妨げるな――塵も残らねぇよ!

 

 

 

 

 

[ // ]

written by HIDEI

 

 

 

 

 

 暗闇の中、天のセフィロト樹形が蛍火のように淡く輝く室内。
 セフィロトの頂点のその直下、デスクに両肘を載せ鎮座するゲンドウの目がぎょろりと動く。視線の先にはシルバーのチェアに 座る白衣のユイの姿。
「……共鳴か」
「ええ……もう、時間がない」
 ゲンドウの闇に沈む呟きにユイが静かに頷く。

 ザッ、

 顎に当てていた右手を肘を軸に半回転させ、掌を中空にかざす。デスクのセンサがそれを感知し、短い動作音とともに 半透明のモニタを空中に浮かび上がらせた。右上にライングラフが3つ、右下にヒストグラムが3つ、中央に ウェーブグラフが3つ、左上にサークルグラフが1つ、左下にディジタルのパラメータ表示が5種。睨みつけるように見据える。
「シンクログラフが深度を急速に拡大。XXXII-Lセ カ  ン ド決戦体バトルモードに、 そして――」
 こくりとユイが再び無言で頷く。唇の端には僅かな苦痛。

 ザッ、ザ、ザ、

 浮遊するモニタ上で波形が爆発的に振幅を増大させる。上部の波形は一定を保ち、中部の波形は激しく脈打ち、下部の波形は 規則性の欠片も存在しない奇怪な増加を繰り返す。
「……そして、」
 ついにはゲンドウの呟きは応える者のないまま、淡い光に消えた。
 ユイは動かない。停止していた。呼吸も、心臓も、脳も、何もかもが停止したようにも見える。

 ザッ、ザッ、ザザ、ザ、ザ、ザ、ザザッ、

 ノイズだった。
 モニタ上の映像が乱れるが如く、ユイの姿が揺らいではブレる。

「――紫鬼アダム

 蛍火、いや、燐光に溶けるようにユイの姿が消える。電源が落ちたように、消える。
 後にはセフィロトを見上げるゲンドウだけが残された。 

 

 

+++++++++++++++++

 

 

「ああああああああああああ!」
 裂帛の気合とともにアスカの矮躯が一気に加速。 義手内の擬似神経が意思に呼応して加速。左腕ぎしゅの 肘先から水流が噴射し、更に加速。
 加速が加速を加速させる。
 開かれた五指は獣のごとく。その眼光は鬼のごとく。
 噴射し加速し発射されるは、その信念。
「うふ……うふふふふ」
 だが、楽しげに声を出して笑うハリル=ロンの余裕は崩れない。
 5つの瞳が、3つの鼻が、6つの耳が、全てのセンサがアスカを捉え、捕獲し、手中に収める。見えていた。香っていた。聴こえていた。 アスカの挙動が。アスカの匂いが。アスカの駆動音が。まるでスロー映像。感覚し、知覚し、動作に移す。
 手首の微細な穴からウォータジェットが放たれる前に、射線上から体を逸らす。
「っこんのおおおお!」
 しかし、そんなことは百も承知だ。
 追いすがる。
 禍々しく変化した義手がうねるように更なる水流を噴射し、加速を重ねる。曲線を描く手の軌道に合わせ、 ウォータジェットも湾曲した。音速超過の水の刃が鞭のようにしなり、蛇のように空気を食い破る。
 アスカの左腕に鈍い衝撃。
 それでも、追いつけない。ハリルの右腕が鋭く義手を打ち払った。
 ――もらった!
 アスカの瞳孔が拡大した。待ち構えていた展開だ。接近し、ゼロ距離に持ち込めば勝機はある。今なら体を掴んでしまえる距離。
「あは」
「ぐ…っ!」
 ハリルの左の掌が、アスカの腹肉を噛んだ・・・。ぶちりと皮を引き裂き、桃色の 肉を引きずり出す。激痛に脂汗が滝のように流れ出た。
 くちゃくちゃと音を立てながらそれを咀嚼し、
「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」 「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」 「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」 「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」 「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」 「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」 「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」 「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」 「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」「あはははははは」 「あはははははは」「あはははははは」
 文字通り、体中で笑った。
 腕を、脚を、胴を、胸を、ハリルを覆う口の群れ、群れ、群れ、群れ。
 瞬間、アスカとハリルの周囲から空気が消えた。真空と錯覚するほどの急激な搾取。 数え切れない口が空気を簒奪し、ハリルの体が膨れ上がる。拡張・増殖した肺がその全てを受け切り、
「                    !」
 うたった。
 圧縮空気の散弾銃。無数・無形・無臭・無色の見えない衝撃がアスカを強襲する。
 鋼球が鉄板にぶち当たったような鈍い音が喝采を上げた。体を半身にし、大きく広がった左腕の装甲で急所をカヴァーしたが、 それでも衝撃でアスカの体が傾ぐ。
 これを続けられるとつらい。こうして防ぐことは出来るが、それは予備動作の大きさ故だ。他の動作、例えば蹴りや回避と一緒に 放たれては、流石に防ぎようがない。加えて、今やハリルの全身はまさに凶器。
「こりゃ、確かに強いわ」
 汗ばんで額に張り付いた前髪を払いながら呟く。鉄壁の回避に、威力の高い攻撃。『強さ』の条件として一般的、かつ正しき指標。 だが、それでも、攻撃方法が分かったこと自体に意味がある。回避だけをされていた状況が終わったことに意味がある。
 ふと、何とはなしに背後の洞窟の入り口に意識を向ける。
「……っふん、まったく」
 そんな自分に苦笑する。他人の心配をしている場合か、と。
「今いくから、死ぬんじゃないわよ、シンジ」
 それは勝利を確信した、誇り高き笑みだった。

 肘先からの水流の噴射スピードは手首のウォータジェットには及ばないが、それでも洞窟内を跳ね回るには十分だ。
 天井に体ごとぶつかり、そこから真下に加速。さらに横壁に座標変換。地上に対して俯角90度を保ちつつ、ハリルに肉迫。 尖りを増した左手の爪を振り下ろしつつ、右手に空気中から水素と酸素をかき集めて水球をつくる。
 左手はやはり容易く避けられた。重層した加速もハリルの超感度センサと超高度オペレーションの前には無意味だ。 そこに、すかさず水球を投げ放つ。同時に空を切った左手を地面に埋め込むような勢いで撃ちつけ、 反動で体ごと回転させ斧のごとく足を振り落とす。
 ハリルの振られた腕に備わった口が水球を丸ごと飲み込んだ。そこから視線を動かすこともなく、アスカの左足を片手で噛む。 腕力というより顎力でアスカの体を振り回すと、大地に打ち付けた。
 すかさずアスカが赤い矢のように低い位置から急激に浮き上がる。ハリルの体は、ウォータジェットが放たれるより前に既に射線 上から外れ、あまつさえ右足が頭上に掲げられていた。
 常に動きを完全に補足しているからこその3手先の行動。
 右足でアスカの義手を踏み、大地に縫い付けるように完全に固定した。その状態でアスカに抱きつく。化け物じみた顔が 眼前に迫った。
「気持ち……ぐっ、悪いのよ!」
 突き放そうとした瞬間、体中の口で噛み付く。
「ぬ…がっ!」
 それでも強引に体を引き離し、後ろに下がる。体中で肉で食い破られる音と強烈な痛み。 筋線維がコードの束のように引き割かれていった。自分の肉体が穴ぼこになったような心地だ。
「あははははははははははははは」
 ハリルの狂笑とともに再び空気が消失する感覚。
「           ! ――           !!」
 圧縮空気の散弾銃だ。
「わた、し、はね……わたし、はね……わたしはね!」
 しかし、髪よりもなお濃い赫怒の赤を体中から撒き散らしながら、かまわずアスカは前進した。噛み付きで穴ぼこにされ、 隕石のような空気弾でまた穴ぼこにされる。それでも、決して穴が開かぬ場所がある。それは、最後の武器。
 《color》でレイに、カヲルに、トウジに、シンジに及ばず、おそらく誰と戦っても勝てはしないだろう。
「誰にも1度だって、勝ったなんて思ったことはない」
 だが、だからこそ、1度逃げをうったからこそ、だから、だからこそ、
「それでも負けたままでいいなんて思ったことは――ただの一瞬だってない!」
 前へ進む意志だけは、勇気だけは、絶対に誰にも負けるわけにはいかない。
「るうああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 弾丸を掻き分け、距離を殺す。狙うは1点。
 死んでもらう。いつまでも自惚れて口を開きっぱなしの、小娘を、ぶったおす。
「……3、 2……、 1…… ――0!」
 閃光と爆煙。
 左手で地面に埋め込んだ爆弾だった。ペンスリットの爆速は8300メートル毎秒。TNTの爆速は6900メートル毎秒。 オクトーゲンの爆速は9120メートル毎秒。C4の爆速は8092メートル毎秒。いずれも音速340メートル毎秒をはるかに越える。
 射線上からそれる以前の問題だ。
 射線は無限に存在し、すなわち、爆発速度が音速を越える爆薬の熱と衝撃の伝搬は、人には不可避。
 すなわち、どれほど鋭敏なセンサと高性能なオペレーションも無意味。
 数学的には無限の速度を誇る空気中の熱伝播がこの場の何よりも速く、ハリルの無数の口内に到達する。体を覆う全ての口から 体内に熱が拡散し、内側から骨も肉も内蔵も皮も全て焼かれた。
 それでも、強靭な精神力と生命力を持って、心臓は駆動をかろうじて保つ。5つの瞳が爛々と輝き、眼前の赤い戦士を捉えた。
「これで――終わり!」
 体が、動かない。
 全てのセンサが明確にアスカの動きを捉えていたが、しかし、ウォータジェットの刃で両断される。
 真っ二つにしてやったハリルの姿をその瞳に映しながら、爆発の衝撃と熱に体がめちゃくちゃに回転した。 義手でカヴァーしてもしきれない。水分子を高速で生産してカヴァーしてもしきれない。ついには、天井に背から陥没した。
「あー、こりゃ、骨だいぶイかれたわ」
 重力に引かれながら落下する。
「何にせよ、下らない機能を手帳につけたリツコに感謝ね……痛っ」
 もっとも、関数電卓や音楽プレーヤとしては全く役立たずだったが。
 体を引きずり起こし、ゾンビのようにジリジリと出口に向かう。イヤな予感があった。速くシンジの元へ行かなくては。

 義手がジクジクと痛んだ。頭痛が、酷かった。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 時に捧げられ、時に罪を贖い、時に不老不死の象徴と化す。
 車のエンジンを別のエンジンと入れ替えた時、確かにエンジンは変わっている。だが、車であるというパーソナルは不変だ。 なぜならば、エンジンが変わろうと、その姿を車だと断じる人間の方が殆どだからである。100人に見せれば3人くらいは 車ではないと言い張る可能性もあるが、それは現象を説明したことにはならない。
 車は車だ。例え外装を替えようと、 タイヤを替えようと、ハンドルを替えようと、ドライバーを替えようと、車が車であるという確定した情報は揺るがない。
 そう、ゆるがない。
 決して。

 

 ――■■■機能破損検知。
 ――■■■■■■■強制振動。

 洞房結節形成。
 房室結節形成。
 ヒス束形成。
 左右両脚形成。
 プルキンエ線維形成。
 ――刺激伝導系形成完了。
 左前下降枝形成。対角枝形成。
 右冠動脈形成。
 ――冠動脈形成完了。
 心外膜形成。
 心内膜形成。
 ――概形形成完了。
 上下大静脈形成。
 右心房形成。
 三尖弁形成。
 右心室形成。
 肺動脈弁形成。
 肺動脈形成。
 肺静脈形成。
 左心房形成。
 ――肺循環系形成完了。
 僧帽弁形成。
 左心室形成。
 大動脈弁形成。
 大動脈形成。
 ――体循環系形成完了。
 アデノシン三リン酸分解。
 アデノシン二リン酸発生。無機リン酸発生。
 エネルギー発生。
 ナトリウムポンプ駆動。能動輸送開始。
 分極形成。静止電位形成。
 ――心臓形成完了。

 ――特殊心筋刺激伝導開始。
 ナトリウムポンプ停止。
 脱分極開始。初期スパイク到達。
 再分極開始。絶対不応期突入。相対不応期突入。
 緩徐拡張期脱分極開始。発火。自動能発生。
 ――固有心筋刺激伝導開始。
 心房脱分極開始。P波発生。
 心房筋収縮。
 心室脱分極開始。QRS波発生。
 心室筋収縮。
 心房再分極開始。T波発生。
 心房筋弛緩。
 ――拍動形成完了。


 ――心機能完全形成完了。


 身体が脳の入れ物だというなら、心臓はただのエンジンだ。

 

 

 

 

Episode 24 : ザ・ヒート

 

 

 

 

「クク……あはははははははははははは!」
 モード=ロンの笑い声がこだまする。シニカルとはほど遠いバカ笑いだ。
 その鋼玉のごとき瞳に映るのは、形容しがたい何かだった。

 それは言わば、刀と人間のハイブリット。

 足先から頭の天辺まで、体躯の右半分を覆う紫色の甲殻。まるで鬼を模した鎧。
 鎧の右腕部から搾るように捻り出る、なお濃い紫色の刃。まるで右手から刃と徐々に溶け合うよう。
 口から吐き出される息はまるで炎のように熱い。
 半面から覗くシンジの素顔。裸眼に光は灯っていない。
 ただ、文字になりきらない低い唸りだけがあった。
「心臓消し飛ばしても停まらないとはね。こりゃ、面白い」
 ――青年は心臓止めなきゃ停まらないタイプとみた。
 と、自らの言葉を反芻する。

 左手を駆動させる。
 ――XXX型義手弐号基TYPE-B。
 巨大な鱗が装甲を成すアスカのTYPE-Lに比べ、その装甲は最硬度の骨がそのまま張り出たよう。サイズ、擬似神経速度、筋密度などは ほぼ同一。ただし、内蔵されるデバイスが違う。酸素原子・水素原子を収集する機構、鋳造した水を回転流動させる機構、 ウォータジェットを打ち出す機構――主に3つの機能がTYPE-Lには集積されている。対して、TYPE-Bに存在するメカニズムは1つ。
 だが、元来、力とはそういうものだ。絶対なる「1」こそが辿り着くべき端点の1つなのだ。
「おーい、聴こえるかー。やっぱムリ? ん……? おっ」
 言葉の後ろで爆発音が炸裂した。洞穴内から閃光と白煙が噴出する。
 爆風に巻き込まれて殺到してくる粉塵に向けて、左腕を振るった。そのモードの義手が描く軌跡上には何も残らない。煙も 岩石の欠片も何もかも一切がポッカリと繰り抜かれたようだ。

 振動、だ。

 量子にまで破壊した。最早、振動を知覚できないほどの超高速振動。
 それが組み込まれた、たった1つのメカニズムだった。

 一方、シンジであった筈の何か――最早、一振りの《刃》と化した怪異の周囲でも粉塵が消し飛ぶ。高速で旋回する《斬》の赤い刃状 エネルギーだった。まるで赤い布ですっぽりと覆われたようにも見える。
 粉塵の波が収まると、その赤い奔流がそっくりそのままモードに向かった。真に隙間が存在しない怒濤。1ナノたりとも間をおかずに 空中に刃が敷き詰められている。
 だが、モードには端から避ける意思など全くない。
 肉迫する赤い刃の群れに向けて、左手を水車のように大きく回転させる。すると、いとも容易く動線上に存在するすべての物体が、 振動で量子にまで分解される。花びらが散るように赤い粉末が風にとけ、流麗な紋様を描いた。
 どれだけ熱量を孕んでいようと、どれだけ切れ味があろうと、関係ない。確かにそこに『ある』ならば、そこにはそれを成す 分子があり原子があり電子があり量子がある。『ある』なら壊せる。『ある』なら分解できる。振動とは波だ。波とはこの世界を 支配する理の1つであり、全てに影響を与える根本だ。
 一瞬で腰を落とすとモードがダッシュする。既にその左手に蓄えられた運動エネルギーは膨大を通り越して、収束せず全てが発散に 向かうような、一種の破滅的な力さえ感じさせた。
 対する《刃》もバネのように蠢動し、およそ人体からは考えられない異なる体勢で加速する。腰から先を斜めに向けたような、関節 全てを逆向きにしたようなその体勢は、およそ高速運動には向かないように見えた。しかし、速い。呼吸や消化や色々な雑事に使う ためのエネルギーを、全て加速にだけ向けたようですらある。

 体全体で回転するように《刃》が右手の刃を捻り放つ。
 向かいくるその紫色の刃にモードが超高速振動する左掌を振り下ろす。
 激突。
 そしてモードを襲う違和感。
 ――散らない。
 量子の塵にならない。超振動で分解しきれていない。ダイヤモンドですら一息で分解する超振動だというのに、だ。
 それどころか、
「っち! オリハルコンか何かかよ!」
 逆に、刃を押さえていた特殊装甲の五指が振動ごと切断された。
 その後のモードの行動は速い。下から上昇してくる紫色の閃光を横に避けつつ、右足を高く掲げ上げ、一気に振り下ろした。 瞬間、悪寒がモードの背筋を走る。

 刃が、ほど けて・・・・曲がった・・・・

 捻れた刃がその捻れをハリケーンのように解き放ち、螺旋を形作り、グニャリと意思を持つように湾曲した。 ほどけた無数の刃のそれぞれが蛇のように空中を疾走する。合わせて、いつのまにか右半身から侵食を受けて紫色の甲殻に 包まれた《刃》の左手が、モードの踵を握りつぶした。 信じられない力だ。人類屈指の頑丈さを誇り、事実今まで欠けることすなら無かったモードの足骨が粉々に砕けた。
 モードが向かい来る刃の群れを払おうと指を失った左手を振るうが、それに1本の刃ぐるりと巻きつき、人工筋肉を装甲ごと刺し貫く。 他の刃はピタリと左腕だけを避け、モードの顔面を――というより眼球とその奥の脳を狙った。
 それらが触れるよりも尚素早く、貫通されたままの左腕を刃ごと強引に引き寄せる。桁を4つほど外れた膂力に《刃》の体も一緒に 浮き上がった。眼前の刃の群れの全てを敢えて左手に受ける。ある刃は巻きつき、ある刃は突き刺さり、ある刃は叩く。
 なるほど、確かにこれは刃だ、とモードがうそぶく。
 刺し、貫き、巻きつき、締め、曲がり、しなり、捻れ、ほどける。 刀であろう筈がない。ただ殺傷のために変化する、凄絶な殺気をそのまま刃となした兇器だ。
 そしてまた、刃が変則的に唸る。
 全ての刃が一貫した行動をとる。鞭のように刃が腹で巻きついた後、先端が楔となり、それを頼りに《刃》が頭上に躍り出た。 先端と根元を残し他が肩口に吸収されるように刃が短くなり、《刃》自体が動くことはない。
 頭上に座標を移し、全ての刃を手元に引き寄せると、再び1本に捻りまとめる。脳天を唐竹割ろうと、そのまま空気を切り裂いた。
「なめるな!」
 その紫の煌きに尚も左腕を合わせる。傷だらけの装甲からは擬似神経の束がはみ出、指の切断面からは擬似血液が飛び散った。
 堅牢を誇る装甲を容易く切り裂き、刃が人工筋肉に食い込む。左手に走る強大な運動エネルギーに体を震わせながら、ぴたりと 全てが停止した。空気の流れすら止まったようだ。

 これを、待っていた。

 予想が不可能な刃の分割と軌道も、こうして筋肉で固定してしまえば関係ない。
 筋肉の中で刃がほどけようと外向きに力をかけ、その度にミチリと肉が裂ける。しかし、それが精一杯。 モードの肉が弾け散ることはなく、完全に力が拮抗していた。
「――くらっとけっ!」
 《刃》の生身を残す部分にモードの右足が炸裂する。発射から着弾までのタイムラグはほぼゼロ。暇を与えるわけにはいかない。
 骨をいくつか粉砕した感触と、そして、同時に粘つくような冷たい感触。
 肌に触れたと同時、紫色の外装が抱き込むようにモードの足を絡め取った。すぐさま足を引き戻すが、アメーバ状のそれは 取り付いたまま離れない。紫色のコロイドの中で異物を排除するように、足がじりじりと焼ける。クジラの胃の中で溶かされるのを 待つ巨大魚の気分だ。
「……こいつは厄介だ」
 致命的ではないが、じわじわと効くイヤらしいタイプの防衛機構は精神的につらい。刃は封じているが、左手と両足は空いている。 この距離の刺し合いで負けることは有り得ないが、それでも何が飛び出るか分からない怖さがあった。
 故に膠着。
 この状態を脱すには何かが必要だった。

 そうでないならば、抜き放つ必要があった。

 ごりり、とモードの右拳・・が鳴る。
 《刃》の爛々と輝く右目と、生気のない左目がそれを見やり、初めて感情のようなものを灯した。
 恐怖、だ。
 そう、本能よりも更に原始的な何かが、理解してしまったのだ。


 ――モードが 今まで一度たりとも右拳を使っていない・・・・・・・・・・・・・・・、 ということに。


 《刃》の右目に映るのは、力が凝縮し、爆縮する様。莫大と言うには巨大すぎる恒星の如きエネルギー。
 《刃》の左目に映るのは、猛りつつ怒る猛怒もうどの龍。 空を、地を食い破らんと唸り声を上げる巨大なる龍。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 ネロの燃えるような赤髪が間接照明に照らされる。
 室内には中央に鎮座するシルバーのチェアと、それを囲む空中の半透明のモニタしか存在しない。 粗野でありながら気品を匂わすチェアに身を沈めながら、赤い瞳が緩やかに動く。
 1度目を閉じて開くと、手首だけを動かし、肘掛けの上に乗った鈴を静かに振り鳴らした。
「ムレハ」
 ほぼ無音で現れた禿頭の老人――ムレハに厳かに告げる。
「予定より早いが、を放たせろ」
「しかし、今放つと魔槍ま しょう渺茫びょうぼうを回収出来る可能性が 極端に低下しますが」
「《本質》を手に入れて得られる力よりも、さらに厄介なモノが目を醒ました――今しかない。回収に向かった者は全員戻らせろ。 ホムンクルスには準備なしでは勝てん」
 有無を言わさぬネロの口調に頷くと、再びムレハの姿は掻き消えた。
 入れ違うように背後に気配が生まれる。
「……カヲルかね」
「悪巧みに狂いが生じたようだね」
 背もたれを使って体を大きく反らして、カヲルを見上げる。
「計画は狂いが出なければ計画とはいえない。狂いが生じない計画は計画ではなく、ただの事実というんだよ」
「大丈夫なのかい?」
ネオゼーレこちらに天秤が少しでも傾けばそれでいい。 両側に重りが積まれようと、相対的な差があれば、それが勝敗だ。だが、大きな差は必要ない。 灰色の局面だと、天秤が釣り合っていると、そう周囲が思うことが現状のベストでありベター、最良であり最高だ」
 赤い瞳同士が交錯する。片方はカラーコンタクトだが、輝きは極めて同質といえた。
「……ルネサンスの伊吹マヤや、ネルフの碇ゲンドウが見誤ると?」
 世紀の天才と精神の怪物の名にネロの眉がぴくりと動く。
「見誤らないだろうな」
 体を起こし、勢いのまま立ち上がる。
「だが、見誤らずとも見誤ったフリはする」
「……よく分からないな。君や彼らの思考の跳躍は僕では推し量れない」
「彼らを騙したいのではなく、彼らが騙されたと他の誰かが思うことが重要ということだ」
 ドアの前まで歩みを進めた。光沢を放つ革の靴の踵がなる。
「――精々つぶし合って貰うさ」
 カヲルを残してネロはそのまま部屋を後にした。後には訝しげなカヲルだけが残る。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 死体が2つ転がっていた。
 2体とも胸に1つの穴が穿たれている。その顔には驚嘆の一語。少なくとも自らが貫かれた事実に気がついてから死んでいる、という ことだ。それは上出来、というより胸の穴が「何」によるものかを知る人間にとっては奇跡的だった。
 何か、は1にして∞、ゼロにしてピリオド、人で在りながら人に在らざるもの――ホムンクルス・ドッズ=ロン。
 物言わぬ2つの肉をすみれ色の瞳で不思議に見つめながら、その緑色の髪を震わせる。
 その後方には、割れた白い仮面から裸眼を覗かせるユダ。息は荒く、体全体が巧く機能していない。
 足元の冷え固まったマグマのザラついた感触が、かろうじてユダの意識をつなぎ止めている。そして、霞む視界に怪なる 生物をとらえ、ユダは自然に鼓動が早まるのを感じていた。その鼓動を確かめるように掌を心臓の上に置き、奇妙さに気がつく。
「む……傷?」
 無傷だった。
 胴と背をつながれ、転がる2つの死体と同じように、穴を穿たれた筈だ。
 辛うじて死んでいない事は十分に有り得る。しかし、傷がないのは明らかにおかしい。
 だが、今はその疑問を脳の奥底に押しやる。眼前の生物は規格外。逃げるしかない。今は、何よりも、拾った命の理由よりも、 逃走が重要だ。
 助けを求めるべきカタコンベはアテには出来ない。
 何故なら、今まさに、自分と同格あるいは同格以上である小ヤコブとタダイが――12使徒の2人が一瞬で殺された。《word》を行使 する暇すら与えられず、単純な力と速さ――純粋な身体能力のみにより埃を払うように殺された。
 まだ2人が生きていたなら3人のコンビネーションでドッズに対抗も出来ただろう。何せユダの《Gate》は他の《word》と組み合わせる ことで、想像を絶する能力を発揮するのだ。
 無意味な空想を頭を振って追い払う。
「……最悪だ」
 毒づく。
 上手く《Gate》が行使できず扉が作れない。単純に体力と精神力が足りていないのだ。
「いキてる?」
 ぐるりとこちらにドッズが首を回転させる。足元の死体とユダを見比べるように視線を往復させ、最後にはユダに視線を固定した。 空けた筈の風穴がないことに疑問を感じている。
 疑問には答えが必要だ。
 答えとは死だ。
 ほぼノーモーションでその痩躯が飛び上がった。空中を蹴るようにして、そのままユダの前に降り立つ。
 と、ここまでの動きもユダの瞳にはかろうじて見えただけだ。集中力を極限まで高めていなければ、いつ肌が触れる距離に現れたか すら理解できなかっただろう。それ程の速さ。
 顔を少しずつよせ、ユダをドッズがジッと見つめる。
「そウだ、やリ」
 そこではたと何かに気づき、ユダを素通りした。好奇心よりも何よりも命令が優先であるという事実を思い出したのだ。 そのまま中央の柱のドアへと入って行く。
 何故かは分からないが命を拾ったユダは逃亡の方法について思案した。ともかく《word》が使えない以上は、外に出る必要がある。 少しでもドッズから距離をおきたい。
 が、それを考えるよりも早く、事は進展した。
 中空に黒い扉――《Gate》による扉が出現する。 その精巧さや速度、構築能力は自分に及ばないが、確かに自分のものとよく似た扉だった。
「無事か、ユダ」
 そこから出て来たのは、予想外のこの男。カタコンベの長――シヴァ=モーゼル。
「……はい、なんとか。タダイと小ヤコブは、」
 2人の死体に視線を向ける。
「それに、あれは……あれが、きっと、」
「そうだ、ホムンクルスだ」
 隻眼を歪めながらシヴァが笑う。
「アレはお前には荷が重い。帰ってペトロの治療を受けろ」
 頷き、シヴァの作った扉の奥に帰る。

 見紛う事なき兇器――突撃槍をその手に持ちながら、扉からのっそりとホムンクルスが歩み出て来た。
 シヴァは、戦うつもりだ。
 許すつもりはない。
 仲間を殺されたことを、その手にあるものを持ち去っていくことを。
 何より、自らが生物の頂であるドッズより強いという事実を確かめずにはいられない。

 

 

 

 

 

+++++++++++++++++

 

 

To Be Continued to Episode 25.

Next, the fire run.
the end of part the world.

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 

 

 


<後を書く>
なかなか進まない。予想よりも話が膨らんじゃって困っちんぐ。
キャラが勝手に動く、じゃないけど割と思うようにいかず。
ただ、流石に次話で全ての局面に決着がつく筈。
本当はアスカvsハリルについては別の決着を考えてたけど、そのアイデアは他に転用。
絶対、その別の決着の方が収まりいいけど、まぁ、妥協も必要。


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