フルスロットル以外はクールじゃない。

 

 

 

 

 

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written by HIDEI

 

 

 

 

 

 闇がまたたく錯覚。
 楕円形のテーブルの上にぐるりと蝋燭が配置されている。13の光と15の席。照らされる人影と埋まった席は11。
「……小ヤコブとタダイの喪失。12使徒が同時に2人も失われるとは、嘆かわしい」
 ペトロが眼鏡のブリッジに指を添えながらため息をついた。
「仕方あるまい。我と互角か、戦闘経験の蓄積によってはそれ以上となるであろう――ホムンクルスが相手ではな」
「メイカクな勝利を手に入れたわけでもない、文字通りの水に流れたケッチャクだというのに楽しそうデスネ、盟主サマ」
 中華風の装束に身を包んだ狐目の青年が静かに進言する。主が楽しいならば、また自分も楽しい主義だった。
「楽しそう? 違うな、アンデレ。楽しいのだよ。濁流に呑まれずにあのまま死合っていたならば、 どうなったのか想像がつかない――つかないのだぞ。我が勝利のイメージを描けないだと? これが楽しくないのならば、何が楽しいと いうのだ」
 隻眼を歪める。愉悦と享楽の笑みを保ったまま続ける。
「アンデレよ、お前の体術も大いに役立った。礼を言おう」
「モッタイないお言葉」
 顔をペトロの方に向けて続ける。
「して、アーガスから連絡は?」
「斥候は終了。次の段階――つまり、ネオゼーレの中枢に喰いつくとのことです。宣戦はどうされますか」
「ふん、全てアーガスに任せておけ。あいつが勝手にやるだろう」
 シヴァのただ1人の盟主補佐たるアーガスに対する信頼は並外れている。実力が自身に匹敵するという評価を下している以上、 当然といえば当然だが。
「今後のことだが、取り敢えず、そうだな――ネオゼーレを陥落とす。アーガスが 戦端を開いたら、すぐにペトロとユダも《スラム=ナフテア》に向かえ」
 ペトロとユダが頷く。2人はネルフへの侵攻に失敗した咎がある。シヴァはそれを罪として裁くほど矮小な人間ではないが、 挽回の機会は用意すべきだ。
 そして、同様にネルフへの侵攻を行ったヤコブに対して言葉を紡ぐ。
「ヤコブ、お前は《スラム=ウエスト》に向かい、《本質》を奪取しろ」
 そのままその右隣に座る髪を短く切り込んだ糸目の男に視線を移す。
「フィリポはそれに付き従い、補佐しろ」
「分かりました。ついに私のパイプを生かす時が来た、という向きですな」
 不適に笑う。
「マタイ、トマスは《スラム=アリータスルト》の調査を。ヨハネ、アンデレは引き続き人材の確保を。 シモン、バルトロマイはルネサンスに網を張れ――特にモード=ロンとホムンクルスに注意しろ」
 頷きとともに蝋燭の炎が次々と消えていく。

 闇にはシヴァただ1人が取り残された。
 蝋燭のない席――タダイと小ヤコブのものであった席を見やり、唇を噛み締める。
「タダイ、小ヤコブ――いや、ジム=ザイドリッツ、ソウ=イザルゴ。お前達の名、生涯忘れまい。お前達の名、ともに連れて行く。 我が死すまでともに来い」
 存在しない死した者たちへの魂の誓いだった。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

「ミサトさん、僕はね、こう思うんですよ」
 シンジの視線は1度腹の傷へと向き、次いでミサトの瞳に向けられた。
「何かを得るために何かを失うことを怖がってちゃ、全部失うことになるって」
「……それは経験則?」
 ただ静かに頷く。
「分かった。司令に上申しておくわ」

 ――これが3日前にシンジとミサトの間で交わされた会話である。
 その会話を脳内で反芻しながら、壁の下方で連なった赤々とした光が足元のみを照らす暗い道を歩く。 光の途切れるその先は、ヘブンズドア。魔刃まじん紫 鬼しきを初めて手にした時以来の、ターミナルドグマ最深部へと続く禁断の門。
 眼前に広がる紫色の装甲板、膝を折り佇む初号機の抜け殻の下にはサクノがいた。その横にはいくつかの機器を携えたリツコ もいる。
「さあ、いつでもどうぞ」
 いってATフィールドを形成する。
 赤々とした室内にオレンジ色の膜が張られたよう。最も、その実態は膜というよりか甲殻に近い。
「サクノ、もしもの時は」
「分かってる。もしもの時は躊躇せずにフィールドで握りつぶす」
 言葉通りにシンジの体に触れるギリギリにまでATフィールドを圧縮して狭める。シンジだけを護るドームのようにもみえるが、 逆だ。これからシンジが行うことが外に漏れないよう、シンジからシンジ以外を護っている。
「リツコさん」
「ええ、いつでもいいわ」
 記録装置のコンソールを操作し、データ取得を開始する。
「それじゃあ、いきます」
 紫鬼を床に突き立て、鍔や柄を砕く。ぞわり、と怖気が走り空気が凍りついた。『抑制』の一切存在しない抜き身の、初号機の本質 そのものの圧倒的な鬼気と狂喜。
 紫色の刃がほどけるとシンジの右手に巻きつき、腕を中心に捻れ狂う。肉と皮と骨を丸ごとすり潰すように螺旋が描かれ、刃と シンジの肉体が溶け合っていく。
「ぐ……来い。来い。来い。来い――!」
 ダムが決壊したように紫色の奔流がシンジの体躯を一気に侵食する。

 そして、再び現れる刀と人間のハイブリット―― 一振りの《刃》。

 足先から頭の天辺まで、体躯の右半分を覆う紫色の甲殻。まるで鬼を模した鎧。
 鎧の右腕部から搾るように捻り出る、なお濃い紫色の刃。まるで抜き身の骨。
 口から吐き出される息はまるで炎のように熱い。
 半面から覗くシンジの素顔。裸眼に光は灯っていない。
 ただ、文字になりきらない低い唸りだけがあった。

 右腕部を振り上げ、同時に生身を残す左手を目一杯広げる。《刃》の周囲を覆うATフィールドと激突し、オレンジの絶対防壁が ぎちぎちと歪んだ。
「っち! とんだ化け物だ」
 口の端を吊り上げながら、サクノが送り込む力を強める。シンジの防壁以外に充てていた力の内、3割をこちらに回した。シンジの両腕が 反発を受けたように徐々に壁から離れる。ついには、頭上からも圧迫を受け、正座に近い形に座らされてしまう。
「リツコさん、ちょっと不味いかもしれない」
「抑えきれない?」
 視線をリアルタイムで変動する手元のデータに固定したまま応える。
「いや、それは大丈夫だと思う。でも、他の、ドグマ全域に張った分と本部全域に張った分、それと重要データの防壁に回してる分を 全部解除してこっちに回さなきゃ追いつかないかもしれない」
「その時はその時でいいから気にしないでちょうだい。どうとでもなるし、どうとでも出来る」
 目まぐるしく変化するパラメータ。特に、脳波の変化は異常ともいえる。既にリツコは学者のサガ故か、そこから目を離すことが 出来なくなっていた。だから、それを、《刃》の変化を目撃したのはサクノだけだ。

 光の灯っていなかった左目に一瞬だけ、らんと火が走った。
 ――戦いの狼煙だ。

 闇。

 闇に目覚める。シンジの目に映るのはイスに座る『自分』。イスの真下には沼とその底から這い出る枯れ木。 黒い沼から突き出た香木のような白磁の木々に支えられるように、イスが波紋を作ってたゆたい浮かび揺れる。

「ようこそ、人間ヒト

 『自分』が、ただただ酷薄な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

Episode 26 : 散華

 

 

 

 

 月光を背に2つの影が躍った。
 白い軌跡が華のように走り回る。黒い閃きは枝葉のように広がり散る。
「はははははははははは、楽しいな、カヲル=ナギサ!」
「僕にはそんな変態趣味はないよ!」
 カヲルのプラズマを湛えた右手が高速で打ち出されるが、ものともせずに紙一重でかわす。アーガスにとっては心地よい、 止まっているのと変わらないわけでもなく速すぎて視認出来ないわけでもない、何ともステキなスピードだ。
 間を置かず、右足を軸にして雷流をまとったハイキックを放つ。電子の輝きが宙に糸を引いた。速度は先ほどのナックルとは段違い。 加速されていた。最近、カヲルは意図的に電磁的な加速を行っている。自らの能力への認識の高まりがそうさせた。 レールガンとまではいかないがコイルガン程度の効果はある。それ故の超加速だ。
 通常のコイルガンの威力は児戯ともいえるものだが、電場と磁場を従えるカヲルはその限りではない。実際のコイルではなく擬似的に 体の周囲に電磁力を絞り巡らせ、同時に磁力をまとわせた体をそこへと引きこむ。高い身体能力による初速に、強磁力のアシストが加わり 思いもよらぬスピードと化す。
「あは」
 アーガスは笑う。スピード狂いの気持ちが理解出来た。回転を上げる必要がある。おそらくスピードだけなら既にサガよりも上だ。 サガよりも何かが上であるなら、アーガスにとっては強敵となる。

 始めに誘いをかけたのがどちらかはハッキリしない。強いて言うならば、同時に誘いをかけた。
 新なる魂の座ネオゼーレが根付く《七大スラム》が1つ《スラム=ナフテア》の 中心地はスペインの旧セビリアである。《3rd Impact》によりジブラルタル海峡が 拡大したためイベリア半島の端となったこのかつての都市は、アフリカ大陸につながる大架橋の建設拠点となっている。
 そう大架橋だ。
 《3rd Impact》以前には海底トンネルの建設が行われ、以後もそのまま建設が続行される筈であり、北米大陸の巨大トンネルはその 試金石としての意味もあった。が、水棲使徒が多く発生したことから断念された。 海底トンネル内で内壁が破壊されては逃げ場もなくどうしようもない。 橋ならば高度を高くとり、吊橋とすれば危険はグッと減る。無論、支柱を破壊される可能性もあるが、 その懸念はネオゼーレの害悪なる建造者によって解消された。
 浮遊させるのだ、支柱自体を。
 同様に上空には多くの空棲使徒が発生しているためあまり高い位置には作れない。故に、低すぎず高すぎない位置の架橋こそが 物理的な移動方法として最適。
 ――その建材が大量に積まれた簡素な倉庫で、同時に殺気と不自然な隙をもって誘い合い、それに乗り合った。

 笑いながら、アーガスが殺気の領界を拡大する。カチカチと歯を鳴らす牙のごとき殺意がカヲルに噛み付いた。 殺意が肉を噛み千切るかのよう。
「さあ、オーケー? いくぞ、カヲル=ナギサ――Vampire!」
 1度黒衣をはためかせ、力の枷を断ち切る。解放された力が行き場を求め、空気中に一気に広がった。 力が示す《color》は最高位rainbow。 今までアーガスの体に巻きつくように留まっていたそれが解き放たれ、《word》の開放率を上げるべく虹色の奔流が暴れ出した。
 瞳が赤く光る。爪が人ならざる鋭さに変貌する。口からは牙。背には宵色の翼。
 闇色の怪物が現出した。
「はあああああ!」
 瞬間、アーガスが空に浮かぶ前に機動力を断たんと翼に向けてカヲルの拳が奔る。
 足を加速し、腰を加速し、肩を加速し、腕を加速。連動して唸るまさに雷のごとき1発だ。
 厚く堅固な黒翼がその一撃で紙屑のように千切れ飛ぶ。
「グッドな着眼点だ。70ポイントってところか」
 マントのごとき黒衣を翻すと、バラバラになった破片が蝙蝠へと変わり、独りでに集うと再び翼となった。
 その姿、その所業、まさしく月光すらけがしつくす夜の怪人――ヴァンパイア。
 アーガスが飛び上がるが、最早翼を砕くのは無駄と悟ったのかカヲルはそれを見送る。
 倉庫の天井をぶち破っての、風を切り裂く飛翔。天井の破片を切り刻み、翼が奏でる風切り音はまるで死神の笛。 天井の破片を砕き潰し、空間を叩き伏せるような翼の挙動はまるで死神の鎌。
 自在に空中で方向を換える相手と地上で撃ち合うのは明らかに不利だ。ならば、とカヲルは1度腰を落とすと一気に飛び上がる。 紫、白、赤、黄、青――極彩色の雷がカヲルの背で渦巻きグルリと花開く。四方に広がる一輪の雷鳴の翼だ。天井の破片がパチパチと 喝采のように音を鳴らした。
 周囲の電磁力を操り、フレミング左手の法則に従ってローレンツ力を発生、高まる負の電荷と相反する正の電荷が唸る。 パチパチと飛沫をあげながらカヲルもついに飛翔した。
「電磁王とでも呼ぼうか? それとも電磁の貴公子がお好みか?」
 空中で静止する自らの目の前で同様に静止してみせたカヲルに対し、アーガスは尚も余裕を崩さない。
「よく喋る……」
「ベリーファンってやつだ。楽しくてね、ついつい饒舌になる」
 互いの制空圏が重なっている。いつでも目の前の相手に拳を叩き込める間合いだ。
 アーガスが先に動く――いや、動かされた。アーガス自身の意思に反して右手が突き出される。
「流石は電磁界の帝王だな」
 唇は弧を描くが目は笑っていない。
 制空圏の重なりは同時に《limit》の重なりをも意味する。そして、カヲルの《limit》内の電場と磁場は全て王にかしずくが如く カヲルに従う。つまり、電磁場を歪ませて、自らの体を上昇させる――自身と地上を反発させる――のと同様に、自身とアーガスの 体を引き合わせることも可能となる。
 無論、どれだけ引き合わせようと、それは見えざる手で掴まれているのと相違ない。 どれだけ強力な磁石同士がくっついていたとしても、その接合力以上の力で引っ張れば外れてしまう。
 故に、
「《limit》内に入らなければどうということはない。丁度いいナイスハンデだ」
 電磁力を強引に引き剥がし、幾度もの軌道変化と方向転換を織り込んだ空中ならではの蹴りを見舞う。その一撃をカヲルは 肘でガードし、反対の拳に雷を巻きつけ放った。が、そこにアーガスのもう片方の脚が遅れて襲い来る。 脇腹にアーガスのつま先が深くめり込んだ。続いて、アーガスの体が傾き倒れ、肘で撃墜された方の脚が更にめり込む。
 空中では軸足が存在せず、両足の蹴りが自在に繰り出される――カヲルもそれは理解していたが、やはりアーガスとでは 空中戦闘の経験に天と地ほどの開きがある。
 しかも、軸足が存在しない以上、威力のある拳撃や蹴りを放つためには慣れが必要だ。 飛び蹴りを連続的に放つのとはワケが違う。
 空中に浮かんでいる以上、何らかの方法で重力を打ち破っている。 アーガスは重力自体を捻じ曲げる力で、カヲルは地上との反発力を駆使することで、それぞれ空中を疾走している。 故に、拳撃や蹴りを放つ際には、体が泳いで勢いが逃げないよう、その力を体の一点に集束させて体の固定を行う必要があるのだ。 しかし、カヲルの反発力の集束は練り込みや位置選定が甘く、スピードや威力、関節の駆動によるエネルギーをわずかに殺して しまっている。
 一方、アーガスの重力捻転による身体固定は完璧。脚、あるいは腕が4本存在するといっても差し支えは無い。
「まるで飛び立ての鳥だな。せいぜい、空中での作法をティーチしてやろう」
「舐めるな!」
 あくまで余裕の姿勢を崩さないアーガスを、力を放って体ごと引きつける。同時に雷翼を四方に展開し、轟音とともに放った。 空間を最大限に生かす全方位攻撃だ。しかも、引きつけと反発を拮抗させてアーガスの体を一時的に釘付けにする。アーガスのスピード は驚異的だが、一瞬でも釘付けにすれば、ほぼ音速で放たれる雷撃が到達するには事足りる。
 雷龍の顎が闇色のマントとともにアーガスの体を文字通り引きちぎる。膨大なエネルギー量で肉も骨も燃やし尽くし、炸裂部だけを 抉り取り、龍は月に向かって飛んでいった。
 雷撃が収束した後に残るのは、アーガスの首から上のみだ。それ以外は全て食われて消えた。

 しかし、それだけだ。

 何故なら、いつまでたってもアーガスの頭部は落下しない。つまり、未だに重力捻転が生きている、ということだ。
 ばさり――と、月夜を覆う闇自体が翻った。
「あは。あはははははははははははははは! お前が電磁の王なら俺は宵闇の王だな!」
 首だけで笑う。次の瞬間には、闇から溶け出すように体躯が現れた。
「どういう仕組みだい……インチキだ」
「仕組み? 違うな。そういうもの・・・・・・なんだよ、ヴァンパイアってのは」
 現状、カヲルはアーガスの《word》――《Vampire》の確固たる法則性が見出せないでいた。ただ、そういうものとして、 ヴァンパイアという概念をあるがままに発露する、その厳密な原理が理解できない。当然だ。 カヲルの雷やアスカの水、レイの炎のように分かりやすい現象ではない『そういうもの』なのだから、理解が及ばない。 理解出来ない以上、解析出来ない。いや、解析は可能だが解析した結果を吟味することが不可能なのだ。
 分からない。分からないので、カヲルはそれを電子によって解体できない。分かれば――どんな粒子の動きによって発生する 現象かを理解出来たなら、その時点でそれはカヲルにとってはただのパズルだ。解くのが簡単、難しいという違いはあっても、解体 してしまえる。その粒子運動に関わる電子を制御することで間接的に現象自体を支配してしまえる。
 しかし、今、カヲルはかえって安心していた。
 それなら、分かりやすくていい。
「真正面からチリも残さず消してしまえば関係ない、と。つまりは、そういうことだ」
「ソーグッド。つまりは、そういうことだな。俺も人間だ。ヴァンパイアではなく、その能力を持った只のヒトでしかない。 ヒトだから死ぬ時は死ぬ」
 カヲルが自身の黒い革のパンツに巻きつくベルトに手をかける。そこには月に照らされ輝く白銀の鎖。 それを勢いよく引き抜き、かかげる。
 銀の鎖が膨張し、刃を模す。銀塊が2翼に別たれ、2振りの銀剣を形成する。煮え立つ感情が刃に炎と雷鳴のパターンを刻む。 巡るヒトの矛盾が握りに輪をなす。鋭い光をたたえ、双剣が産声を世界にかき鳴らす。
 ――魔双まそう忌望 絶放きぼうぜつぼう
 忌むべき望みと絶対である筈の解放。
 対して、アーガスの周囲の闇が深々と煌いた。照らされぬ部分である筈の闇が煌く、という矛盾。そして矛盾を超えた先に 発生する闇色の球体。
 光の量が少ない部分を闇というならば、闇を作り出す物体の量が少ない部分を光と呼ぶ概念は確かに存在が許される。それが 真実かどうかは二の次だ。そもそも、分子や原子が『ある』と思うのは愚か者だ。『概念』だと考えるものは愚かではない。 最も賢いのは原子や分子を単なる『約束』だと信じている者だ。
 故に、アーガスの周囲を巡る球体は確かに闇が凝固したものでしか、『そういうもの』でしかない。

 互いに現状の最も強力な力を使い始めた。待っているのは全力と全力のぶつかり合いのみ。
 地力では明らかにアーガスに分が、しかしカヲルにはのびしろがある。 そののびしろが、いつ満たされるかは満たされる瞬間まで分からない。
 故にこの闘いの決着は不確定。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

「弾けとべぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
 無我夢中で放ったそれは、凝縮し尽くした大量の水による板だった。一瞬で生成限界まで搾り出した水を、1枚の水板に圧縮して 振り下ろす。巨大な滝1本丸ごとに匹敵する水量によるそれは人1匹を圧死させるに十分だ。
 しかし、振り上げられた真っ白な腕が水板に突き刺さり、ぐるりと1回転し、水を全て散らす。 超々振動する腕が水を分子ごと完全に砕いた。
「おいおい、落ち着けよ」
 水滴の1つすらついていない真っ白なウエスタンジャケットがはためく。
「あんた……」
「いえーす。モード=ロンだ、嬢ちゃん」
 正気に返り、アスカは辺りをキョロキョロと見渡す。白い壁、カーテン、ベット、消毒液の匂い。
「助けてやったってのに、随分なご挨拶だな」
 言われ、記憶が怒涛のごとく逆巻きつつ押し寄せる。奇怪な肉体の敵。無数の口と口と口と口。自身の覚悟。突然の濁流。 そして、そして、
「おい、マジかよ」
 ウォータジェットの刃を放とうとした左腕を押さえながら眉をひそめる。
「アンタ、シンジを殺したわね」
 目を血走らせ、牙を剥く。脳裏にはモードの右拳がシンジの胴を吹き飛ばす、文字通り胴体を丸ごとこの世から破砕せしめた 映像が明確に走っていた。粒子から粉々になり、血も肉片も骨片も臓器も飛ばず、ただ蒸発したように胴だけが消し飛んだ様は 一種異様な恐怖染みたものだ。あれで生きているわけはない。
「おいおい、落ち着けよ、ホント。死ぬっつーなら1度は確かに心臓消し飛ばしてやったけどな、でもあの青年には関係なかった。 心臓飛んでも死なねー人間が、腹吹っ飛ばしたぐらいで死ぬかよ」
 それでもアスカは左腕に力を込める。無論、モードとの膂力の差は歴然で、ぴくりとも動かないが。
「信じられねーって顔だな。そりゃ、俺も信じられなかったけどよ」
 面倒くさそうに呟く。
「まぁ、いいや、折るぞ、いいな?」
 答えを聞かずに義手を簡単に折り曲げた。そうするやいなや、アスカの右拳が飛んでくる。鬱陶し気にその拳を受け、関節を有り得ない 方向に捻じった。
「あとで証拠見せてやるから、大人しくしとけよ。とはいっても、両手両足が動かないんじゃそうせざるを得ないと思うが」
 義手は壊れ、右手は折れた。そして、言われて初めてアスカは自分の下半身の感覚が希薄なことに気づく。
 呆然と下を向き、更にはたと気づいた。
 髪がない。
 いつもなら下を向くとはらりと流れ落ちてくる赤髪が、落ちてこない。
「ああ、髪な……。わりぃ、岩の間に盛大に挟まってたんで、オレがぶった切った。足はぐちゃぐちゃながら抜けたんだが、 髪は流石にな。1本1本抜いてる暇もなかったしよ」
 言いつつベット脇に置いてある棚の上から鏡をとり、アスカの膝の上に投げ置く。
 肩までない。愕然とする。物心がついて以来、髪型は変えても長さは1度も変えなかった。
「礼を言えとは言わねーけどよ、取り敢えず暫く騒ぎ立てんな。嬢ちゃんは一応は捕虜ってやつなんだからよ」
 顔を上げ、1度迷った後、
「……アスカよ。惣流アスカ。一応、ありがとう、と言っておくわ」
「おーおー、分かったぜ、じょーちゃん。後で性格の悪いおかっぱ女が来ると思うが、神経逆撫でして 折檻されないように気をつけな」
 何に満足したのかニタニタ笑いながら、モードは踵を返して部屋を後にした。
「――絶対、後でぶん殴る」
 動かない義手と折れた右手をぷらぷらさせながら呟く。
 再び鏡を覗き込む。髪型だけが少しレイに似ていた。瞳と髪の色を反転すれば完璧だ。
「なんだかなぁ……どうすれってのよ。こういう場合は舌噛み切った方がいいわけ?」
 いざとなったら《水》を利用しつつ首だけで這って逃げてもいいが、状況がハッキリしない。あの日、 衝撃と地震とトンネルを破壊する濁流は何だったのか判然としない。
 モードに言われ、それらの直後のことは朧げながら思い出し始める。流れてきた巨岩が頭を直撃して、気絶したまま挟まれて下半身を 丸ごと持っていかれ、髪も一緒に挟まった。濁流だろうと水には変わりない。故に普段ならばむしろ《水》の力で動き易いくらいだ。 しかし、恒常的に発動する《word》でない以上、意識がなければ意味などない。
「ふん……」
 周囲を見渡す。花瓶や、点滴、水差しなどおよそ水分と呼べるものが存在しない。完璧に研究されている。 その気になれば空気中の水素と酸素を合成して水を作ることも可能だが、 消耗が大きく自分の体を運ぶ程の量を得るには時間が掛かりすぎる。最終手段として保留しつつ、他の方策を思案。

 と、眼前のドアのエアが抜けた。
「あら、イメージチェンジ?」
 毒の花が咲いたような酷薄な笑み。明らかな棘と悪意。
「……久しぶりね、マヤ」
 言いつつ、唾を空中に吐き出す。
 次いで、《word》を展開。唾と空中の酸素・水素分子とを連結させ鋭い水の刃を瞬間生成した。
 ――鐘を撞いたようなハイトーンの音が響く。
 光の壁がマヤを覆うようにそびえていた。空間ポテンシャルを無限に引き上げ、攻撃をシャットダウンする超小型バリアフィールド は健在だ。
「過激ねぇ」
 粘つくように笑みの形が変化した。人の体を骨ごと切り裂く水刃も、地球上で最も堅牢な兵器の前には通用しない。
「取り敢えず貴女にはリハビリでもして貰おうかしら。ただし、実験に協力して貰うわ」
「嫌よ」
「あら、もう少し計算高い子かと思っていたのに、案外と激情家なのね」
 嘲りつつ、でもと続ける。
「ここからは、両足両足が不能な今の貴女ではどう足掻いても脱出出来ないわよ」
 マヤが胸のポケットからリモコンらしきものを取り出し、スイッチを押しこむ。
 低い機械音とともにアスカの背後の壁が姿を変えていった。白亜の壁がその透明度を高め、ついには完全に透き通る。そして、そこに 広がる一面の、
「――まさ、か……嘘、でしょ」

 天空。

「別に幻覚系の《word》ではないし、変な薬を投与したわけでもない、あるがままの真実よ」
 事実、《limit》に触れた感覚もなければ、薬剤投与のしこりも存在しない。間違いなく、空だ。
 ルネサンスの本部が見つからない筈である。当然だ。誰もがこの変わり果てた世界にあって、尚常識に囚われていた。《word》が 覇をとなえる世界において旧世界の、《3rd Impact》以前の常識など意味をなさない。 人が飛ぶのだ、建物だとて飛ばない筈がないのだ。
 彼らは空にいた。
「空中浮遊城塞基地=シュピエド。私達のホームへようこそ」
 うやうやしく芝居がかった調子で楽しそうにマヤが囁いた。

 そう、人の世の再生と復興ルネサンスを為す者は決して人では有り得ない。
 人が人を裁くなどおこがましい。
 人を真に裁くならば人でない者こそが相応しい。
 人でないならば、それは神だ。

 ――そして、神は天にいる。

 

 

+++++++++++++++++

 

 

「問うが、貴様おれよ、どうしたい」
 眼前の『自分』が両手を大きく開くのに合わせ、沼から白木が這い出、シンジの体に巻きつく。体温を測るようでもあり、締め殺す ようでもあった。
貴方ぼくよ、得にきました――真の強さを」
「扉を開けようというのか」
「その先に強さが転がっているならば」
 白木が柔らかく変質し蛇のようにうねり、ぎちりと締め上げる。白が溶けてシンジを包み、黒い沼が溢れ出て白い繭ごと呑み込む。 シンジの視界が真っ白に染まり、そして明けた。
 白光。
 ひかくらむ、漆黒に近い 紫と赤の衝動。
 喝采の如き破壊音。
 暗闇の虚空に浮かぶ真っ白なドアの群れ。
「さあ、選び、手繰れ。今、貴様に必要な扉は唯一。それを引き当てるも、当てぬも貴様次第だ」
 1番端のドアの前に立つ。
 運任せにはしたくなかった。自身の意思で決めたという実感とともに進みたかった。
「入る。打ち倒す。戻る。それだけだ。たが、あまりに時間をかけ過ぎると、 意識が塗り潰されて自己内面領域ここから現実に戻れなくなる――ゆめゆめ 忘れぬことだ」
 白いドアの白いノブをくるりと回す。がちりと連結音。ドアの先がどこかに繋がったのだと、感覚的に理解出来た。 主体が『自分』であるとは言え、自身の内面世界であるのだから感覚出来て当然ともいえる。だからこそ、そのドアの先が 自身に蓄積された様々な記憶領域に通じているのだと、何となく知れた。意識的・無意識的なもの、 覚えている・覚えていないもの、それら全てによって複雑に構築されたこのドアの世界とは別の内面世界が、そこにあるのだと。

 再び眼を焼くような白い閃光。
 ぼやける視界の中で感じるどこか懐かしい風の臭い。潮とも鉄とも違う臭いだった。
 視界が開け、瞳に映る景色に一瞬思考が停止する。
 足元に広がるビル、電柱、信号、歩道橋、街路樹――在りし日の戦場の姿。
「第三新東京……」
 それもミニチュアだ。いや、眼前に存在するものと自分のサイズを比較する限り、逆であろう。シンジ自身が巨大なのだ。
 眼前には圧倒的な暴威の塊、今にも解き放たれんとする野獣の如き殺意、ただ圧縮された破壊そのもの。

 その姿――EVA初号機。

 紫色の鬼。破壊の権化。殺意の獣。暴威の具現。
 ああ、そうか、とシンジは合点がいった。
 ――香ったのは自身に眠るLCLの記憶だったのだ。

 ぎりぎりと初号機の筋肉がたわみ、引き絞られた弓のようにも見える。
 同様に腰を軽く落とし、筋肉と骨を最適な方向へと導きつつ、紫鬼に手をかける。
 この扉が正解かは分からない。だが、『自分』が語ったように、ただ、
「打ち倒す!」
 おそれずに、踏み込むのみ。

 

 

 

 

 

+++++++++++++++++

 

 

To Be Continued to Episode 27.

Next, She meets the great man who goes mad.
In addition, Shinji with swordedge of EVA vs EVA Zero One.

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 

 

 


<後を書く>
こんな感じ。
暫く、シンジ修業編とアスカ敵地編を平行して進めていきます。
それに軽くカヲル激闘編とレイ滅多切り編を絡めていく感じで。
どっかで書いた気がしますが、この章(気高き魂を)はルネサンス編なので、その方向。
やっぱり修業いいよね。いいよね修業。


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