そは もっとも おそろしき もの。

 

 

 

 

 

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written by HIDEI

 

 

 

 

 

 左腕であるXXX型義手弐号基TYPE-Lの修理はすぐに終わった。
 モード=ロンがTYPE-Bを所持している以上、XXX型義手弐号基に関するノウハウが存在するのだろう、容易いものだ。 いささか出力がピーキーになっているのは、マヤの趣味か。
 しかし、右腕と両足の感覚は未だ戻らない。
 神経が死んでいる。流石に義手はともかく素の肉体を敵対組織に預けるわけにはいかない。最も、気絶させられて勝手に治療をされるような事態になれば抗う術はないのだが、その様子もない。
 現状、アスカは両足のリハビリを続けつつ、虎視眈々と脱出の機会を狙っていた。地上であるならば、片腕のみでも脱出は可能だろう。だが、空ならば話は別だ。しかも、雲よりも高い。
 ――空中浮遊城塞基地=シュピエド。
 ルネサンスのコアにして母体だ。
 内部にいても建物自体の発光が見てとれる。建造物自体に《word》的な力が存在するのだろう。《スラム=トスカニャーフ》の《word》的広域防護壁と同様の原理だ。浮遊系、飛翔系の《word》出力を増幅ブーストあるいは《limit》を拡大スプレッドしている。
 その大元の《user》を叩いて墜落させてしまうのも1つの手だ。流石に墜落時の備えをしていないとは思えない。墜落しても建物自体が壊れることはないだろう。地上に降りてしまえば、上半身だけでも何とかなる。
 水流で車輪が回転する、水車と同じような仕組みの車いすを巧みに操りながら周囲を窺う。
 監視はついていない。理由は分からないが、セキュリティの類も一切存在しない。警戒すべきは透視・盗聴を行えるような《word》だが、最大限に展開した《limit》圏内には、他の《word》は感じられなかった。最初に疑うべき、今乗っているマヤから与えられた車いすや、修理された義手もバラしてみたが特に仕掛けは無い。
 アスカの《limit》――生体内を除く自身を起点とした1辺70メートルほどの立方体――よりも外から《word》で監視されている可能性はある。しかし、ならば、そもそもこうして自由にシュピエド内を行動させている時点でおかしいのだ。
 治療もされなければ拘束もされない中途半端な状態に、アスカは異様さを感じずにはいられない。

 与えられた部屋で悩むのは性に合わず、飛び出してはきたものの特に行くあてもない。だが、目的はある。
 マヤ、だ。
 異常にして異才にして異様。狂気の超天才。
 史上最速最高のスーパーコンピュータであるルネサンスのメインコンピュータ=カニュールグ。生物の頂にして最終形であるホムンクルス。空間ポテンシャルを無限大にまで引き上げ物理的・光熱的衝撃を吸収する超小型バリアフィールド。そのどれもが無二の技術だ。
 やはり、彼女がキーだ。ヒトを知る時、何を調べるのが正解か。外面的特徴はいくらでも簡単に拾えるが、内面を完全な形で知るには脳を垣間見るしかない。シュピエドがルネサンスの母体ならば、マヤは頭脳だ。
 無論、脱出が最優先だが、チャンスがあれば何らかのデータを持ち帰りたい。いや、それ以上に、タイミングがあれば、つまりバリアフィールドを突破できる方法があれば、殺すべきだ――マヤを。
 バリアフィールドはカヲルの最大出力の電撃でやっと打ち破れた、ときいていた。それほどの壁を破壊する手立ては、現状では存在しない。あるいはTYPE-Lとのシンクロを経ての最大出力のウォータカッターならば瞬間的に突破は可能か。
 車輪を駆動させつつ思いを巡らせるアスカの視界に、知った姿が入る。
 《non-user》の頂にしてヒトの最終形。猛る怒りの龍、モード=ロンだった。
 好都合、とアスカが呟く。モードは《word》を持たない《non-user》。アスカの《limit》圏内に入ろうとそれを知覚することは出来ないだろう。その上、最高峰の戦闘員としてそれなりに高い地位を持つ筈。
 水分を徐々に空気中に放つ。自然に上がったと誤解するほどにゆっくりと、そして僅かに湿度を調節した。アスカの手でマッピングされた湿度が変化するときは、その湿度領域を何かが乱した時だ。何が乱したかは経験的に理解する。MAGIのサポートがあればシステマティックな理解も可能だが、今の状態ではそれは望めない。

 何か美味しい情報にありつけるエリアに行ってくれれば、と70メートルほどの距離をとりつつ湿度変化からモードの動きを補足し、追跡する。
 30分ほど追った所で、水分密度が下がった。つまり、より広い空間へと進んだということだ。
「広い……50? いや、70メートルはある」
 今までシュピエド内で認識した空間で最大のものである。何かがあると考えるのは間違っていまい。
 水分の拡散を進め湿度のマッピングを《word》から解放する。クサイ場所は分かった。後はそこへと行くのみだ。
 ただし、僅かに時間を置くべきだろう。モードがいる状態での侵入は危険度が高い。今は70メートルほどの距離をとっているからいいものの、あまりに近づけば勘付かれる可能性がある。 

 

 

+++++++++++

 

 

 紫色の暴威が跳ね飛ぶ。
 その圧倒的な筋量はそれだけの行為で大地を震わせた。
 しかし、現実でないこの空間においては、彼我にサイズの差はない。その上、
「ATフィールドがない……?」
 眼前の初号機からは防御領域を感じない。
 体格、ATフィールド――2つの絶対的な差が存在しない以上、互角に戦える筈だ。
 腰から魔刃まじん紫鬼しきを 抜きつつ、同時に鞘を前方へと放つ。
 ミサイルのごとく飛来する鞘に対し、初号機はそのまま突っ込む。そこには術理や合理性は欠片もない。 圧倒的なモノにのみ許される、暴力の究極。存在自体が既に力だ。
 手で払いのけもせず、鞘は粉々に砕ける。
 後の先をとるべくオーソドックスに正眼に構えつつ、《word》――《斬》を展開して周囲に浮遊させた。体格差がなかろうと、 身体能力は明らかに初号機に利がある。本能の極致に対するには、怜悧な術理しかない。
 まずは物量だ。いかな強者であろうと物量差には抗えない。
 一気に生成限界まで発生させた赤い刃を流星のごとく放つ。無数の赤い三角波形が宙に描かれ、初号機に怒涛のごとく殺到した。 避けもしないだろうが、加速は弱まる。ダメージも与えられる。
 次いで、自らの肉体制御に全精力を傾ける。
 拳を振り上げることもなく、蹴りの構えをとるでもなく、そのまま突進してくる初号機。狙うは、装甲が薄い縫い目の部分。 絶対的強者であるが故、恐らくガードすらしてこない。そこに、全力でそのわずかなポイントに一刀を叩き込み、肉と骨を断ち切るのみ。
 次々と赤い刃が初号機の装甲に突き立っていく。
 やはり、避けもしない。
『ルおおおおォォォォォぉぉォ雄緒御於おおぉぉォォぉォ!!』
 街を、揺らす初号機の咆哮。
 威力を伴った音圧の塊が、初号機の前方を埋める赤の絨毯を完膚なきまでに破砕した。
 砕けた《斬》の力の残滓である赤い粉雪を割り裂き、迫る。ただただ、迫り来る。

 ぐわん、と世界が歪んだ。

 ただの体当たり、だった――とシンジは思う。理解出来なかったのだ。速すぎて、凄すぎて、殺気が、圧力が、暴威が、あまりにも 圧倒的すぎて分からなかった。巨大な隕石にまとわりついたコケの存在が認識出来ないのと同じだ。初号機の肉体が霞む。
 だが、肉迫した瞬間、当たれば死ぬ、とはっきりと感覚した。
 ――切り抜け。
 行うべきは回避と攻撃。それら2つを同時に実行した。斜め方向に大きく踏み込みながら、すれ違いつつ肩の装甲に切り込み、 一気に加速。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 感覚的に理解していた、狙える範囲での最も装甲の薄い部分に精密に刃が食い込む。踏み込みによる初速とその後の加速。2段階の 衝撃により、確かな手ごたえがシンジの両腕に伝わった。
 1万2千の特殊装甲を分断し――しかし、軽すぎる。その後にくるべき肉と骨の感触が全くこない。
 それもその筈、初号機は切っ先が装甲を超えて肉に到達するより尚速く、紫鬼と同じ方向に肩を急落させその場でぐるりと横に360度回転していた。一瞬で紫鬼と初号機の位置が逆転し、そのまま初号機は紫鬼の刀身の上へと着地する。
 驚異的に過ぎる身体能力だ。
 シンジが股から裂こうと刃を反転させるが、既に初号機は跳躍し頭上にいる。
 どれだけ高等に後の先をとろうと、それを圧倒的な本能とそれに付随する身体能力でもってカバーしてしまう。人とキングコングが戦っているようなものだ。体格はほぼ互角という状況ではあるが、スケールが違いすぎた。
 シンジは悟る。このままでは握りつぶされる、と。
 上空から迫る初号機の巨大な左掌を間一髪で避けるが、左肩を掠める。指一本だ。指一本で、シンジの左肩は完膚なきまでに壊れた。
 大地に着地するより速く逆腕が下から上に振るわれる。バックステップでかわし、豪風を受けるにとどまったが、それでも初号機の 攻撃はやまない。まだ、だ。まだ着地しない。1度の跳躍で叩き下ろし、叩き上げ、そして、再び左腕が伸ばされる。本能にまかせた連撃。テクニックなど介在しない、ただ撃てるから撃っただけの、それ故に異常なコンビネーション。
「っぐ!」
 ついに、つかまった。左の小指の爪先が引っかかっただけで、引き寄せられる。
 そのまま、抱き締められた。
 まず、両腕の骨が砕ける。次いで、胸骨。両腕のみで抱き締められたのが幸いしたのか、下半身はほぼ無傷。しかし、骨を砕いただけでは止まらない。当然だ。理性を持つヒトならば、戦闘力を奪えば満足しよう。だが、初号機はヒトであって、ヒトではない。本能の極致を体現する眼前の紫の暴威は、それを――エサを生かしたままにするなどという愚を犯しはしない。
 シンジの視界がぶれる。意識が揺らぐ中で、自らの記憶の欠片を垣間見た。
 血流/沸騰/咆哮/覚醒/破砕/失墜/合一/混濁/深層。
 /別離/
 求心/絶叫/覚醒/破砕/失墜/合一/解放。
 ああ、と心が追いつく。
 これは――恐怖だ。
 初号機と、この怖気のする憤怒の塊とかつて一体化していた。道具であるとも兵器であるとも、ましてや相棒であるとも考えたことなどない。ただ乗るだけのもの。自身を世界に、父に示す、それだけのもの。忌避すべき戦いの象徴であり、父との唯一の繋がり。
 いつも、いつも一体化して何を考えていただろうか。戦いへの躊躇、あるいは使徒への憎悪。
 そして、恐れ。戦い自体への、使徒への、父への、ネルフへの、レイへの、アスカへの、ミサトへの――ヒトへの恐れ。
 ならば、今は。一体化しない今、何を想う。
 それもまた、恐れだ。
 逃げ続けた自身への――過去への恐れ。今、シンジが最も恐れる、今と何も変わらない過去の自身の象徴。自身の弱さを肯定して成長してきた今の原点。今の弱さに至る弱さ。それが過去。それが初号機。紫の過去。

 折りたたまれる骨と肉の痛みに意識を引き戻される。
 心臓の鼓動がやけに明確に感覚出来た。
 ――諦めることを諦めろ。諦めないことを諦めるな。
 ――逃げることから逃げるな。心臓が動く限り、ひたすらに。

 そうだ、と。

 動くなら、まだだ。動くなら、動く。動くならば、やれる。
 ならば、動け。
「ぬあああっ!」
 地に落ちている紫鬼を足で掴み取り、そのまま足で振った。
 弧を描く紫色の刃。添付される《斬》の赤い刃。混濁して咲き乱れる赤紫の一刀。
 ごとり、と紫の腕が大地に落下する。
 次の瞬間、切断面からダムの放水のように血流が吹き出た。
 拘束がゆるむのに合わせ、後方へと距離をとる。
「こっちは両腕。そっちは片腕。いい勝負……!」
 完全に使い物にならない、ただついているだけの両腕をだらりと下げながら、片足で紫鬼を持つ。体を低く落とし、両足を大きく開き、もう片方の足の甲に刃の腹をのせた。両腕が使えなくとも刀は振るえる。
 それが、サガがシンジに刀の扱いを教えた、《word》――《斬》とマッチしていること以外のもう1つの理由だ。極めれば、どこで振るおうと、どんな力で振るおうと、全てを断つ。斬り開け、とそれがサガの遺志だ。

 笑った。
 シンジの瞳にはそうみえた。獣が獲物を発見したかのような攻撃的な笑みに、そうみえた。
 落ちている片腕を拾い上げ、切断面に押しつけ完全再生。
 次いで、顎部ジョイントを完全破壊。
 次いで、拘束衣そうこうを内部からの圧力で完全粉砕。
 次いで、

『―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!』

 完全覚醒。
 街を、いや、この世界へやを丸ごと揺り動かす咆哮。まさに音を超越した叫び。音としての認識すら弱者には許しはしない、絶叫。圧倒的な存在の格自体が、絶対的な存在としてのステージが、そのまま鳴り響く。

 そう、これが、これこそが、最も恐ろしいモノの、最も恐ろしいスガタ。

 

 

 

 

Episode 27 : センチメンタル

 

 

 

 

 待機時間を利用し、適当にシュピエド内を動き回りながら、その内部構造を把握していく。ビルを3つか4つ無造作に連結したような狂った形で、全長は優に何百メートルはあろうかという巨大さだ。城塞基地というのに相応しいサイズといえよう。つくりからマヤやその他の幹部と思われる人間の私室にもあたりをつける。
 きゅらきゅらと車輪が駆動させつつ思考を加速させた。やはりここは何かがおかしい。無論、空に浮んでいるという状況もそうだが、ここにいる人間は人間として何かが欠けているように感じざるをえない。
 誰とすれ違おうと咎められることもなく、そもそもアスカを気にかけもしない。
 唯一、会話があったのはモードだけだ。
「あんまりウロチョロしてっと、おかっぱ女に改造されっぞ」
 ――無視してやった。
 肩をすくめて遠ざかる彼を尻目に、あの広大な空間を目指す。現在地から直線に数十メートル。左折、右折、左折、更に数十メートル。ビルでいうなら2つが絡まった部分の中間地点だ。
 毒々しい赤色の扉を抜けると、やはり広大。中央には50メートルはあろうかという巨大な塔と、そこから根を張るようにおびただしい数のケーブルが周囲へ伸びる。見ると、塔は3本の円柱が途中途中で交差したような形をしており、地上だけでなくあらゆる方向へとケーブルが飛び出していた。まるで樹齢何千年もの木か、あるいは脊椎から神経が張り巡らされているかのようだ。そして、塔を囲むように人間大のフラスコ型カプセルが立ち並ぶ。
 塔の右手のカプセル群は薄黄色の液体で満たされ、気泡が浮いては消えている。左手のカプセル群は透明な液体で満たされ、底から液中の何かを支えるように、まるで触手のごとくマニュピレータが湧き出ていた。
 車輪を左に切り、そり立つカプセルの群れに近づく。車輪が1回転するたびに、液中で触手に支えられているものが何なのか、徐々に見えてくる。同時に、アスカの顔が徐々に嫌悪に染まった。
 それは、今の今まで見たことはなかったが、おそらく
「……ヒト」
 胎児だった。
 まだヒトであると断じることも難しい、ヒトの最も原始的な姿だ。最も、本来は母体に収まり羊水の中でたゆたうべきだが、この胎児の群れは人工羊水と金属のへその緒に生かされている。
 自身と綾波レイの出自が脳裏でオーバーラップし、どうしようもなく複雑な気持ちにさせる。
「やっぱり、ロクでもないな、ルネサンスここ
 中央の塔に歩み寄る。
「これ、ぶっ壊した方がいいわね、きっと」
 ケーブルはカプセル以外にも延びている。おそらく基地全体に広がっているのだろう。基地を統括し、ヒトを培養するという高度なプロジェクトをこなす巨大機械。つまり、これが毎秒100ヨタキューブフロップスの演算処理能力を持つ史上最速のモンスターマシン、ルネサンスのメインコンピュータ――カニュールグ。
 アスカはその能力と名称を知る由もないが、かつて見たことのない規模のコンピュータを見、それがメインコンピュータに類するものであるという当然の答えを得た。
 壊してしまえば、ケーブルでつながれた数多のヒトの原形は生命を維持出来ず死ぬことになるだろう。しかし、アスカにとっては自身の脱出の方が重要だ。未だ意思を獲得していない見も知らぬ原始的な生物と、自身とは天秤にかけるまでもない。ドライな思考は、幼少よりの洗脳染みたパイロット教育が原因か、使徒とヒトを殺してきて単に感覚が麻痺しただけなのか、もう分かりもしない。ただ、罪の意識に囚われて物事を躊躇したり、それで自身の歩みを止める事の方が愚かしいと感じていた。
 自分だ。自分なのだ。誰かのために命を賭けるのもいい、誰かの命を救うのもいい、誰かのために死ぬのもいい――だが、今はその時ではない。
 《word》を解き放ち、左腕の義手内部に水流を渦巻かせる。
 そこで、ふと気づく――気づいてしまった。
 カニュールグの奥、その巨木の影に隠れて見えていなかったその場所に、1つのカプセル。左手には胎児が入っていた、右手は空、そして中央には、

 ドクン、と。
 左腕が、XXX型義手弐号基TYPE-Lが、エヴァ弐号機を凝縮移植・・・・・・・・・・・された仮初の左手が、火を噴くように脈動し始めた。
 満たす液体はLCL。液中にてたゆたうは精悍な肉体、黒檀の如き髪、涼しげな容貌――得体の知れない青年。


 そして、複眼を有す頭部が見下ろし、紅の装甲板がカプセルを包む――エヴァ弐号機の異様。


 体中を怖気が走る。左腕が怖がっている。何よりもアスカの心が怖がっている。
 カプセルは、そう、エントリープラグ。挿入されてはいない、つくりも違う、それでもこれは紛れもなくエントリープラグだ。この体と心の悲鳴が何よりの証拠だった。覚えているのだ、串刺しにされた恐怖を、精神を犯された恐怖を。しかも、アスカはそれらの恐怖を払拭する機会を逸している。あれ以来エヴァには乗っていないし、乗ることなど出来なかったからだ。エヴァ弐号機は修復されることなく破棄された。
 今、再びその恐怖が燃え盛っている。
 だが、とアスカは考える。逆に、
「過去を断ち切るチャンスってわけよね」
 再び、《水》の力を発動させる。ウォータカッターを打ち出すべく左手を振り上げる。
 そして、
「わりぃな、嬢ちゃん」
 アスカの視界は暗転した。
 流転する意識の中で、ああ、と。例え《non-user》だろうと、《limit》を知覚できなかろうと、70メートルもの距離をとろうと関係ないのだ、と。彼は――モード=ロンを自らの尺度に当てはめたのが間違いだったのだと、そう思い知りながら混濁の海へとアスカは沈んだ。

「これでいーのかよ、マヤ」
「申し分ないわ、モード=ロン。ついでにアスカを、今すぐ特別閉鎖実験棟エクスペリメント・ゼロに運んでちょうだい」
 アスカの矮躯を軽々と持ち上げ、不快感をあらわにしながら部屋を後にした。モードの本質的な属性は善だ。故に不意討ちもだまし討ちもあまり好ましくはない行いでしかない。無論、他人がやる分には構わないが、圧倒的強者である自分自身がそれを行うことは筋に反する。だからこその不快感だった。
 後には毒々しく微笑むマヤだけが残る。
 弐号機に包まれるカプセルに近づき、それを抱きすくめるように体を密着させ呟く。

「これで、駒は揃いましたよ――副司令ふゆつきさん

 カプセルの中で青年の唇がつり上がり、笑みを作った。

 

 

+++++++++++

 

 

 初号機のとるであろう行動は分かっている。今の初号機はより本能を前面に押し出したケモノそのもの。よって、くるであろう攻撃は――噛みつきだ。ケモノの如く、手足を地へと打ちつけ迫り来る。間違いない。
 だが、分かった所でシンジのとれる行動は限られている。突進してきた所を冷静に捌くか、あるいは感情にまかせ本能に身を委ね向かっていくか。どちらも場面によっては有効だが、今この場でシンジが選択したのは前者だ。
 左足にのせた刃を90度傾けて甲に峰をのせる。両足による真上への切り上げ――逆風の姿勢。
「来い……」
 腰を落とす。
 初号機に逆風を叩き込むには、クリアすべき問題があった。
 まず、初号機の姿を捉えなければならないのだ。シンジは初号機の最初の突撃を理解することができなかった。その圧倒的すぎる存在としての格と身体能力が認識させはしなかった。故に、まず、シンジは初号機の攻撃を、いや、存在ごと見切らなければならない。
 理解だ。闘争は理解をもたらす。闘争に打ち克つためには相手を理解する必要がある。他人を最も理解出来る瞬間は生死の狭間、即ち闘争しか有り得ない。それをシンジは知っている筈であった。
「理解しているよ――誰よりも、父さんよりも、母さんよりも、僕が1番初号機を理解っている」
 だから、理解わかる筈だ。誰よりも深く、理解している。その存在を、その本能を。だから、見切わかる筈だ。

 タガが外れたケモノが解き放たれる。その瞬間、再び世界が歪む。
 感じる。空気を吸うような自然さで、初号機の脈動を感じる。
 知っていた筈だ。なのに、忘れていた。いや、思い出そうともしなかった。過去の恐ろしさに目を反らし、忘れたふりをしていた。過去を捨ててどうなるというのだろう。

 過去を捨てるということは、今まで歩いてきた道を全て壊すということだ。
 足を止めて振り向かなくともいい、ただ、走りながらでもいい、ときたま振り返らなくてはならない。
 ただ、自身が踏みしめてきた過去みちを。

 知っていた筈だ。
 シンジが初号機を恐れていたように、初号機も使徒を、そしてヒトを恐れていたことを――。

 ああ、
「だから――僕は勝つ、初号機!」
 既に眼前に迫る初号機の体躯に向けて、紫鬼を振るう。
 左足で刃を蹴り上げながら、右足で柄を踏みつける。テコの原理×(脚力×2)、だ。一般的に脚力は腕力よりもずっと大きく、シンジも例外ではない。単純な威力だけならば、通常の腕で振るう逆風以上。
 装甲は初号機自身が破壊したため、その紫の刃は一気に肉へと到達する。しかし、やはり、そこまで簡単な相手ではない。筋線維を2、3本断った所で、紫鬼の動きよりも尚速くその場で後方宙返りを決めて安全圏へ退避する。紫鬼は勢いのまま柄が大地に埋まり、切っ先が天空を向いたまま静止した。ついで、足が着地するよりも速く、両腕を地に打ちつけ衝撃をもってシンジとの距離を殺した。
『おおおお男おおおお小緒男オおおおオオオオォォぉンンンンン』
 一瞬の出来事だ。空を走るような姿勢で首から先をいっぱいに伸ばす。牙はないが、驚異的な顎力と歯の堅固さからくる噛みつきの威力は驚異的の一言。
 その噛みつきがシンジの白い首へと炸裂した。血煙が舞い散る。
 最も、それは覚悟していたことだ――これを、待っていた。
「弾けろォ!」
 今、コアを狙おうともその異常極まる身体能力をもって100パーセント避けられるだろう。が、噛みついたその瞬間だけは、確実に初号機は動きを止める・・・・・・。今、コアを狙おうとも自由なままの四肢で簡単に防御されるだろう。が、噛み切るその時までは、口は絶対に開いている・・・・・・・・・・
 赤い閃光が駆けた。
 シンジの《word》――《斬》が生成する『斬撃する熱エネルギー』が初号機の口内目掛けて殺到する。

 だが、それでも届かない。

 赤い刃を察知すると噛み切るスピードを速め、シンジの首肉を引き千切りつつ後方へと逃れる。地から突き出た紫鬼に両足で接触し、刃のしなりを生かして再びの空中疾走。直接的な噛みつきは危険だと学習したのか、まずは開いた掌が振るわれた。
 ぶら下がっているだけの使いものにならない左腕を、捨てる。遠心力をきかせて左腕を生贄に差し出すと、初号機の五指が肘へとめり込み、そのまま肩口から腕が千切れ飛んだ。

 最早、悟るしかない――初号機の攻撃は避けられない、初号機に攻撃は当てられない。

 当てるには先程のように初号機の動きを完全に止める必要がある。
 犠牲にできる部分はまだ無数にあるが、初号機は既に噛みつきだけには頼っていない。最終的な、必殺のための手段は依然として噛みつきだが、そこに引っかくような強烈な平手を混ぜている。それは、技術もクソもない乱雑さだが、絶対的な強者は技術など瑣末なものは必要としない。
 噛みつかせる以外の方法で初号機を停止させる方法――シンジの思考が疾走する。
 《斬》の赤い刃で足を打ち抜いて大地に縫い付けるか。いや、赤い刃は先程咆哮だけで容易く砕かれている。縫い付けるなどとても出来そうにない。
 右腕を生贄に差し出しつつ、ふと、その奥の紫鬼を見やる。
 これだ。
 赤刃で無理でも、紫鬼ならば縫い付けることも出来よう。現に、紫鬼は初号機が空中疾走の足場として全力で蹴ったが健在だ。
 問題は紫鬼とシンジの間には初号機がいる、という点である。
 自己内面領域ここで、この精神の世界でどれだけ肉体を失えば実質的な死が訪れるかは分からない。直感的には脳さえ無事ならば『死』はやってこない、とシンジは感じている。自身の内面領域であるのだから、おそらくその直感は正しい。
 紫鬼を手に取るために初号機のいる方に向かっていけば、確実に脳を削り取られるだろう。現に今も脇腹が吹き飛んだ。足を止めるのは危険すぎる。距離を取りつつ出来るだけ損傷スピードを緩めなければすぐに全身をイかれるだろう。
 どうする、どうする、どうする――シンジの脳内が目まぐるしく紫鬼を得る手段を模索する。
 何とか初号機の動きをコントロールして、紫鬼への道を確保するか。いや、そんな理知的な誘導が訊く相手ではない。それ以前に、紫鬼までたどり着く前に簡単に追いつかれる。
 左胸が吹き飛ぶ。
 まずい。
 時間がない。もう、捨て身で向かって行って全力で体を伸ばす・・・・・しか――
「伸ば……す?」

 電撃的な閃き。
 否、理解。

 ああ、
「だから――僕の勝ちだ、初号機」

 空が夕日に染まり出した。シンジもまた血で赤い。そして、さらに新たなる赤。
「斬っ!」
 《word》の叫びとともに、初号機の横を赤い線が走る。さながら赤い光弾。
 腕の存在しないシンジの右肩から無数の赤い刃が連結して生え出、遥か先の紫鬼を絡めとった。

 そう、《斬》――『斬る』ことと『貼りつく・・・・』ことの出来る赤い刃状のエネルギーの生成と操作を能力とする《word》。

 互いに貼りつきあった赤い刃を鞭状に束ね、片方の端を自身の腕に、もう一方の端を紫鬼に貼りつけた。
 理解だ。
 自己の力の理解。自身の在るべき能力の用い方。

 赤い鞭は最早腕に相違ない。貼りつくことで掴み、斬ることで爪を突き立てる腕だ。関節もなく長さにもとらわれない、360度自由自在に渦を巻き、時には稲妻のごとくジグザグに動く、桎梏しっこくの存在しない腕だ。
 赤い刃を再び放つ。今度は斬らない。大地と初号機とを貼りあわせる。初号機が動くことで簡単に外れる拘束ではあるが、それが何千何万、何億とあればどうであろう。一刹那だが、確かに初号機の動きは停止する。
 停止するタイミングを狙い、紫鬼を初号機の片足に垂直に突き刺した。
 拘束完了、だ。
 急がなければ初号機は足を裂きつつ脱出してしまうだろう。例え傷つこうとも簡単に再生してしまうのが今の初号機だ。しかも、両腕と片足は自由なままである。容易にコアや口内に攻撃を当てることは出来ない。

 しかし、もう、終わっている。
 既に、攻撃は懐に入っている。

 紫鬼に貼りついていた、赤い刃が一斉にコアへと突き立った。

 ぴきりとコアにひびが入り、初号機が無音の咆哮を放つ。
 時を同じくして白い扉が現れた。戦いの終わりを知らせる、血に染まった周囲に馴染まない純白の扉だ。
 扉に手をかけ、仮初めの第三新東京を後にする。扉をくぐりながらシンジに付着した血が消え、失った肉体が姿を取り戻し、破れ果てた服が元に戻っていく。この世界に入ったその時と同様の姿へと返っていった。
 姿は同じでも、理解は――心の内に。

「ありがとう」
 初号機に告げる。
 理解していた。
 初号機も恐れを抱きながらも、戦ってくれたのだと。



 LCLが香った。恐れと、多分、何かの残り香だ。

 

 

 

 

 

+++++++++++++++++

 

 

To Be Continued to Episode 28.

Next, she feels that everything has gone mad.
In another place, she will meet a beautiful beast again.

 

 

+++++++++++++++++

 

 

 

 

 


<後を書く>
ないよなーって思った人、それ正解。ジャスト・ドゥ・イット。
本当はレイパートも入れるつもりだったけど、予想外に初号機が粘ってくれたもんだから入らなかった。
最初に口狙ったとこで終わっとく予定でった。
すぐに「いやいや、それじゃムリですわ」って思って今の感じに。

アップ日の1ヶ月くらい前には出来てたんだけど、推敲してからと思ってこんなタイミングに。
しかも推敲もしてないという。どうせ、忙しくてする暇ねーし、いいやっていうね。よっ酷い!>俺クン
次はもうちょっと早く更新出来るといいよね。いや、マジでマジで。


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