見下しているんじゃない。心配してるだけさ。
確信があった。
それは神通力にも似た何かだったが、決して後天的に得た《word》ではなく
環境と生まれから得た能力だ。
ただ、耳から、目から、鼻から、肌から、舌から染み込んで来る情報を頭にバラまくと、それら全てのピースを俯瞰するような
心地を得ることが出来た。俯瞰の末、ピースがどのように組み合っているか、どのピースとどのピースが酷似しているか、どの
ピースとどのピースが決して相容れないか――何もかもが感じられる。
それだけの、それだけの力だ。
伊吹マヤのような超越しきった頭脳ではない。故に何も創れない。
碇ゲンドウのような極めきった精神ではない。故に何も謀れない。
全てを客観視し、全てを俯瞰する。
設計図、だ。
起こり得る可能性の全てが記された設計図が、俯瞰と傍観の末に完結をみる。
だが、ここで問題が生じるのだ。
取り込んだ情報は全てが何らかの意味を持って設計図を彩るが、逆に取り込んでいない情報、つまり知らない情報が、
意図せずに設計図に紛れ込んだなら、設計は齟齬をきたす。
だからこそ、得られた完全客観の設計図に、自らの思考を混ぜ合わせ計画となす。
「知らない情報」が混入して生じる狂いすらも、主観の元に計画に織り込む。その大元の主観すら完全な客観視により、自らに整合を
問う。完全な客観と完全な主観を並列、かつ、複合的に運営する。全てを意思の元に操作する。
完全な、一切の主観を混ぜない客観を、しかも自らに向ける。
そんな人間は存在し得ない。
成し得るのは、到達しきった、その意思。
そう、新なる魂の座首領――ネロ=アルゴンは意思の化物だった。
「なあ、カヲル――君はどう死にたい?」
「唐突だな。君のプランには自らの死ぬ予定も組み込んでいるのかい?」
「人間は生まれは選べないが、どう死ぬかは選べるからな。だが、君は違う。人間として生まれる選択をし、人間として死に方を
選択することが出来る。まぁ、厳密に言えば生まれを選んだ瞬間は人間ではなかったわけだが」
「…その伝でいくと、僕は厳密にいえば人間ではない、ということにもなるけどね」
「面白いことを言うな。ならば、君は人間か」
「精神と肉体は間違いなく人間的ではあるね。だからといって、人間以前の、前世というべきか、脱皮前というべきか、使徒の状態
での記憶も確かに存在する。おかしな話だ。人間以前の人間でなかったことを覚えている人間は果たして人間といえるのか…」
「違うな」
「違う? ネロの目からみて僕は人間ではないということかい」
「そうじゃない。人間だって、そう――私だとて、あのシヴァ=モーゼルや、モード=ロン、シンジ=イカリだとしても、
元はただのタンパク質でしかない。その上、人間の細胞は日々生まれ変わり、変化を繰り返す。私の肉体を構成する細胞は、
当然ながら1つたりとも昔と同じものではない。摂取した食物を、人間ではないものを変質させて人間の肉体となしている。
記憶はないがその事実は知っている。つまり、人間でなかったことを知っている人間、ということだ」
「記憶しているのと知っているのは全然違うと思うけどねぇ……」
「違わないさ。君が使徒から人間へと変わった瞬間、つまり、人間の体を手に入れた瞬間、使徒の時に得ていた記憶はどうなった? 君の
コアに刻まれた記憶は、脳に知識として収束した筈だ」
「さあね、覚えてないし、知らないさ」
「ということは、そうである可能性も否定は出来ない。君にとっての使徒時の記憶と知識の違いはない、
ということも否定は出来ない」
「それは悪魔の証明というやつだ。気休めだね」
「気休めでもいいだろう。世の中を支配しているのは気休めとかりそめ、そして僅かな真実だ」
「真実は嫌だね。嘘の方が温かい。それでも人は真実を知りたがる」
「君も、真実を知りたい――そうだろう。それが君が人間であることの証明でもある」
「で、結局、ネロは何が言いたいんだい?」
「君が死ぬ時に記憶している真実が、君にとって後悔のないものであるよう――正しい道でも、間違った道でもない、
君の道を私が死ぬ前に見つけておくべきだ、
と言いたいんだ」
――それはカヲルの最初の問いに対する、明確な答えだった。
+++++++++++++++++
まず、ドッズの腕がしなった。しなった先には得体のしれない怖気を纏った
突撃槍――魔槍・渺
茫。次いで、肩先からがスッポリと空気に溶け込むように腕が消失した。
そこから先は、最早、人の埒外。
無数に絡み合う水色の軌跡のみが宙を走り、宙を裂くというより叩き潰すような鈍い音だけが響く。
その人外の速度による槍の連撃を、しかし、シヴァは値踏みするように紙一重で避け続ける。シヴァの隻眼が爛々と輝き、火が灯った
ように熱さを帯びた。
ばがん、と。
空気が爆ぜた。
音源はシヴァの右手だ。渺茫がその鋼のごとき五指に握りこまれている。
「――ぬるいぞ、最強生物」
「……ぼクのなマエ、ソれ、ちガう」
言葉とともに、自分の身長よりなお長大な渺茫を手首のみで捻り上げる。
一気にシヴァの5本の指だけが宙に浮いた。血すら飛び散らない。指が己を寸断されたことに気づいていないかのようでもある。
人では到底追いつかない膂力と、渺茫の異界染みた威力による圧倒的な断撃だった。
対して、シヴァは地に落ちる前に指を反対の手で残らず掴みとる。同時に体中から虹色の光輝――《color》が溢れ出た。
世界に対して宣戦布告するような、そんな挑戦的で攻撃的なrainbow。
「Shaman」
這う。
放たれたシヴァの《word》が世界に領域を張り、折れた牙が這い回るように鋭く事象を抉り出す。
「初弾射出――Repair」
弾装に込められた殺意を解き放つように、スペルを紡ぐ。
直す《word》――《Repair》。その力が模型をはめ込むようにシヴァの指を手の甲に接続した。
次いで紡ぐ。力の名を。威力の名を。
「次弾射出――アンデレの体術」
シヴァが足を広げると冷え固まったマグマがひび割れ、足首まで埋まってしまう。体重は変動していないが、意識と根付いた力が
違った。大地に根を張るように、大地と一体化するように、ずしりと体が沈む。
ひび割れが閾値にまで達し、マグマが破裂した瞬間、
「かっ!」
既にシヴァの体はドッズの懐にもぐりこみ、拳はその細身ながら人のレベルではない腹筋を突き破っていた。
飛ぶ。
ドッズの痩躯が文字通り飛び、真っ直ぐに壁にめり込んだ。
みしみしと建物自体が振動する中、ドッズの目が点滅する信号のように激しくしばたいた。
無論、傷は1つたりともなく、体力もマックスを100とするなら1も削られてはいない。しかし、だ。しかし、それでも吹き飛ばされた
のだ。これが初の経験。誕生以来、初めて他者に浮かされた。そして、
「……おまエ、なンだ」
それはドッズが初めて感じた『好奇心』だった。
「我が何か、だと?」
シヴァの相貌が愉悦に歪む。
「お前と同じ――」
再び踏み込む。
生物の頂点に位置するドッズの動体視力ですら完全には捉えられない。限界を超えたというより、限界だけが削除された
辞典のごとき加速だ。
これは、知らない。考えうる全ての選択肢を体験し、『1』と『∞』を、
『0』と『.』を内包したあらゆる生物の到達点である、ドッズが知らない。
本来有り得ないドッズにとっての未体験の領域――!
「――化け物だ」
壁が圧壊し、ドッズが建物の外に吹き飛ぶ。重力に引かれて地上に落下しながら、様々なものがドッズに去来した。
未体験の衝撃。未体験の生物。未体験の――感情。
ついには、ドッズの顔はかつて変化したことのない形へと変貌した。すなわち、愉悦。
そして、更なる好奇心。更なる疑問。更なる、感情の爆発。
そう、至極単純なことだ。
頂は――1つとは限らない。
Episode 25 : ...REplys
壁に開いた穴からシヴァが躍り出る。その突進に対して、ドッズはゆらりと渺茫を支えに立ち上がった。
激突。
ドッズが消失する。今度は肩から先ではなく、体ごと、だ。
先ほどの攻防とは完全に趣が違う。
渺茫は突撃槍である。故に、今までの切り払いは本道ではない小手先の技術。穂先の重さとドッズ自身の膂力により強力ではあるが、
どちらかといえば守りによっている。突撃槍の真骨頂は、突き、だ。その上、ドッズは痩躯にもかかわらず途方もない内臓筋力
により、膨大な質量を有す。速度も驚異的。膂力も異常の域。
質量×速度×膂力――すべてが倍々で相乗効果を生む。
超々高速で放たれた一迅の隕矢。切っ先は最早シヴァですら視認不能だ。
「ク…」
短く笑う。見えない、という事例はいつ以来かと思考を走らせ、ついには考えるのをやめた。ただ、眼前の久しく存在しなかった
強大な存在に酔いしれる。
例え姿は霞み視認出来なくとも、向かってくる殺気は明確。
ならば唯一。
行うべきは唯一。
ただ真っ直ぐに、真っ向から、真正面より、最大の力で打ち砕く。
「次々弾射出――Gate」
頭上に出現する黒い扉。ぞぷりとそこに両腕を突っ込み、そのまま一気に振り下ろす。
――。
無音の衝撃が空を断った。
その両手に握られたそれは、巨大な鋼の塊としか形容しようのない――剣。褐色の柄、長大・重厚な金色の真刃。存在そのものが
威圧感を持つ、そう、まさしく使い手そのものの『圧倒』の塊。
黒い扉を真っ二つに割り潰し、そのまま襲い来る強大な殺気の結晶と激突する。
ルネサンスとカタコンベ。ドッズとシヴァ。生物の頂と《user》の頂。
槍と剣。好奇心と圧倒。
力と力。全力と全力。
「かああああああああああああああああ!」
「うあああああアアアああアあアああアあ!」
そこには何も存在し得ない。技も騙し合いも愚かしさも何もない。ただ、力と力の――存在と存在の激突のみがあった。
槍の切っ先と剣の刃が拮抗する。行き場のない衝突によるエネルギーはそのまま2人の直下へと伝わった。
クレーターが形成され、際限なく沈む。苛烈なるパワーのぶつかりあいは干渉しあい更なるパワーを生んだ。ぶつかり合いが力を呼び、
力がぶつかり合いを呼ぶ。力と拮抗とパワーの発生がサイクリックに稼動し続ける。
――天秤は完全に水平。
だがそれ故に傾けるのは水滴1つでも可能。
轟音。
音が鳴り終える頃には、全てが片付いていた。
遥か彼方、星の外よりそれは来たる。
それはまさしく水滴。厚い大気をぶち破り、厚い雲をぶち破り、振り降りる巨大な光のつぶて。
ただ破壊のためだけに存在する悪しき光。
ただ終わらせるためだけに存在する――雷。
+++++++++++++++++
「ネロ様、雷が確かに要を打ち抜きました」
ムレハの厳かな報告に鷹揚に頷く。
「損傷率は?」
「衛星の基部の7割が破損しました。最大充填時の3割ほどの威力でならば後1度だけ使えます」
「上等だ。ボロの割にはなかなか、な。して、後1度使った場合はどうなる? 全壊するか?」
訊きながら自分の瞳に指を挿し込み、コンタクトを取り外す。真っ赤なコンタクトの奥には鳶色の瞳。
「いくつか不確定要素がありますが、最低でも8割の確率で」
その言葉にネロはニタリと笑う。粘着質ながら軽やかさを感じさせる王の笑みだ。
「――墜ちるか。トンプソンに落下地点・速度・質量計測の準備をさせておけ」
「ビル様は現在任務の途中ですが」
「呼び戻せ。その任務は、そうだな――カヲル」
自分の名を呼ばれ、ネロの対面に座っていたカヲルが反応する。
「ビルの楽しみをとってしまうと後が怖いね」
「代わりが君だというならばトンプソンも従わざるを得まいよ。全く、すっかり彼らを手なずけてしまって。
あそこまで従順にしてどうするつもりだ? 私に反旗でも翻すか?」
「残念。その時は僕1人でやるとしよう。何せ彼らは僕を殺したがっているようだ」
クククと赤髪を震わせながらネロが低く笑った。
「あれだけ痛めつけて上下関係を叩き込んだのなら、そうもなるだろう。全く……1番楽な方法を採るとは」
「単に時間の問題さ。信頼関係を築いている猶予はない。そうだろう、ネロ=アルゴン」
「その通りだ、カヲル=ナギサ」
瞳が交錯する。
「それで、その任務の内容は?」
ムレハの答えは明瞭だった。
「《スラム=ナフテア》内に潜入している地這いの使徒盟主
補佐――アーガス=アーリマンの抹殺です」
+++++++++++++++++
「司令、北米大陸南西に大エネルギーの照射が観測されました」
机上の通信機からリツコの声が響く。
「司令?」
響くだけだった。
ずるりと陰のような闇のような物体がセフィロト樹形に照らされ蠢動する。気体とも固体とも液体とも違い、同時に全てが交じり合った
ような黒の物体。まるでそれは影から這い出てきた異形。
「司令!」
「……きこえている」
生皮が剥がれるように黒が鮮血を上げながら裏返り、ゲンドウの顔が現れた。
「衛星軌道兵器か……」
「はい、おそらく衛星軌道上の大出力レーザ砲だと」
「大気圏外回遊型高密度レーザー射出兵装=ドゴス――老人どもの遺物だな」
苦しげに吐き捨て、更に黒い皮を引き剥がす。ぶちぶちと肉が千切れるような音が響き渡った。
「葛城君に衛星自体が本部に落下した際の対策を講じさせろ」
「レーザへの対処はよろしいのですか」
「……ほぼ有り得まい。相手がバカでなければな」
「分かりました。それに際して、通電可能な監視衛星がいくつか確認出来ましたので、使用許可を」
黒を割り開きながら左手を外気に晒し、コンソールを操作する。
「認証コードは今送信した。自由に使え」
「はい。それでは、すぐに稼働作業を行います」
通信が途絶えるとともに、床に膝をつく。
「魂の座に新たな王が座したか……」
なおも剥がれ続ける黒を一転して引き寄せる。ぶくぶくと泡立ちながらまとわりつき、波が1度走ると平素な黒い服へと変質した。
早鐘を打つ心臓。激しい弾む息。額に浮かぶ脂汗。サングラスの奥の瞳の焦点は定まらない。
「時間が……ない」
ごぷりと吐血する。赤黒い血はそのまま黒から吐き出された異物のよう。
「ドゴスを手にしたならば、あぶないな」
脳裏には初号機。コアと外装は別として素体は依然として宇宙に鎮座している。その利用価値に気づかない筈はない。
ならば、と通信回線を開く。
「わたしだ」
「どうも。この回線を使うということは、秘匿任務ですか」
通信機の向こうから加持の気だるげな声が響く。
《word》の登場は情報の取り扱いを完全に進化させてしまった。ネットーワークを介して行われた情報のやり取りは
伝達系の《word》にとって代わられ、情報の保存も2進数から定着・変質の《word》へと移行した。無論、《non-user》も多く存在する
以上は電子的な情報のやり取りもさかんに交わされるが、それらも《word》によりクラックされ、安全を保証されることはない。
電子的情報の漏洩を防ぐためにより強い防護の力を持つ《user》を求め、それに更に対応するためより強い情報獲得のための力を
持つ《user》を用意する。最も、それは《user》発生以前に行われていたセキュリティとクラッカーのイタチごっこと何ら
変わりないが。
《word》による情報のやり取りも、同様の攻防が交わされる。《word》による情報伝達を《word》により解析し、
それを防ぐために《word》によるシールドを張り巡らし、その突破のため《word》を使い、と《word》による競り合いは生死に関わらない
場面でも激しく行われる。
故にゲンドウと加持のホットラインは特殊にして唯一。
最高レベルのコーティング、6重の暗号化と7重の《word》的防護、サクノの恣意的なATフィールドによるシールド、
加えて超視力を持たなければ解析できない仕掛けが施してある。
そのセキュリティレベルは最高の水準を誇り、ATフィールドが全てを遮断する以上、全てに対して絶対だ。
アンチATフィールドも近距離でなければ意味がなく、利用できるほどの距離でアンチATフィールドが発生したならばサクノが気づく。
今世において唯一絶対の秘匿通信だ。
「《スラム=ウエスト》の須弥に向かえ」
「……《本質》を奪ってこいと? 随分と急ですね」
「おそらくシンジ達は魔槍・渺
茫の奪取に失敗した。老人どもの遺物――ドゴスの稼動も確認されている。
誰かが予定を早めている。ならば、追従しないわけにもいくまい」
「なるほど……分かりました。魔棍・命
脈強奪任務、確かに」
通信を終えようとしたその時、
「レイを連れて行け」
反論を許さぬように息を吸い終わったタイミングを狙い、言葉と同時に通信を断った。
「…………狸め。よりによって命脈の強奪任務をレイちゃんにさせるかね」
ともかく、行動は早い方がいい。サクノにステルスを頼み、至急、沿岸の都市ムンバイから、かつてのインド首都
ニューデリーまでを帯状に広がる《七大スラム》が1――《スラム=ウエスト》に向かう必要がある。
一瞬、加持の脳裏にレイを伴うことで本部防衛に支障をきたす、という命令拒否の理由がよぎる。しかし、すぐに思い直すことと
なった。眼前のベンチに腰掛ける銀髪の少女。そう、第18使徒タブリス、サクノ=ナギサがいれば何も心配することはないのだ。
「ボクをあまりアテにされても困るんだけどね」
アルカイックに微笑む。
「それに、ボクの我慢もいいかげんに限界だよ。あの女をミンチに出来るステキな話はどうなったわけ」
サクノの脳裏にはマヤの哄笑。
「S2機関がないのって割と不便なんだよね。コーヒーは美味しいけど」
マヤにS2機関を奪われて以来、サクノのエネルギーの補給方法はヒトと何ら変わりなく、飲み食いによる。
「ルネサンスの支部はともかく、上層部の行方は杳として知れなくてね。ただ、カヲル君が九州から持ち帰ったデータの解析も
そろそろ終わるだろう」
「……ま、シンジとカヲルとの約束だからね、ここを護ることに異議はないけど、ボク自身を狙って異常なのが来たら保証はないよ」
「シヴァ=モーゼル、モード=ロン級の人間はしばらく来ないだろうな。色々と各地でお取り込み中だ」
加持の言葉通り、シヴァとドッズやモードは北米に、アーガスもヨーロッパにいる。
+++++++++++++++++
大地に神が針を突き刺したのだ、と誰かが呟いた。
大塩湖――グレートソルトレイク南西とロッキー山脈のちょうど中間地点に、島すら収まる極大の穴。
大気圏外からの超々高密度レーザにより穿たれたその穴は、周囲の環境に激的な変化をもたらす。
濁流だった。逆巻き、渦巻く海水よりも尚濃い塩水の圧倒的水量が大地すら削り取る。
穴の周囲から地盤が連続的に崩れ落ち、まず塩湖の東側の境界が消えた。
同時に湖に東側から注がれていたウェーバ川の流れは、湖からの圧倒的な水量に巻き込まれ逆流し始める。
湖を横切る横断鉄道は激流により解体され、水と混じっていく。20キロ立方メートル――およそ2000万キログラムもの質量が大地を
蹂躙する。
押し出された大瀑布のごとき水は、ある一点へと流れ行く。穴の周辺は巻き上げられた土や岩が堆積し、穴へは向かわない。
ただ真っ直ぐに、低い場所へと全てを飲み込んで巻き進む。
その先には1本のレール。砂時計の砂が落ちていくように、水が1本の道へと収束する。
即ち、ロッキー山脈を貫くトンネル。
集う水流は、トンネル内部を削りながら弾丸のように無茶苦茶に回転流動して突き抜ける。
そう、完全に無茶苦茶だ。
小型の核爆弾にすら匹敵する大威力が、このために
あつらえたような巨
大な砲身へと吸い込まれる。これが無茶苦茶以外の何だというのだろうか。
ロッキー山脈を切り崩しながら水はついに大穀物地帯である大平原――グレートプレーンズへと躍り出た。
さらに、その衝撃と、地殻の変動により連続して起こる小さな地震が噛み合う。次の瞬間、グレートプレーンズが崩壊した。
元々《3rd Impact》時の飛来物により脆くなっていた地盤がついに臨界を迎えたのだ。
グレートプレーンズ直下、日本より尚巨大な面積を誇る浅層地下水層――オガララ帯水層が一気に巻き上がる。
オガララ帯水層の貯水量はおよそ400000000000万キログラム。その全てが地表に爆散した。
それは、現存するどんな兵器だろうと、原因を作り出したドゴスであろうとも成し得ない――人類史上最大最高峰の威力。
この日、大陸の形が変わった。《七大スラム》の1つが消し飛んだ。
――それが、ネロ=アルゴンの、意思の化物の、魂の座主の、明確な答えだった。
+++++++++++++++++
闇。
闇に目覚める。シンジの目に映るのはイスに座る自分。目の前にもう1人の『自分』が憮然としている。奇妙な光景だった。
イスの真下には沼とその底から這い出る枯れ木。黒い沼から突き出た香木のような白磁の木々に支えられるように、イスが波紋を
作ってたゆたい浮かび揺れる。
眼前の『自分』に対して警戒心を強めながら、後ろに距離をとった。
自分以外の『自分』。脳裏に焼きつく電車のイメージ。ああ、この感覚は、
「……『前にもあった』か」
「思考を、」
「『読んだのか』か」
発音もトーンも全てが自分と違い、全てが自分と似ている。奇妙な符合。
目の前の『自分』は自分である筈だが、自分ではない。自分であるが故に、目の前の『自分』が自分でないことが分かる。
そして、自分の姿をして自分の思考を言い当てる存在の危険さが、シンジの殺気を爆発的に増大させた。
腰の紫鬼の柄に手をかけ――ハッとする。紫鬼どころか服も靴も存在せず、
自身の体自体の存在すら曖昧で希薄。意識も肉体も、全てが得体の知れない何かに呑まれるよう。
「覚えているか、貴様の分かり易くも圧倒的な敗北を」
言われると同時に記憶が刃のように突き刺さった。衝動的に、曖昧に存在する左胸に曖昧に存在する右手を当て、存在しない
心臓が確かに存在していないことを確かめる。
モードの超振動するXXX型義手弐号基TYPE-Bの感触を確かに覚えていた。振動と接触と貫通と振動により、鳳仙花が弾け飛ぶように
心臓が蒸散したことを、確かに覚えていた。
「その後のこと、覚えてはいまい」
存在するかどうか定かではない脳髄に鉄棒を差し込まれたような感覚。自分以外の自分による自分の記憶だ。
「自身の力ではないモノに命を拾われる――弱者め」
瞬間、《word》を振るう。
「滑稽な」
《斬》の赤い刃は『自分』の周囲に出現し、真っ直ぐに自分を貫いた。1つ刃が突き刺さるたびに、曖昧だった自身の存在が明確に
消え去っていく。
「その《斬》も、たまたまだ。貴様がたまたまあそこにいて、たまたま願ったに
すぎない――ただの偶然の産物。逃げをうったことで得た弱者の得物だ」
「あ……あが…ぐ」
赤い刃が螺旋を描きながら体を消し飛ばした。左頬が、左肩が、左胸が、左腕が、左腿が、左手が、左脚が、左足が真紅に
押し潰されていく。右半身だけが希薄なまま闇に残った。
「貴様は――逃げることから逃げているだけだ。そうして自身が強者であると思いたいだけの弱者――それが貴様だ」
「そ……れは…、」
ただの言葉遊びだと言おうとするが口が存在しない。
「ふん。変わった気になっていたのか、碇シンジ。貴様は何も変わっちゃいないよ。ただ着込んだ鎧が強くなって精神を防御する
方法を覚えただけだ」
存在しない口を動かし、存在しない声帯から声を絞り出す。
――それの何が悪い、と。
それが、着込む鎧を厚くして変質させていくのが、大人になることなのだと。
「別に悪くはないさ。悪くはないが、よくもない。問うが、貴様は本当に弱いままでいいのか。弱いことを肯定していく成長を是と
するのか」
――そんなことは、そんなことは
「いいわけがない!」
否。
それが正しいかどうかは二の次だ。ただ、今まで振るってきた力と歩んできた道と踏み越えてきた骸が、そう応えた。
確固たる精神が外殻をなし、内面から身体を実体化させる。
気づくとシンジの肉体は闇の中の一筋の光のように、確かに存在していた。
「それでいいんだよ。丸くなるほどやりきっちゃいないだろ。諦めて受け入れていくのが大人になることだとしても――別に無理して大人になるなよ、碇シンジ」
周囲の闇が鳴動し揺れる。闇が眼前に凝集し、凝固し、凍結し、形をなした。
「諦めることを諦めろ。諦めないことを諦めるな」
沼から白木が次々と伸び出て集まり、1本の大樹となる。黒い沼を巻き取りながら渦を作った。
それら全てが蛇のように蠢きシンジに巻きつく。
「逃げることから逃げるな。逃げることに向き合い、抗え。与えた心臓が動く限り、ひたすらに」
闇が白蛇と混濁しシンジを包んだ。灰色と黒と白。モノトーンの退廃。
眼前の『自分』の体が崩れ姿を模していた皮すらシンジへと集う。
「待っているぞ、貴様が扉を開けに来ることを」
霞む視界の中、最後にシンジの瞳が映したのは異形の個体――白光を
背にした紫に闇る破壊的概念そのものだった。
光。
海とも池とも判断のつかない浅い水の中、シンジの視界が鮮明になる。
胸に手を当てると確かに脈打つ心臓。手には紫鬼。そして、見覚えのない、腹についた巨大な傷痕。1度砲弾か何かが貫通し、その後に
強引に繋ぎとめたような傷痕だった。
生きている。確かに、生きていた。
『自分』との邂逅が夢だったのか、それとも《word》が見せた幻だったのか、最早分からない。ただ、その言葉は確かに現実として
自らの心臓に刻まれている。
周囲にはアスカの姿も、モードの姿もない。ここがどこかを確かめ、すぐにネルフへと帰還する必要がある。
自分のものか定かではない記憶を掘り返す。天と地を穿ったあの光の矢はおそらく《スラム=トスカニャーフ》を消し飛ばした。もう、任務もクソもあるまい。その確認だけはするが、帰還が最良だろう。
「アスカ……どこに」
水から体を起こし歩み始める。
その先には真っ青な水と空だけが広がっていた。
+++++++++++++++++
To Be Continued to Episode 26.
Next, begin of new battle.
And struggling for the new power.
+++++++++++++++++
<後を書く>
相変わらず事実と微妙に嘘を混ぜつつ科学考証をかわすMMR的手法が全開。
大体、大塩湖ってそんな大きい湖じゃないんだよね。いや、オガララの引き金だから見逃せよ。
更新の遅さは最早言い訳のしようもないので、ただただゴメンなさい、と。
次からは新展開。久しぶりにカヲル。後、ちょっとシンジとアスカとマヤ。