耳を突き抜ける破壊音と空を切り裂く閃光。まばたき程の僅かな時間――ゼロコンマ何秒かで辺りの景色は、変化した。
崩れ落ちた、いや、上の方だけ消し飛んだビル群が、奇妙なオブジェのようにずっと広がっている。
その奥に居並ぶ、白と黒の二色で構成された異形の群れ。
あれが、使徒。
僕が、人が、僕達が、倒すべき……敵。
9th story : battle region
朝――僕ではない『僕』の歌を聞いた後だ。
朝食を軽く済ませ、シャワーを浴びると、僕は予定通りに旧宮ノ下へと向かった。不安に体を覆われながら。
ジワリジワリと蟻が体に這うような、そんな不安の束が僕を一緒に束ねようと手を伸ばす中で。
あの日と同じようにバスに乗る。窓越しに、見たことのある風景が流れていく。
降車して目に入る景色。一面に広がる更地。伸びきった雑草。無造作に転がる瓦礫。
旧宮ノ下の景色だった。
しばらく歩く。前と同じだ。何も在りはせず、何も居はしない。
眠っている。眠っているんだ。この場所は眠っている。ずっと眠っている。
雑草を掻き分け、剥き出しの土を踏みしめ、瓦礫をまたいで、歩いていく。何もかもを越えていく。そうすれば何かが変わる筈だった。
何も無い場所でも、きっと何かがあると思った。
歩き続けた、その先。
――ハッっと息をのむ。
「ああ……」
今なら分かった。
知ろうとして知ったからだ。どうでもよくないと、そう自分で決めて走ったからだ。知らなきゃいけないと、そう思ったからだ。
自分で、そう決めたからだ。自分で、そうしなきゃいけないと信じたからだ。
今なら分かる。
雑草に混じって芽吹いてるこの花が何なのか。
今なら分かる。
ここにあるのは、絶望ではないことが。
誰かが地に膝をつき、天を仰いでいた。
――僕だった。
きっと、それはあの日の僕だった。
震える肩も、零れ落ちる涙も、地に食い込む指も、きっとあの日の僕だった。
あの日の、僕だった。
振り切るように前を見据えた。
ビルの前にいた。
自動ドアを抜けると、そこには赤木さんが待っていた。
「ようこそ、ネルフへ――」
見たことの無い笑顔だった。
赤い高級そうな絨毯が、一面に敷かれた渡り廊下。足を進めるたびに、少しだけ足が沈み込む柔らかさだ。
その奥の黒い硬質の扉まで歩くと、僕の3歩ほど前を歩んでいた赤木さんはその場所で立ち止まる。1度だけ振り返り
僕の姿を確認すると、ポケットをガサゴソと探りだした。
目的の物だろう。ポケットからカードを取り出すと、ドアの隅のスリットにそれを通す。
何回かの電子音。
ドアが開くとともに、僕の心音は跳ね上がる。
――ここに、父さんが。
組んだ両手の上に顎を乗せたサングラスの男の人が、僕の目に映る。
一目で分かった。
この人だ、と。この人が僕の父さんだ、と。10年会っていない父さんだ、と。
虚構でしかなかった僕にとっての世界。全てが嘘に思えた現実。
僕にとっての本当の世界を知るために、ここまで来た。
母さんの手紙、コウ、紫色の巨人、トルコギキョウ――全てが僕の中で渦巻き、うねり、吹き荒れる。
父さん。
父さん、知りたいんだ。
「父さん」
僕の呼び声に、父さんは静かに口を開く。
「……シンジか」
父さんの声が酷く懐かしく感じられた。頭の奥にこびりついていた、10年たっても変わらない重い声。
「父さん、教えて欲しい事が、聞きたいことがあるんだ」
僕は、この世界は――。
「シンジ、知りたいか?」
「そのために来たんだ」
「そうか……。ならば、戦え。倒せ。そして、見つけろ。答えはある。そこにある。そして、そこにしかない」
「……よく、分からないよ」
戦って倒せ――父さんは、そう言っている。
まるで意味が分からない。何と、いや、誰と戦えっていうんだ?
わからない。父さんの言っている事も、僕が何をするべきなのかも。
「これを見て」
赤木さんがモニターを指さす。
暫く呆然と固まっていた僕に対して、父さんは『説明を受けろ』とだけ言った。その言葉に従うように、僕は今、
説明を受けようとしている。
最も、僕自身が何の説明を受けるか分かっていないのだけれど。
彼女の言うとおりに、案内された部屋の前に備え付けられた巨大なモニターを見る。
「これは……」
そこに居るのは、デッサンの狂ったような人形だ。黒いボディー。白く張り出した肩。仮面のような胸部の顔。腹の赤い球体。
突き出た指と腕。
そこからは、槍が――。
――槍が、何だって?
無い。
そんなものは映っていない。
「……アッ…グゥ……」
「お父さんの仕事、知ってる?」
「どうして僕なの?」
「お前にしか出来ないからだ」
「見たことも聞いたこともないのに出来るはずないよ!」
「乗るならば早くしろ。でなければ帰れ」
「座っていればいい。それ以上は望まん」
「逃げちゃ駄目だ……逃げちゃ駄目だ……」
「グァァァァァーーー!」
何だ。何だ。何だ。何だ!
頭が割れそうだ――!
誰だ。誰だ。誰だ。誰だ!
僕か? 僕なのか?
「シンジ君? どうしたの?」
赤木さんの言葉が、どこか遠くからの声に聞こえる。答えようとしても、僕の声は呻きにしかならない。
「……救護班に。ええ、お願いするわ……至急……ええ……に」
途切れ途切れの彼女の言葉を最後に、僕は気絶した。
敵対性未確認種移動物体群・使徒。それが、こいつの名前らしい。
目覚めた僕は、再び同じ場所に戻され説明を受けた。
どこから来るのか、目的は何なのか。全てが不明。分かっているのは、野放しにしたならば人が終わる、ということだけ。
――らしい。
ずっと人は使徒と戦っていた。
ある時を境に突如現われた使徒は、世界各地に『レイヤー』と呼称される『巣』を形成。
使徒は自分自身と同様な姿を持つ眷属を多数レイヤーで生み出し、世界各地へ侵攻してきた。
人はレイヤーから出現した使徒を世界中に無数に点在する戦地に誘導し、かく乱を経て爆撃。
こうして眷属を多数殲滅したが、本体には傷一つけられず、戦略新型兵器『N2』により侵攻を抑えるに留まっている。
――らしい。
日本、いや、第三には情報規制が敷かれ誰もこのことは知らない。
世界は使徒を倒すべく、本体に有用な新型兵器を開発中であり日本でも研究は行なわれている。
父さんはその研究の責任者であり、研究成果である兵器は僕が乗るためのもので、他の人ではうまく扱えない。
――らしい。
全てが伝聞であり、実感のない世界だ。僕がいた世界は籠の中で、世界は戦争をしていたらしい。
父さんは僕に戦争に行き、勝って来いと言っている。
おかしい。
おかしいんだ。
絶対におかしいんだ。
――違う。父さんの言ってることや、この世界なんかじゃない。
想像することも出来ない筈の現実を、ある筈がない現実を、
こんなに簡単に受け入れている、僕が。僕がおかしいんだ。
この事実を、世界が直面する真実を、全てを聞いたとき……僕は、僕は!
「そうなんだ――って!」
そうやって受け入れた。悩むことなく、だ。
それが真実だと、本当のことだと、当たり前のことだと……そう、それを昔から知っていたかのように……。
そして、開発された兵器――EVA01に乗ることすら、僕は受け入れている。
いきなり乗れって言われて、兵器に乗れっていわれて、それを受け入れている?
ケンカもまともにした事のない僕が、未知の敵と戦争をする事を?
おかしい。
おかしいんだ。
何かがおかしいんだ。
僕がおかしい。
絶対に、おかしいんだ。
……そして、僕は怖い。
僕は『僕』が怖い。
――ウゥゥゥー!
けたましい警報の音が、僕の耳に届く。そして、僕の目に届くのは、モニターに映る数百体の異形の群れ――東北、岩手県の
レイヤーから溢れ出した使徒サキエルの群れだ。
全長30メートル程度の小型の分体の群れ、その奥に見える60メートルを越すサキエルの本体。
敵だ。
こいつらは敵だ。
一通りの説明を受けた僕は、最後に僕のための兵器――EVA01を実際にこの目で見る筈だった。
が、丁度だ。丁度その時に、岩手県のレイヤーから使徒の侵攻が開始された。
「…………シンジ君、貴方に出撃してもらうことになるわ」
赤木さんの冷たい声が響いた。
「……わかってます」
恐怖はなかった。
もう、自分のおかしさに構っている余裕なんてなかった。ただ有るのは、これが僕の現実だということだけだ。
自分が、望んで、そして、手に入れようともがいた『現実』だ!
だから、逃げない。
僕が自分で考え、自分で知ろうとして、自分で手にいれ、自分で決めた……現実だ!
だから、僕は、――。
「深度500。波形安定。電離開始」
誰かの声が聞こえる。でも、もうそれも気にならない。
EVA01のエントリープラグに浮かんでいた。
自分の肉体が自分のものである感覚が希薄になっていくのが自分で分かる。
――おかしな感覚だ。
何もない。
プラグの中に有るのは、封入された橙色の液体――LCLと言うらしい――だけだ。
漂うようにLCLに浮かび、感覚を手放していく。
吸い込んでも息の出来る、いや、正確には酸素が肺に供給される不思議な液体。懐かしく、煩わしい。
そんな奇妙な感覚に捉われる。
そして今、ハッキリと使徒サキエルを視認する。視点は既に僕の体のそれじゃない、EVA01の視点だ。
01に血が通っていくのが分かる。神経が通っていくのが分かる。僕自身が、01へと変わり、熔けていくいくのが分かる。僕が
変わっていくのが分かる。
「シンジ。行けるか?」
父さんの声。
「行けるよ」
怖い筈だ。
戦いは、殺し合いは怖い筈だ。
僕は怖い。
でも、何故か冷静な僕がいる。
でも、何故か冷静な『僕』がいるんだ。
「シンジ、今は周りを気にするな」
「うん」
僕の周りは多くの戦術兵器――今までサキエルの侵攻を食い止めた、歴戦の兵器と兵士で埋められている。
僕が本体を叩く間、彼らは今までと同じ様に分体を殲滅する。
「……シンジ。今から言うことを守れ」
「うん」
「生きろ。生きて、帰ってこい」
「……うん」
父さんの優しい声を久しぶりに聞いた気がした。少し、安心する。
震えも、怖さも、疑問も、全ては後でいい。僕は僕が選んだリアルに向かう!
「行くぞ!」
数百のサキエルに向かって、走り出す。
<続く>
<後書き>
ネルフに訪れる過程が直す前と丸っきり変わってます。なんで、こんなに頑張ったのか自分でも謎。
トルコギキョウを再三使うのは躊躇われたが、キーはやっぱりコレかな、と。
話は変わりますが、今、鼻血が止まりません。現在進行形で(血まみれキーボード