旧宮ノ沢で待っていたのは、絶望だった。
僕を嘲笑うかのような――そう、絶望と名付けられた『現実』が待ち構えていた。
学校をサボり、バスを乗り継いで辿り着いたそこには広大な更地が拡がっていた。
伸びきった雑草。無造作に転がる瓦礫。人工物が存在しないこの空間はただの荒地でしかなかった。周りを見渡しても、足元を見ても、
何も無い何も居ない。町自体がポッカリと世界から抜け落ちたようだった。
地に膝をつき、天を仰ぐ。
信じられない。いや、信じたくなんか無い――!
でも、僕が見るこの景色が『現実』なんだ。だから、これは現実なんだ……。
――ポタッ……ポタッ……。
水滴が瓦礫を伝い始める。空はまるで僕の心を映した鏡だ。
――天を覆っていた高層ビルは、今では雨空を隠してはいなかった。
歯車を零れ落ちて辿り着いたのは同じ歯車で。結局の所、僕は僕のままで。
虚構を抜け出して行き着いたのは虚構の現実で。結局の所、幻は幻のままで。
いつ、僕はここを抜け出すのか。いつ、僕は違う場所へ行き着くのか。
――誰も教えてはくれない。
ただの偶然で、ただの出逢いで、ただの夢で、ただの戯言で、ただの夢想でしか無く。
少し辛い世界に目を背けて、自分に都合のいい事を誇大妄想していただけで。
僕は特別じゃない?
ああ、そうか――僕は特別じゃない。
衝撃は受けなかった。どこかで理解していたんだと思う。
僕は夢を見ているだけだと。
それでも、僕は夢の方が居心地がよかったのに。
昨日の僕は何故、自分から醒めようとしたんだよ!
これが僕の『リアル』か? これが僕の望みの末路か?
これが……僕なのか……?
酷く気持ちが悪くなる。
立ち上がり、振り切るようにこの場を後にした。
――涙の味は甘苦かった。
家へ戻ると母さんの手紙を破ってゴミ箱へと放り投げた。
ベットに横たわり枕に顔を埋め、布団を被る。いつもは嬉しい羽毛の感触が妙に邪魔くさかった。
そして、冷たい。
だから、寂しい。
両手で自分の体をかき抱くと下唇を噛み締めた。鉄の味が口の中にじわりと広がり舌を濡らす。
僕はこれから何処に行くんだろうか。そんな事を考える。
怖くて怖くて堪らなかった。
思い描いていた物が、願っていた事が、やはり夢だと理解したから。
昔、小学生の頃に作文を書いた。
――僕の夢。
そんな題名の作文だったと思う。
出来て1番最初に母さんに見せると、ニコニコしてたっけ。思い出す母さんの笑顔が酷く懐かしく感じる。
なれなかったモノとなりたかったモノ。叶えたいモノと叶わなかったモノ……。
どれがどれか、もう分かりはしない。
僕は思考を強引に中断するとベットから這い出て家を後にする。
これ以上、独りで部屋に居るのは耐えられそうに無かったから。
7th story : the end in the end
空はまるで僕に反比例する様に照っていた。
生暖かい風が体を打つ中、僕はコウと初めて出遭った川縁へと向かっていた。
辿り着いたそこでは、変わらず水音が響いていた。時折り小さな波が起こり、波紋が所々で広がる。
僕は落ちている石を拾うと、水面に向かって投げ飛ばす。
――パシャ…パシャ…パシャ…ボチャン。
石は三度水面を切った後、新たな波紋を広げて川底へと沈んで行く。石が泡を作りながら見えなくなるのと同時に、
僕は顔を下に向けた。
地面には変わらず薄紫色の花が咲き乱れている。
川縁の端なんてここからは見えないけれど、今僕が見える視界のずっと奥まで花の群れは続いている。
それを目で端から端に追いながら、ボンヤリとある事を思う。
でも、僕はその思考に躊躇する。
ずっと、しないと決めていた事だからだ。僕の中の何かが色褪せてしまいそうで、踏み止まっていた。
だけど、今の僕にはこれが凄く大切に思えるから。
「この花の名前を。名前を知りたい……」
僕は図書館へと走った。
学校を通り過ぎ、大きな通りを横切ると、この街で最も大きい図書館がある。
腕を振る度に風が僕に纏わりつき、次いで後ろに流れていき、僕の呼吸は段々荒くなっていく。
暫く走ったその先には、グレーの壁に囲まれた全面ガラス張りの図書館へと辿り着いた。
僕は少しの間立ち止まり、荒れた息を整えると、ドアをくぐり抜け中へと入った。
大きなガラスから光が充分に取り入れられ、館内は驚くほど明るかった。眩しさに目を少し細めながら、僕は足を植物関係の棚へと
向ける。
棚から1番新しい植物図鑑を取り出すと、読書用のテーブル席へと移動した。
+++++++++++++++++
私は大人しく授業を受けている。退屈だ。
碇君は前の授業が終わると早退し、ユマはとっとと保健室に行ってしまった。
二人とも私の言葉をのらりくらりと避けて。
追いかけた方がよかったのかもしれない。
でも、『これ以上入り込むな』って2人の雰囲気がそう言っているようで。だから、私は雰囲気の命じるままに留まった。
2人の瞳は捉え所のない何かを宿して、揺らめいていた。他の誰かとは何かが違う――まるで二人だけが、最初から『別の場所』に
いるような妙な感じ。
二人だけ――この言葉が妙に頭にこびり付いて離れない。
嫉妬なのかなぁ……と思う。
私はつまらない授業を聞くのを止めて机に伏す。
「ハァ……」
溜め息を吐いて見上げた空は雨だった。
廊下を足早に歩く。
授業が終わると、取り敢えず私は保健室へと足を進めた。
勿論、ユマと話をする為に。
保健室のドアを開ける。そこにはいつも居る筈の保健の先生は居ない。代わりに黒猫がミャァと鳴いていた。
「こんなとこに、猫?」
私がそう言った途端に黒猫はピョンと跳ねて、4つあるベットの1つに飛び乗った。そのベットには私の知らない人が、
上半身だけを起こして黒猫を撫でていた。
彼女、いや、彼だろうか? どちらともつかない中性的なキレイな顔だ。
見つめていると、その人が私に気がついた。
「君は?」
「え?」
やっぱりこの人、凄くキレイ――って、何でこんなにドキドキしてるのよ。
「始めまして。霧島マナ……です……」
私の顔は赤いかもしれない。
「こちらこそ始めまして。それで、マナさんは何をしてるんだい? 具合が悪いようにも見えないけど」
言われて気がつく。
そういえばユマを探しに来てたんだった。
「えっと、髪がこれ位で背が私よりちょっと高くて目が真ん丸い子、来ませんでした?」
私を身振り手振りでユマの容姿を伝える。
「ゴメンね、さっきまで寝ていたから分からないんだ」
そう言って笑う。
「いや、あの、そんな……私こそゴメンなさい」
私ってば何で謝ってるのよ――!
ブンブンと頭を振る。そんな私が可笑しいのか何なのか、また彼は微笑んでいた。
「ふふふ……。マナさんは面白いね」
は、恥しい……。
「名前、まだだったね」
そう言えば聞いた覚えがなかった。
「僕の名前はカヲル――渚カヲル。よろしくね」
僕って事はやっぱり男の人なんだろうか。でも、そんな事聞くのは凄く失礼だし……。
「それと、この猫はクロって言うんだ。こいつもよろしくね」
――ニャア〜。
渚さんの挨拶に合わせて、クロが私に向かって鳴いた。
ニコニコと笑っている渚さんを目にしながら、私はすっかりとユマの事を忘れていた……。
+++++++++++++++++
椅子に深く座り込むと、植物図鑑を開く。植物図鑑なんて使ったことも無いけど、何とかなるだろう。
最初の『便利な使い方』のページを見ると、花の外観から探すには『色索引』が便利だという。
僕は早速その色索引を使って紫色の花を探す。
アイリス、アジサイ、アスター、カキツバタ――どれも違う。更にページをめくる。
――あった。
トルコギキョウ リンドウ科 学名:Eustoma russellianum |
草丈:15〜80cm 生育適温:13〜22℃ 発芽適温:18〜22℃ |
米原産の半耐寒性1・2年草で、昭和10年に日本に導入、戦後冷涼地を中心に栽培が盛んとなり現在最も人気のある洋花の1つ
となっている。 日本での品種改良は非常に盛んで、世界に出回る品種の大部分が日本産。 リシアンサス、ユーストマなどの別名を持つ。 |
――トルコギキョウ。
トルコギキョウ、か……。
ん?
これは。
これは――!
「アァ…クッ…ウッウッウッ……」
涙が止まらなかった。
ふと見たページの隅に。ぽつんと、光はあった。そこにあった。
――花言葉:希望。
<続く>
<後書き>
自分でも言うのもアレですが、序盤の山でございました。
川縁にトルコギキョウが咲いてたまるかってツッコミは誰からも入らなかったのがラッキー。
それにしても伏線張ることより回収することのほうが格段に難しい、と実感。