ヘイ、招待状は命で肩代わりしな!
「《七大スラム》。《3rd Impact》で破壊された街々において、なお栄華を誇る巨大なる七つの群体。
《スラム=アーテクル》。
《スラム=アリータスルト》。
《スラム=ウエスト》。
《スラム=エデン》。
《スラム=トスカニャーフ》。
《スラム=ナフテア》。
《スラム=ルッビス》。
巨大。独自。変体。毒。栄華。醜悪。高潔。
完全数6に1つ加えられた不均等で不完全な7。
それが一《スラム=トスカニャーフ》。
季節は秋。時間は夜。集いしは地這い
の使徒と再生の
徒、そして適格者。
さあ、パーティーが始まるぞ。世界に鐘を打ち鳴らす荘厳なる宴が始まるぞ」
――宣誓だった。
詠うようにそう告げられても、カヲルは困惑するしかない。
その表情がさも楽しいと言わんばかりに、詠い手の青年は笑う。
「どうした、カヲルよ。君は楽しくないのかね? 私は楽しい」
「ネロ、5W1Hが欠けすぎていて、何を言いたいのか伝わってこないよ」
更に笑みを深める。ネロの表情の変化に合わせて燃えるような赤髪が揺れた。瞳も赤だ。カラーコンタクトだが。
「簡単すぎて話す気も起きないがね、君の願いとあらば応えないわけにもいくまいよ」
対してカヲルの銀髪も揺れた。シニックでありながらニヒルな笑み。こちらの赤い瞳は天然だ。
「こちらとしては、我々新なる魂の座としては、ネルフは
まだしもカタコンベとルネサンスは少々鬱陶しくてね。全面戦争をするには組織としての耐久力が足りず、頭だけ叩き潰そうと
思ってもそれぞれのアタマは揃って人外だ。ならば、自滅してもらうのが手っ取り早い。そうだろう?」
「人外、か。カタコンベのシヴァは確かにそうだ。直接戦った僕にはよく分かる話だしね。でも、冬月コウゾウは
人外と呼ぶには相応しくないと思うよ」
サクノのS2機関を奪う手口といい、シゲルを殺したホムンクルスといい、脇ばかりが目立つ。
「アタマ、とは何も組織の長を指したわけではないのだよ。ここでいうアタマは動物の群れに君臨するボスと同じ意味さ。簡単に、
極々平たく言うと1番強い者だね。
ルネサンスのトッププレイヤー、モード=ロンはそれはそれは恐ろしいよ。ホムンクルスを生物の最終形とするなら、
あれは人の最終形だ」
「随分とかっているようだ」
言いながら、チャリチャリと腰に巻きつけた銀の鎖をいじる。最近のクセだ。どうも鎖を触っていないと落ち着かない。
「彼には3人ほど今後2度と現れはしないだろう才能を散らされたからね、死をもって。
かのラグランジュもラボアジエが処刑される際に
言っているじゃないか『彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう』とな」
「ともかく、要点だけを述べるなら悪巧みをしたと――そういうことか」
「理解が早いな、カヲルよ」
満足の微笑をたたえ、デスクに置いてある呼び鈴を振り鳴らす。僅かの時も待たず、禿頭に髭をたくわえた老人が室内に現れた。
その黒縁のメガネの奥の眼光は鋭い。
「御呼びでしょうか」
老人の朴訥とした声は耳障りが良い。
「カヲルにモードの映像を。その後、カヲルを『彼ら』の元に案内してくれ」
「はい」
「そういうわけで、カヲル、私は執務に戻る」
老人は部屋を後にするネロに一礼し、カヲルに向き直るとメモリースティックを手渡した。
「貴方もなかなか大変そうですね」
「出戻りの貴方に言われてはお終いですな」
ククと互いに笑いあう。腹の探り合いにもならない、ただの戯れだった。
ネロ=アルゴン。
秘密結社ゼーレの首魁にして人類補完委員会議長であったキール=ローレンツの9番目の孫。
ロシア代表議員の3番目の孫でもあり、フランス代表議員の第5子でもある。
申し子の中の申し子。秘蔵の中の秘蔵。
《3rd Impact》の混乱後に並み居る自称後継者を叩き伏せ、遂には
飲み干した。真正にして新生、真にして新――新なる魂の座にいるのは、他でもない
赤髪の悪魔の王だ。
他の兄より弟より叔父より伯父より従兄より従弟より甥より父より、誰よりもそれに相応しいだけの力を持っていた。
支配力、維持力、組織力、戦闘力、全てにおいて最高峰。
故に、彼はネオゼーレの王として君臨する。
しかし、とカヲルは考える。
「それもこれも、貴方の働きがあってこそだ」
視線の先には老人。秘書と執事と副官を足した3で割った役割を持つこの老人を、カヲルは存外に尊敬し認めていた。
カヲルがゼーレにいた頃、つまり、使徒であった頃にも彼は今と変わらず存在していた。在り様も見た目も何も変わってはいない。
変わったのは仕える相手と、その有能さに更に磨きがかかったことだけだ。
「しかし、未だゼーレという看板にしがみつく人間が多いというのはショックだよ」
老人と同じく変わらずネオゼーレに在る、知った顔たちを思い浮かべ苦笑する。
「貴方も同じようなものでしょう」
「違いない」
手元のリモコンのボタンを押しこみ、眼前のモニターの電源を落とした。
「それで、これを僕に見せてどうしようと言うんだい?」
「どう思われますか、モード=ロンを」
「どう、か。異常としか言いようがない。あれが《word》を
持たない《non user》だって? どうかしている」
脳裏には自らと同等程度の実力者3人を、独力で圧倒するモードの姿。
戦慄と驚愕に彩られたその動きはシヴァにも引けをとらない。
「しかし、事実です。これから貴方に引き合わせる者たちは、モードに殺された3人の仲間であり、貴方の部下となります。『彼ら』は
復讐の徒ではありませんが、やはりその念がないとは言い切れない」
「僕にそれを御せというのか……そいつは酷だねぇ」
しかし、その顔は楽しげだ。
「貴方は暫く『彼ら』の掌握に努めて下さい。先ほどネロ様がおっしゃった《スラム=トスカニャーフ》の件については、心配
なさらぬよう」
「心配? 僕が何を心配するというんだ」
「おや、チルドレン達が気にはならないのですか?」
問いに対する応えは沈黙と、そして笑み。
Episode 21 : 再縁と祭宴
荒涼とした山肌の頂上には雪が薄く降り積もっている。
長大なる褶曲山脈のその姿は、《3rd Impact》前と変わらず雄大であり、
人を寄せ付けない一種の神々しさすら感じさせる程だ。唯一《3rd Impact》前と違いがあるとすれば、その表面の異様さ。
クレーターだ。何百メートルにも渡って隕石孔が刻まれている。
今やアメリカの屋根、北米大陸の天井――ロッキー山脈は窪みの巣窟だった。
「酷いわね……これは」
吹き荒ぶ風に赤髪をなびかせつつその景観を眺め、アスカの秀麗な唇が動いた。
「仕方ないよ。欠片とはいえあれだけのサイズだから」
応じるのは帯刀したシンジだ。その瞳はどこか諦観を感じさせる。
「しかし寒いったらないわ」
無理もない。アスカの格好はショートパンツにブーツだ。
「そんな格好してくるからだよ……」
「はん! 大きなお世話よ!」
言って踵を返す。シンジは肩を竦めると、その後につき従った。何だか懐かしいな、と思い出し笑いをしながら。
「それで、どうするの?」
「どうするって言われても、父さんは面倒くさいのか何か考えがあるのか、とにかく最小限のことしか言わないから……」
「要は?」
「取り敢えず指示されたポイント――トスカニャーフの中心地まで行ってみようってこと」
眼前の山並みから、手元の機器へ視線を移す。
そこには目指すべき座標が液晶モニタに表示された、各種機能を備えた高性能の電子手帳。
「ここを越えろってことか……正直気が滅入るわ。リツコも音楽聴けるようにしたり関数電卓つけたりするよりも、
ルート指示出来るナビ機能くらいつけろっての。絶対座標だけ分かってても、このロケーションじゃあんまり意味ないじゃない」
「はは、リツコさん、割と張り切ってたし。小型の爆弾にもなるみたいだし、コスト削減したんじゃないかな」
爆発してしまえば、どんな機能がついていようと意味はない。あまり高い材料や部品を組み込んでは勿体無い。
「じゃあ、音楽とか電卓とかはもっといらないって。もう、《Gate》の《user》を引っ張ってきた方が早いんじゃないの?」
「そうかもね」
適当に応じる。アスカが出来ない相談と分かりつつ言っていることを理解しているが故だ。
コミュニケーションを円滑にする、ただのレクリエーションでしかない。
カタコンベとの会戦で多くの人間がリタイアし、ネルフは有り体に言えば人材不足である。各国政府との連携を密にする意味で、回線が
全世界に渡って広がっていない今、《Gate》などの輸送・移動系の《user》は貴重なのだ。加えて、このシンジとアスカの2人に課せられた
任務は極秘といってもよい。
はっきりとは言われなかったが、ゲンドウにはなるだけ目立たず秘密裏に全てを進めろと暗に匂わされている。
何より、《七大スラム》に名を連ねる《スラム=トスカニャーフ》には強固な《word》的広域防護壁が存在していた。
《七大スラム》は巨大な7つの都市であるとともに、《word》を要素として『国』に組み入れた新時代の7つの覇群なのだ。
「具体的にどうすんの? この格好で踏破するには少し標高あり過ぎるわよ」
「一応、心当たりはあるんだ」
モニタに表示されるマップをスイッチでスライドさせる。
「ほら、ここ。カヲル君が前に言っていた通りなら、ここらへんに――」
グレイトソルトレイクから丁度真東に指を動かし、そこで円を描いた。
「トンネルがある筈」
「アンタさ、」
「何?」
「……なんでもない」
シンジの表情を見て問おうとした言葉をしまい込んだ。カヲルのことは触れるべきではない。残った結果も、負った傷も、全ては
二人だけのものだ。
「しかし、トンネルって……何よそれ」
「何、ってトンネルはトンネルだよ、ロッキー山脈を一直線に貫く」
「ここ――コロラドからユタまで一直線ってわけ? バカげてるわね、そりゃ」
言って、改めて置かれた状況を整理する。
「つまり、明日はそのトンネルとやらまで行って、明後日までにはソルトレイクまで一直線、と。大体ソルトレイクシティか
らがトスカニャーフだから、中心地までは2〜4日ってとこね」
「うん。そこで、『これ』を奪取。他組織からの抵抗も予想される、か」
画面を切り替える。
――図示される立体図は兇器。『これ』は槍だった。
蒼穹の色を持つ円錐型の突撃槍。絶大な貫通力を予感させる先端角は鋭の1文字。
槍部から飛び出る柄は黒と白の角ばったパーツで構成され、触ると痛そうだ。
「イヤな予感がするんだ。父さんは『その目で見れば分かる』って、これが何かは教えてくれなかったけど、凄くイヤな感じだ。
こう、何ていうか、雨が降る前の雲を見てる気分っていうか」
肌が粟立つ。恐怖とも違う、得体の知れない感情の奔流だった。
「予感、ね。アタシは信じないわよ? かるーく終わってかるーく帰れる予感で一杯」
右手の人差し指をピンと立て、自分とシンジに言い聞かせるように言う。強がりではなく、期待と覚悟の表れ。
「風が腕に染みるわ……もう、戻りましょう」
義手を軽く押さえながら止めていた足を動かす。寝床に向かうアスカの髪が風に一気に流された。
風に乗ってその柑橘系の甘やかな香りがシンジの鼻をつく。いい香りだな、と素直に思う。この感覚も懐かしい。かつては
周囲に誇示するように放たれるその香りを、後ろにあるいは隣につき従って感じたものだ。
アスカとこんな風に2人きりでいることは、諸所の事情で第三新東京――《スラム=ルッビス》を出て以来、
正確に言うと《3rd Impact》前以来だ。
少しの戸惑いと、形容しがたい感情。思春期にて多大な影響を受けた異性の1人には違いなく、複雑な心持ちであるのも
仕方あるまい。
寝床、といっても車だ。それなりに改造が施されており山道も安心な仕様だが、カスタムカーというには少々温い。
装甲と足回りだけは特急でリツコが何とか形にしたが、その他の部分は至って普通だ。
カーチェイスなど出来ようもなく、ただの寝床と移動手段でしかない。
シンジは運転席に、アスカは助手席にそれぞれ横たわっている。元々2シートでない車をどうせ2人しか乗らないのだから、と
強引に2シートにしたため狭さはさほど感じられない。
最初は交代で見張りをすることも考えたが、隠密行動を貫いたことと、他組織からの抵抗もトスカニャーフからこれだけ
離れていては問題ないと判断した。そのため、こうして隣り合って枕を並べることと相成った。
どちらからも寝息は聞こえない。
流石に女と男であり、何も考えないことはないが、何かを具体的に考えるには2人の関係は複雑すぎた。
シンジの胸には懐かしさが、アスカの胸にはもどかしさがそれぞれ去来していく。
「なんか、懐かしいよね」
先に沈黙を破ったのはシンジだ。互いに毛布を被って天井を見ている。
「……そうね。まるで何十年も前のことみたい」
思い出すのは第7使徒イスラフェル戦、ユニゾン攻撃の完成のための2人きりでの生活だ。
あの時とあの時より後の共同生活。甘い感情と苦い感情がない交ぜになったあの日々が、今では遥か昔のよう。
「色々あったから。嬉しい事も哀しい事も」
アスカは応えない。
「僕は、あの頃何を考えていたかよく覚えてないんだ。苦しかったし、辛かったのは何となく胸にストンと落ちてるんだけど」
「苦しかったし、辛かった、か」
家族ごっこを思い出す。確かに軋轢と偽善と誤魔化し猜疑ばかりが残った気がするが、
「それでも、ない方がよかったとは思わない」
「どうだか。苦しみも悲しみも過去になれば美しくなるって、それだけのことでしょ」
「でも、何だか、そうだな……何だろう……そうだとしても、苦しい事とか哀しい事とかは、普通は忘れたくなるじゃないか。だけど、
あの頃のことは忘れたくないって、そう思う」
微かな衣擦れの音が聴こえる。そこに意識を向けると、アスカの視線は天井からシンジの顔に移っていた。
視線が交差する。
「それって結局、楽しかったってことじゃない」
「かもね」
瞳はアスカを見ながら、それ以外のどこかを見ていた。顔には淡いわたあめみたいな笑み。
それはアスカがかつて見たどんなシンジとも違っていて、やはり昔は昔なのだと事実だけを伝えた。
「アンタ、やっぱり変わった」
「大人に、いつのまにか大人になっちゃたんだと思うよ。僕もアスカもさ」
そうね、と視線を外す。ほう、と息を1つ。この気持ちはなんだろうかとアスカは目蓋を閉じる。
恋とか愛とかノスタルジィとか、そんな素直で綺麗な感情ではない。もっとグチャグチャとしたものだ。
それでも、いや、だからこそ、この気持ちはイヤではなかった。
心がどこか透明でカラフルな場所に飛ばされたようで、頬が自然に笑みを作る。シンジと同じような淡い笑み。
それで、緩んだ心がつい口からこぼれ出た。
「……アンタさ、どうしてネルフからいなくなったの、あの日」
呟くように訊いてから、しまったと思った。
「ごめん。忘れて」
体ごと外に向け、後悔の念に顔を歪ませる。これでは昔と、心無い言葉で傷つけた昔と変わらない、と。
案の定、シンジの方からも衣擦れの音。体を外に向けてアスカと背中を付き合わせる格好だ。
痛いほどの沈黙。それは最初のこそばゆい沈黙とは違い、刺々しさに耳が震えるよう。
瞳をきつく閉じ、アスカは眠気に身をまかせる。寝てしまおうと、必死で意識を閉じ始めた。明日起きれば元通りの関係と、元通りの
会話と、元通りの心地良い2人が待っている。
アスカの意識が眠気に絡め取られ始めた頃――禁断の問いから数秒後、いや数分後だろうか、
「多分……怖かったんだと思うよ、多分」
アスカの耳に届くか届かないかの声。それ故に本心なのだと感じられた。答えるべき言葉はあるようにも思えるが、やはりない。
誰が、何が怖かったのか、それは訊きたくないし知りたくないし、何よりも言わせたくない。
そうして2人は眠りに落ちた。
――明日からは闘いが、血と死と罪が死神を伴って待っている。
+++++++++++++++++
「ルールールー、右で殴って左できつねー、左で潰して右ーできつねー、両手であわせてコンコンコン」
影絵の狐の形を両手でそれぞれ作りながら振り回す。異様に声のトーンが高い。コブシも勿論きいている。
隣でその美声を聴くシルム=ロンの感情は1つ。げんなり、だ。
「失礼ですが、少しトーンダウンするわけにはいきませんか?」
「あーあー、右でクリック左はパー、左で握って右ーでパー、両手がパーで合わせてタラバータラバーカニーカニー」
一向にボリュームもトーンも納まらない。黒い長髪を揺らして縦に揺れ続ける。
「シルム、ムリなこと考えてないで耳塞いで寝てろ。それが正解だ」
背後のモードが言うことは実に最もだ。しかし、
「じゃあ運転はモードさんがしてくれるのですか」
ハンドルを握るシルムに寝ていろというのも酷な話だ。
「オレは寝る。ついたら起こせ。あと、耐えられそうになかったら気絶させとけ。うっさいから」
言って、白の帽子を傾けて目深にかぶる。今日も全身シミ1つない白のスーツだ。
3人が乗るバンは荒野を疾走する。ロッキー山脈を臨みながらひたすらに南下していた。進む先のポイントはシンジ達と同じく、
ユタ州からコロラド州に向けて山々を貫くトンネルだ。
シルムの《word》――《Warp》も、やはりトスカニャーフに施された《word》的広域防護壁の突破は不可能だ。いや、正確に言うと
自分1人だけならば突破も出来よう。しかし、自分だけでは意味がないのだ。シルム自身は1人でも任務をやり遂げる自信はあったが、
失敗が許されないだけに結局安全策をとるに至った。
すなわち、任務に就くモード、シルム、そしてハリル=ロンとバンを伴って《Warp》で一気に北米大陸のトスカニャーフ
付近まで移動し、その後はトンネルを用いてソルトレイクを目指す。当初はホムンクルス・オリジナル、ドッズ=ロンも
追随する筈だったが肉体調整が間に合わずそれは叶わなかった。しかし、ルネサンスにおいて、現在稼動可能な人員を少数に絞った場合の
最善のチームだ。
その最善であるチームにおいて、シルムの言うところの『新たな兄弟』の1人ハリル=ロンは、
シルムの現状の頭痛の原因である。
「ははんはーん、お前とわたしゃ、揃ってマトンー、羊羊とウールでワオーン」
「ハリルさんハリルさん?」
「おおんおーん、アンタと僕ーは、揃ってまゆ毛ー、毛毛と繋がってビロふぎゃ」
気絶させた。
シルムは元来自他共に認める温厚な性格だが、目的のためなら手段はあまり選ばない。
今後を暗示するような先行きの暗い展開に、シルムは更なる頭痛を感じずにはいられない。傲岸不遜を地でいくモードは元より、
ハリルの違い様は異常だ。マヤが調整段階で識閾下でのインプリンティングに失敗したとしか思えない。
「失敗も何もないと思うんですがね」
意識と記憶の遥か底の記憶を僅かに汲み取る。
注がれる知識と感情の奔流。色つきの水を脊髄に積み上げるように、抗いもなく快楽のままに全てを享受する。
全てが曖昧なまま自分が何で世界が何で目的が何かを理解させられ、敵と味方を決定され、刷り込まれ定められる。
万華鏡の光と虹色の翼を見、闇に落とされ業火に包まれ、最後に放り出されるのだ。
最初に見たものは空。
羊水を湛えた子宮から生まれ落ちて
最初にシルムの瞳に映ったものは、周囲を覆うガラスとその奥の真っ青な空と真っ白な雲だった。
言葉だけは知っていたのだ。あれが空で、あれが雲だという事実だけは、識閾下でのサブルミナルスタディで知っていた。でも、だ。
でも、それがどんなにか美しくて、どんなにか素晴らしいものか――それをシルムはその時初めて理解した。
でも、それがどんなにか醜くくて 、どんなにか汚らわしいものか――それをシルムはその時初めて理解した。
そうして美醜に塗れた世界に吐き出され、眼前の『母』に向かって、
嗚呼Mother!と
歓喜と喚起の忠誠を誓い、Dragonの名を戴く。
次いで訪れる戴冠の儀。赤く節くれだった
その筒状の装置に腕を噛まれ、《word》と名を得る。
Dプロジェクトの56番目の龍仔。
罪と罰と簒奪にまみれた功罪の申し子。
結線のシルム=ロン。
瞬貫のシルム=ロン。
サブリミナルスタディとインプリンティングで植えつけられた知識と感情と思考に身を任せ、与えられた任務をこなす。結線、
瞬貫――コードネームは《creator》より得た《Warp》から。結線により決戦を演出し、瞬間の貫きを空間に施す。それが役割。
それ以下でもそれ以上でもない。
他の兄弟とともに殺し、奪い、繋ぎ、堕す。龍の名の下に、ルネサンスの名の下に、ただ作業をこなしていく。
沈んだ思考を回復して、ブレーキを踏み込むと停止したバンが反動で揺れた。シルムの視線はフロントガラスから横滑りして、
隣のハリルに移る。
新たなる兄弟。Dプロジェクト62番目の龍仔。最も新しき功罪の申し子。
キーインストのハリル=ロン。
バイオシングのハリル=ロン。
そのコードネームはやはり得た《word》から。その名の通りに、他の兄弟とともに殺し、奪い、奢り、堕す。
龍の名の下に、ルネサンスの名の下に、ただ作業をこなしていく。シルムと同じように。他の兄弟と同じように。
「ハリルさん、つきましたよ」
体を優しく揺り動かす。
呼ぶ名はキーインストでもなく、バイオシングでもない。ロンは、兄弟は、決してコードネームで呼び合わない。
それはサブルミナルスタディでもインプリンティングでもなく、ただの感傷の発露。
名とは自己であるという証。他人ではないという証。それ故の名。それ故のロン。
だから、ただの『役割』では呼び合わない。
「シルム、放っておけ。まだいい」
いつのまに起きたのか、モードが頭をポリポリとかいていた。目蓋は半分閉じかけで、まだ眠そうだ。
「今日はこのままここで一晩明かすぞ。トンネル入んのは明日だ」
「まだ私は大丈夫ですが……」
「お前、あまり顔色よくねぇぞ。どうせ胸糞わりぃこと考えてたんだろうがよ。ちゃっちゃ寝とけ」
ああ、とシルムは思う。図星なのだろうか、と。確かにあまり生産性のないことを考えていた。
「そうですね、そうかもしれません」
頼もしく思う。言わずとも理解し、誰よりも強く、そして、名を呼んでくれる。初めに名を呼んでくれたのはモードだ。
他の兄弟もそうだ。そうして、役割でなく名で呼び合うことを理解する。
視線を外へ。既に全天は夜。
輝く数多の星々は皆、太陽の兄弟。幾星霜も彼方に放たれた恒星の光。
シルムはそれを瞳に灯し、兄弟とモードを思う。ギズィ、ガズィ、ブル、ハク、シロ、
ビャク、イ、ニ、サ、シ、リャノン、ガリュ、ルンマ――死んでいった兄弟への感慨は特にない。与えられた任務は絶対で、役割も絶対。
その末に死が待ち構えているのは当然だ。自分の死を俯瞰できなくては、ロンではない。
そして、役割が絶対だからこそ、呼ぶ名は『役割』を冠すロンではなく、ただの名前とロン。
聴こえる寝息にハッとし、意識を遮断してシルムは目を閉じる。
おやすみなさいと呟き、眠りに就いた。誰に呟いたかはシルム自身も分からない。
――明日からは闘いが、血と死と罪が死神を伴って待っている。
+++++++++++++++++
ぷつり、と。
《スラム=トスカニャーフ》の《word》的広域防護壁に綻びが一瞬生じて、すぐさま消えた。
翻るは、黒から這い出る白。
――。
+++++++++++++++++
To Be Continued to Episode 22.
Next, the first battle begin in the long long tunnel.
In another place, duel of connecters begin and spark.
+++++++++++++++++
<後を書く>
ヘイはないだろ、ヘイはよう。つー感じです。脳が腐ってるね、うん。
雑記でも散々言ってますが、話は完全に導入な感じ。
今回は静かに静かに進めましたが、次は戦闘一直線。
・お知らせ
で、これを読んでる極小数の方にお聞きしたい。
正直、話が長いせいでキャラとか設定とか今の展開とか把握できなくね?
だよな。書いてる俺がそうだし。
最初から読み直していただくのが1番いいんですが、皆そんな暇じゃないよね。
つーわけで、そこらへんをまとめたものが欲しくはないでしょうか?
需要あるようなら軽いの作ります。以上。