で考え、自分で決めたことだ。
 そうして、林道を歩むのへ、影が染み出た。
「これは、懐かしい顔だ」
 染み出た影は禿頭の老人。目には黒縁のメガネ。口にはヒゲ。
「お久しぶりです、カヲル様」
「何のようだい? いや、愚問か。導を亡くしたゼーレの遣い、ということで いいのか?」
「はい、我ら新なる魂の座ネオゼーレ――お迎えに上がりました」
 老人の朴訥とした声は、確かな響きを持ってカヲルの心を鳴らす。
「ということは、新たなる王でも祭り上げたのかな?」
 顔は笑っている。それも面白いと思った。全ては自由意思の元に。
「いいさ、行こうか。新たな王の元に、魂の座に今こそ舞い戻ろう――」
 決断に迷いなどあり得ない。自らを正しいと信じるが故に。

 

 

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 さあ、贖おう。自分に。相手に。世界に。全てに。
 その手に武と死と罪を抱いて。


 ――終われ、そして、始まっていけ。

 

 

 

 

 

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End This Chapter.

To Be Continued to Next Chapter.


Now, the successor to the power of primitive burn up.
Next, the shout of the soul over the piece of the world go and go.

 

 

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<後を書く>
一旦終了でっす。正確にいうと序章終了。次の章はそのうち始めます。
色々とツッコミ入りそうな部分があるんですが、そこらへん半ば分かってやってるんで見逃して欲しい。
だってよ、薀蓄全開にしたり、科学考証全開にしたら病的にキモいやん。
構成とかは散々迷った挙句にこうしましった。

長かった。そして、これからも長いのかもしれない。


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